政治家が打ち出す「経済政策」には虚しさを感じる:
念の為に申し上げておくと、「私が言っていることの大半は、報道機関が言っていることに基づいているし、それ以外の情報源は極々僅かだ。残すところは口幅ったい言い方になるが私の『感性』によるものである」とご理解願えれば有り難い。
昨11日は国会で代表質問とやらが行われていたが、自由民主党は兎も角として立憲民主党や共産党の質問などを聞くことにさして意義はないと思っているので、俗な表現で恐縮だが「シカト」することにした。それにしても思う事がある。それは「野党は言うに及ばすマスメディアは、何で何時まで経っても表面的か揚げ足取りのようなことしか質問しないのだろうか」ということだ。枝野の質問はニュースで聞いて呆れたが、あれでは彼の選挙対策の演説か政権誕生の為の宣伝だった。辻元は例によって揚げ足取りとまではいわないが、新鮮味に乏しい文書改竄問題だった。
マスコミは例によって岸田総理が総裁選挙戦中に強調しておられた経済関連の政策を有耶無耶にされる答弁だったと指摘し、改革という言葉が一度も出なかったと批判していた。私は岸田総理を追い詰めたいのならば「新新本主義とはをより具体的に解説せよ」とか「成長と配分の具体的な手法は?」などと問い質していただろうと思って聞いた。
内閣総理大臣以下閣僚、与党の議員等々が掲げて懸命に訴える政策を聞いていて、私は何時も何とも言えない虚しさを感じざるを得なかった。少しだけ遡れば、安倍晋三元総理は華々しく「アベノミクス」を打ち出され2%のインフレやデフレ退治を唱えられ、黒田日銀総裁は何度かバズーカを発射された。だが、何れも政策の細部までというか具体策は打ち出されなかった気がする。
ここで、一寸本線を離れて私が嘆き且つ情けないと思っていることを挙げよう。それは、未だに政治家や有識者の範疇に入る方でも「アベノミクス」を「アベノミックス」と恥ずかしくもなく言っている現実だ。あれは安倍総理(当時)の造語で「経済学」=“economics”(=イーカノミクス)をもじって“Abenomics”とされたのである。Abenomixではないのだ。そんなことも解らない連中が政治を担当し、論評する有識者がいるのでは何も好転しないし、改革など覚束ないだろうと危惧するのだ。
「虚しさ」の話に戻ろう。何が虚しいかと言って「政治を担当する方々が実際に生き物である経済や市場を動かしている訳ではない」ということだ。私は経済を実際に動かしているのは我が国に何百万もあるという大・中・小の会社なのだと思っている。「小」の部になれば、政府や都知事が如何に夜は何時に閉めろとか酒を出すなと要請しても、生き死にを賭けて無視しているではないか。「大」の方に至れば安倍総理が何度「給与を増額して欲しい」と要望されただろうか。劣化した経営者たちは内部留保はせっせと積み上げたが、給与は知らん顔で据え置いたではないか。
企業社会では成長や改革どころではない「生存か破滅か」を賭けて藻掻いている大・中・小の会社が幾らでもあるのだ。勿論隆々として成長・発展している世界的な会社もある。そういう会社もそうではない会社も「政治」が唱える政策に従ったから成長したか衰退したのだろうか。私には何れも経営者の力量、社員の力、市況、国の内外的要因等々に懸かっていると思う。「成長」といきなり言われても「半導体の致命的な供給不足」の状態に何らかの手が打てたのか。
COVID-19に苛まれてしまった現在でどのようにすれば成長が望めるのかと思ってしまう。まさか「Go to トラベル」や「イート」で経済が回ると信じておられるのではあるまいな。
総理大臣の方針や答弁を担当しているであろう官僚(なのだろう)が、現実を知らないはずはないと思う。だから「与野党ともバラマキだ」と、某事務次官に言われてしまうのではないか。経済の面では政治側が余程市場の実情に細部まで通じていて、現実に起きている現象に対して対処するような具体策を打ち出さない限り、会社側乃至は経営者たちは思い切った給与増額には踏み切らないような気がしてならない。これは「鶏と卵の何れが先か」という詮無い議論なのだが、経営者側にはそこまでの度胸も度量もないように見えるのは何故だろう。
私の持論では「実務の世界を十分に経験し、組織を動かす地位に就いたことがない方々に、経営どころか政治をお任せする訳にはいかない」なのである。市会議員→県会議員→国会議員という経路か「議員の秘書→地盤継承して立候補」等々では個人プレーの世界しか経験されていない気がして怖いのだ。何度も指摘してきたことで「川淵三郎氏が何故サッカー界を盛り立て、バスケットボール界を建て直されたか」を良く考えて見る時が来ていると思う。川淵氏と対極を為す世界を生き抜いてこられた菅前首相は、無残にも川淵氏を退けられた。非常に虚しいい思いで見ていた。
念の為に申し上げておくと、「私が言っていることの大半は、報道機関が言っていることに基づいているし、それ以外の情報源は極々僅かだ。残すところは口幅ったい言い方になるが私の『感性』によるものである」とご理解願えれば有り難い。
昨11日は国会で代表質問とやらが行われていたが、自由民主党は兎も角として立憲民主党や共産党の質問などを聞くことにさして意義はないと思っているので、俗な表現で恐縮だが「シカト」することにした。それにしても思う事がある。それは「野党は言うに及ばすマスメディアは、何で何時まで経っても表面的か揚げ足取りのようなことしか質問しないのだろうか」ということだ。枝野の質問はニュースで聞いて呆れたが、あれでは彼の選挙対策の演説か政権誕生の為の宣伝だった。辻元は例によって揚げ足取りとまではいわないが、新鮮味に乏しい文書改竄問題だった。
マスコミは例によって岸田総理が総裁選挙戦中に強調しておられた経済関連の政策を有耶無耶にされる答弁だったと指摘し、改革という言葉が一度も出なかったと批判していた。私は岸田総理を追い詰めたいのならば「新新本主義とはをより具体的に解説せよ」とか「成長と配分の具体的な手法は?」などと問い質していただろうと思って聞いた。
内閣総理大臣以下閣僚、与党の議員等々が掲げて懸命に訴える政策を聞いていて、私は何時も何とも言えない虚しさを感じざるを得なかった。少しだけ遡れば、安倍晋三元総理は華々しく「アベノミクス」を打ち出され2%のインフレやデフレ退治を唱えられ、黒田日銀総裁は何度かバズーカを発射された。だが、何れも政策の細部までというか具体策は打ち出されなかった気がする。
ここで、一寸本線を離れて私が嘆き且つ情けないと思っていることを挙げよう。それは、未だに政治家や有識者の範疇に入る方でも「アベノミクス」を「アベノミックス」と恥ずかしくもなく言っている現実だ。あれは安倍総理(当時)の造語で「経済学」=“economics”(=イーカノミクス)をもじって“Abenomics”とされたのである。Abenomixではないのだ。そんなことも解らない連中が政治を担当し、論評する有識者がいるのでは何も好転しないし、改革など覚束ないだろうと危惧するのだ。
「虚しさ」の話に戻ろう。何が虚しいかと言って「政治を担当する方々が実際に生き物である経済や市場を動かしている訳ではない」ということだ。私は経済を実際に動かしているのは我が国に何百万もあるという大・中・小の会社なのだと思っている。「小」の部になれば、政府や都知事が如何に夜は何時に閉めろとか酒を出すなと要請しても、生き死にを賭けて無視しているではないか。「大」の方に至れば安倍総理が何度「給与を増額して欲しい」と要望されただろうか。劣化した経営者たちは内部留保はせっせと積み上げたが、給与は知らん顔で据え置いたではないか。
企業社会では成長や改革どころではない「生存か破滅か」を賭けて藻掻いている大・中・小の会社が幾らでもあるのだ。勿論隆々として成長・発展している世界的な会社もある。そういう会社もそうではない会社も「政治」が唱える政策に従ったから成長したか衰退したのだろうか。私には何れも経営者の力量、社員の力、市況、国の内外的要因等々に懸かっていると思う。「成長」といきなり言われても「半導体の致命的な供給不足」の状態に何らかの手が打てたのか。
COVID-19に苛まれてしまった現在でどのようにすれば成長が望めるのかと思ってしまう。まさか「Go to トラベル」や「イート」で経済が回ると信じておられるのではあるまいな。
総理大臣の方針や答弁を担当しているであろう官僚(なのだろう)が、現実を知らないはずはないと思う。だから「与野党ともバラマキだ」と、某事務次官に言われてしまうのではないか。経済の面では政治側が余程市場の実情に細部まで通じていて、現実に起きている現象に対して対処するような具体策を打ち出さない限り、会社側乃至は経営者たちは思い切った給与増額には踏み切らないような気がしてならない。これは「鶏と卵の何れが先か」という詮無い議論なのだが、経営者側にはそこまでの度胸も度量もないように見えるのは何故だろう。
私の持論では「実務の世界を十分に経験し、組織を動かす地位に就いたことがない方々に、経営どころか政治をお任せする訳にはいかない」なのである。市会議員→県会議員→国会議員という経路か「議員の秘書→地盤継承して立候補」等々では個人プレーの世界しか経験されていない気がして怖いのだ。何度も指摘してきたことで「川淵三郎氏が何故サッカー界を盛り立て、バスケットボール界を建て直されたか」を良く考えて見る時が来ていると思う。川淵氏と対極を為す世界を生き抜いてこられた菅前首相は、無残にも川淵氏を退けられた。非常に虚しいい思いで見ていた。
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