新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日米企業社会における文化の違い#2

2008-03-02 07:30:20 | 200803

「就職」か「就社」か:これこそ企業社会における大きな違いの代表的なものであると信じて疑わない。W社入社後2年目のことだった。1976年ニュー・ジャージー州アトランティック・シティーで開催されたコンヴェンションの会場でアメリカ人の学生に「この会社のこの事業部に就職したいのだが、誰に履歴書を送ればいいのか」と尋ねられ、その意味が解らなかった。そこで近くにいたシカゴ営業所長(当時、後の副社長兼事業部本部長)に回した。そして、その質問の意味を解説して貰ったものの、当時は良く把握できなかった。<o:p></o:p>


これが、アメリカでは「就職」であって我が国では「就社」であると知るきっかけになった。アメリカの会社には経験者が「即戦力」として、会社ではなくその事業部に採用されるのだから、当然「何でも承知している」との前提。だから、何か疑問があり自分から訊こうとしない限り、事業部内のことは言うまでもなく「会社」自体のことでも、上司も同僚も誰も何も教えてくれることはない。<o:p></o:p>


各事業部門に何らかの空席となっている仕事があるか、または新規に欠員が発生した場合、それを直ぐにでもこなせる人物を雇うのがアメリカ式。事業部として新規採用は内部からのこともあるし、外部からのこともある。私はアメリカの会社2社に勤務したが、何れの場合も”training”と称する事業部内の本社、工場、研究所を回って顔つなぎをした後は、簡単に言えば東京に戻って得意先に挨拶回りをしただけであった。本社で”Job description”=「職務内容記述書」を貰いこれを持って帰って、翌日から自分一人でやりなさいという形で仕事を始めた。目標の数字等は与えられるが、その達成法は当人が決めることと言って良いだろう。このように新卒を採用し教育してから使うことなどは全く考えていない。<o:p></o:p>


仕事の進め方については一切何の指示も命令もなかった。これも当たり前のことで、既製品を即戦力で採用したのだから、教育的指導などするわけがない。実際には自分で業務の内容を把握して、今日は何をするか、今週の行動は、来月はというようなことに関しては、全て自分で把握して自分に命令を発して動くだけ。結果が出なければ全て自分に返ってくるのだから解りやすい世界。勿論、本社とは毎日綿密に連絡するから、自分の予定外の指示も沢山来る。そこは優先順位をどう付けていくかは本人の判断力の問題である。<o:p></o:p>


兎に角、何でも自分一人でやらねばならず、同じ事業部内でもそれぞれ担当分野も範囲が違うのだから、同僚や他人は全く頼りにできない。何でもやったことの結果は自分に返って来る仕掛け。誰も助けてくれないし、他人を助ける理由がない。これは日本の会社と根本的な違いである。頼りにしても良いのは秘書だけで、彼女(女性と限定しても良いだろう)も異なる”job description”で働いているのだから、便りにできることにも限界がある。<o:p></o:p>


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アメリカ人かアメリカのビジネス・パーソン達は国際人か?:<o:p></o:p>


こう言うからにはそうではないと主張するのだろうと思われるのは承知である。「イエス」でもあり「ノー」でもある。当然だ。ここは、何かと言えば「国際人」を有り難がる傾向に対して反抗しようとの姿勢を見せたいのだが。<o:p></o:p>


Interstate=州際:「イエス」の詳細を説明しなくとも良いだろう。マスコミにお尋ね下されば済むことだから。問題は何故「ノー」なのかだ。アメリカの国土は広い。各州だって単独で日本よりも広いところだってある。その州を出たこともない人はいくらでもいる。”International”は「国際」で国と国との取引は”International Trade”で、こういう表現がそのまま名前になったいた官庁だってあった。だが、アメリカには”Interstate”という言葉があって「各州間の」という意味で使われている。ご存知のように、アメリカでは州毎に州法があり州そのもの独立国のようであり、州境を越えていく取引でも大仕事な場合すらある国なのである。だからと言うか、何と言うか「他の州との州際取引が国際取引よりも優先される場合がある」という事情がある。私はそういう事情を知って彼らの国際化の遅れに同情的になってしまったのであった。<o:p></o:p>


 さらに、”East of the Rockies”と言って西海岸から見ればロッキー山脈の向こう側は遙かに遠い外国のようであり、山脈を越えるトラック輸送コストは太平洋を横断してアジアの国への海上運賃よりも高くつくので敬遠される嫌いがある。<o:p></o:p>


国際化の遅れか?:外国慣れしていない人が多いということである。具体的な例を挙げてみる。日本の有力な得意先に対してある重要事項についてのプリゼンテーションをすることになった内勤のマネージャーが、営業部長に付き添われて来日した。前夜、ホテルでのリハーサルに私も立ち会った。ところが、そのマネージャーはろくに話すことができずオロオロしていて時間が空費された。だが、何とか形が付いたところで終了した。何故あれ程駄目なのかを部長に尋ねた。答えを聞いて驚いた。「お前には解らないだろうが、日本は我が国に次ぐ世界の経済大国。その中でもその業界の最右翼と聞かされてきた大得意先で語るのであるから、彼はもう今から緊張の極に達している。海外慣れしている我々とは根本的に違う。彼がごく普通のアメリカのビジネスマンだと思って接してやってくれ」だったからである。そう聞かされてその後注意していると、初来日の人たちは皆かなり緊張していた。中には気の毒なくらいの者もいた。<o:p></o:p>


こんな悲しい経験もあった。私は198510月にアメリカはシアトルで自動車事故の被害者となった。その保険の交渉を帰国してから、イチローさんでお馴染みのセーフコ・フィールドの”Safeco”と電話で行う羽目に陥った。彼らに自宅の電話番号を教えておいた。ところがいくら待っても何も言ってこない。業を煮やして事故車の運転をしていた当時の上司に電話して不満を訴えた。彼はこう提案してきた「怒るなよ。普通のアメリカの会社の外国慣れは無きに等しいのだから。彼らはアメリカ国内の保険会社だから国際電話のかけ方だって知りはしない。それに日本人に電話することが怖いのだ。だからコレクト・コールで君の方から電話して交渉することを勧める」と。あれから22年も経っている。Safecoは野球場を作ったが、国際化は進んだのだろうか?<o:p></o:p>


他の面での外国に不慣れな別な例を挙げよう。日本に来るアメリカ人を国際人と思って下さる関係先が多く、超一流のフランス料理店に招待して頂くことが多い。これが困るのだ。ご承知であろうが、その手の店ではビールは置いていない。時には「ビールを注文するな」と事前に知らせておくこともあるが、半数以上はビールを注文して恭しく「ご用意して御座いません」と言われて、こっちが恥をかく。フランス料理店が高慢なのか、彼らが無知なのかは知らない。だが、彼らの国際度を知る手がかりにはなるだろう。<o:p></o:p>


ところで、我が国のビジネス・パーソンはどうだろうか?「イエス」と「ノー」の何れの比重が高いだろうか?<o:p></o:p>


続く<o:p></o:p>



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