カナカナ語の排斥だけではなく:
長い間カタカナ語の排斥運動を続けてきたが、偶には「おかしな現代の日本語論」も展開しようと思う。
*5年間の間:
つい2~3日前のことだった。何処かのテレビ局だったかが、脳内出血で倒れられた歌舞伎俳優:中村福助が慈恵医大の教授の指導の下にリハビリテーションに励まれて、舞台に復帰される様子を取り上げていた。その復帰の日に楽屋で座長が全員を集めて「福助が5年間の間、どれほどの苦労を経験し努力をして云々」と語りかけていた。「間」2回出てくるおかしさは最近の流行で、テレビに出てくる無知蒙昧の輩がこのような重ね言葉(後ろから追突)を多用するので、耳から入る言葉の恐ろしさで良識あるはずの年長者までが使ってしまうのだ。
以前にも採り上げたことでアナウンサー言葉で「点差は3点」なんていうのもあるし「後で後悔する」だの「挙式を挙げる」などという、小学校や中学校で国語をどのように教えているのかと嘆かわしい表現は幾らでもある。私は「今現在」も国文学者のKS教授に確認して戴いたが「困った例で意味が重複した表現だ」と指摘しておいたが、何としたことか岸田総理が国会答弁で使っておられた。これでは「総理大臣だってこう言われた」と真似る者たちが出てくると懸念している。
*私の中では:
上記の福助特集の直ぐ後だった。他局で演歌歌手(なのだろう)細川たかしが「私の中では」と言って語っていた。これは未だKS教授のご意見を伺っていないが、余り褒めた表現ではないと思っている。普通の文章にすれば「私の考えでは~である」なのだと考えている。他には「意見では」か「見るところでは」か「思うには」という言い方が出来ると思うが、このような使い分けが出来ないような思考体系に育ったか、誰かが使ったから真似をしてみたという主体性がない現象だと思う。この他には「私的には」という似たような言い方もあるが、私は採らない。
*お会いする:
これは既に何度も採り上げたことで、KS教授は「敬語の誤用である」と指摘された。即ち「会う」という自分の行為に敬語の「御」(=お)を付けたのだ。「ワード」では「お会いする」と入力すると「お目にかかる」とした方が良いと教えてくれる。即ち「誰それさんにお会いした」ではなく「誰それさんにお目にかかった」とした方が良いのだ。だが、残念ながら猫も杓子も「お会いする」なのだ。これも国語教育の劣化なのかと思う。
*どうも:
我が方に毎日送られてくるスパムメールの中に書き出しが「どうも こんにちは」というのがある。これは言葉の誤用だと思う。中居正広というジャニーズ脱退組は番組の冒頭で「どうも こんにちは」から語りかけてくる。広辞苑には「《感》省略形で感謝、祝福、謝罪、悔やみなどの意で口頭の挨拶に広く用いる語」と出ていて、「先日は失礼」「いやーどうも」という例文も載っている。私は「どうも有り難う御座いました」のように使うのであり、「こんにちは」の前に言うのは適切ではないと思う。
*~しております:
これも敬語の誤用だと思っている。例に挙げては悪いかも知れないがTBSの「ひるおび」の司会者・恵が当たり前のように使う。例えば「~先生が言っておりました」のように。私は「~先生が言っておられました」となるべきだと思う。この語法は確かジャイアンツの某大名誉監督を崇拝する某フリーランスアナウンサーも常用しております。「おります」は「私もそのように考えております」と謙って言うことだと思っているが。
*生き様:
私は「死に様」という表現の存在は承知していたが、反語のような「生き様」があるとは思っていなかった。だが、今では広辞苑にも載ってしまう有様だ。但し、そこには「死に様の類推から生まれた語、自分の過ごしてきたぶざまな生き方、転じて人の生き方」とある。これも国語を良く勉強しなかった輩が乱造した言葉であるのが嘆かわしい。似たような例に「ほど近い」がある。これも本来は「程遠い」があるので、「ほど近い」でも良いだろうと粗製濫造されたと思うが、広辞苑に載ってしまっている。
長い間カタカナ語の排斥運動を続けてきたが、偶には「おかしな現代の日本語論」も展開しようと思う。
*5年間の間:
つい2~3日前のことだった。何処かのテレビ局だったかが、脳内出血で倒れられた歌舞伎俳優:中村福助が慈恵医大の教授の指導の下にリハビリテーションに励まれて、舞台に復帰される様子を取り上げていた。その復帰の日に楽屋で座長が全員を集めて「福助が5年間の間、どれほどの苦労を経験し努力をして云々」と語りかけていた。「間」2回出てくるおかしさは最近の流行で、テレビに出てくる無知蒙昧の輩がこのような重ね言葉(後ろから追突)を多用するので、耳から入る言葉の恐ろしさで良識あるはずの年長者までが使ってしまうのだ。
以前にも採り上げたことでアナウンサー言葉で「点差は3点」なんていうのもあるし「後で後悔する」だの「挙式を挙げる」などという、小学校や中学校で国語をどのように教えているのかと嘆かわしい表現は幾らでもある。私は「今現在」も国文学者のKS教授に確認して戴いたが「困った例で意味が重複した表現だ」と指摘しておいたが、何としたことか岸田総理が国会答弁で使っておられた。これでは「総理大臣だってこう言われた」と真似る者たちが出てくると懸念している。
*私の中では:
上記の福助特集の直ぐ後だった。他局で演歌歌手(なのだろう)細川たかしが「私の中では」と言って語っていた。これは未だKS教授のご意見を伺っていないが、余り褒めた表現ではないと思っている。普通の文章にすれば「私の考えでは~である」なのだと考えている。他には「意見では」か「見るところでは」か「思うには」という言い方が出来ると思うが、このような使い分けが出来ないような思考体系に育ったか、誰かが使ったから真似をしてみたという主体性がない現象だと思う。この他には「私的には」という似たような言い方もあるが、私は採らない。
*お会いする:
これは既に何度も採り上げたことで、KS教授は「敬語の誤用である」と指摘された。即ち「会う」という自分の行為に敬語の「御」(=お)を付けたのだ。「ワード」では「お会いする」と入力すると「お目にかかる」とした方が良いと教えてくれる。即ち「誰それさんにお会いした」ではなく「誰それさんにお目にかかった」とした方が良いのだ。だが、残念ながら猫も杓子も「お会いする」なのだ。これも国語教育の劣化なのかと思う。
*どうも:
我が方に毎日送られてくるスパムメールの中に書き出しが「どうも こんにちは」というのがある。これは言葉の誤用だと思う。中居正広というジャニーズ脱退組は番組の冒頭で「どうも こんにちは」から語りかけてくる。広辞苑には「《感》省略形で感謝、祝福、謝罪、悔やみなどの意で口頭の挨拶に広く用いる語」と出ていて、「先日は失礼」「いやーどうも」という例文も載っている。私は「どうも有り難う御座いました」のように使うのであり、「こんにちは」の前に言うのは適切ではないと思う。
*~しております:
これも敬語の誤用だと思っている。例に挙げては悪いかも知れないがTBSの「ひるおび」の司会者・恵が当たり前のように使う。例えば「~先生が言っておりました」のように。私は「~先生が言っておられました」となるべきだと思う。この語法は確かジャイアンツの某大名誉監督を崇拝する某フリーランスアナウンサーも常用しております。「おります」は「私もそのように考えております」と謙って言うことだと思っているが。
*生き様:
私は「死に様」という表現の存在は承知していたが、反語のような「生き様」があるとは思っていなかった。だが、今では広辞苑にも載ってしまう有様だ。但し、そこには「死に様の類推から生まれた語、自分の過ごしてきたぶざまな生き方、転じて人の生き方」とある。これも国語を良く勉強しなかった輩が乱造した言葉であるのが嘆かわしい。似たような例に「ほど近い」がある。これも本来は「程遠い」があるので、「ほど近い」でも良いだろうと粗製濫造されたと思うが、広辞苑に載ってしまっている。
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