その意図は何処にあるのだろうか:
私は如何に何でもアメリカのMLBのLAエンジェルス以外のアメリカン・リーグの球団の露骨な四球攻めは、矢張りやり過ぎだろうと言いたくもなる。シアトル・マリナーズの監督は「45本もホームランを打っている者を敬遠することは当然だ」と言ったかと思えば、昨日は5回までで1対11と大量にリードされていたので、ここでは大谷と勝負するかと思えば、全く打てないインサイドを高く外れた投球を4球続けて歩かせた。
極端な表現を用いれば「彼らの不公平(unfair)な作戦、ここに極まれり」だとなる。彼らは「fairではない」と決めつけられることを最も嫌うのだ。彼らを黙らせるには“That is not fair.”と言えば済むのだから。
私が不思議に感じていることは、報道機関のこの件の扱いである。「大谷が何回歩かせられたか」を連日伝えてくれるが、ゲレーロJr.とペレスがどのように扱われているかは一向に知らせてくれないのだ。大谷に対する扱いがどれほど不公平であるかは解るが、当面の競争相手が敬遠攻めに遭っているかどうかは一向に伝えてくれないのでは、彼への対応が不公平であるかどうかを断定できないではないか。
私は20年以上も彼らの世界というか、アメリカ人の中にあって彼らと共に働いてきた。だが、決して不公平な扱いを受けたことはなかった。だが、身分の垂直上昇などあり得ない事務職等の中には職業意識が乏しく、とても勤勉とは言えない者たちがいたので、そういう連中が私の顔が対外的に傷付けられるような失態を演じたときには、厳しく叱責したものだった。だが、彼らの上司たちからは「君の気持ちは解るか、ここは穏便に取り計らってくれ」と彼らを庇い立てて、微妙な表現になるが「彼ら仲間には優しい」のだった。
昨日のTBSでは張本勲は「良くありがちなことで、我が国でも色々とあったではないか」と、断定的な表現を避けていた。私もそういうものだということくらいは解っている。報道機関の連中だって承知していると思う。私が「大谷翔平がホームラン王を獲ることは諦めている」という背景にはこういう事情があるのだ。ではあっても、103年前のベーブ・ルースの身体能力と大谷翔平のそれとを比較せずに「新記録だ、新記録だ」と騒ぎ立てるのは合理的ではないと思う。残された希望はMLBの他球団監督がどれほどfairであるかだが、望み薄だろう。
私は如何に何でもアメリカのMLBのLAエンジェルス以外のアメリカン・リーグの球団の露骨な四球攻めは、矢張りやり過ぎだろうと言いたくもなる。シアトル・マリナーズの監督は「45本もホームランを打っている者を敬遠することは当然だ」と言ったかと思えば、昨日は5回までで1対11と大量にリードされていたので、ここでは大谷と勝負するかと思えば、全く打てないインサイドを高く外れた投球を4球続けて歩かせた。
極端な表現を用いれば「彼らの不公平(unfair)な作戦、ここに極まれり」だとなる。彼らは「fairではない」と決めつけられることを最も嫌うのだ。彼らを黙らせるには“That is not fair.”と言えば済むのだから。
私が不思議に感じていることは、報道機関のこの件の扱いである。「大谷が何回歩かせられたか」を連日伝えてくれるが、ゲレーロJr.とペレスがどのように扱われているかは一向に知らせてくれないのだ。大谷に対する扱いがどれほど不公平であるかは解るが、当面の競争相手が敬遠攻めに遭っているかどうかは一向に伝えてくれないのでは、彼への対応が不公平であるかどうかを断定できないではないか。
私は20年以上も彼らの世界というか、アメリカ人の中にあって彼らと共に働いてきた。だが、決して不公平な扱いを受けたことはなかった。だが、身分の垂直上昇などあり得ない事務職等の中には職業意識が乏しく、とても勤勉とは言えない者たちがいたので、そういう連中が私の顔が対外的に傷付けられるような失態を演じたときには、厳しく叱責したものだった。だが、彼らの上司たちからは「君の気持ちは解るか、ここは穏便に取り計らってくれ」と彼らを庇い立てて、微妙な表現になるが「彼ら仲間には優しい」のだった。
昨日のTBSでは張本勲は「良くありがちなことで、我が国でも色々とあったではないか」と、断定的な表現を避けていた。私もそういうものだということくらいは解っている。報道機関の連中だって承知していると思う。私が「大谷翔平がホームラン王を獲ることは諦めている」という背景にはこういう事情があるのだ。ではあっても、103年前のベーブ・ルースの身体能力と大谷翔平のそれとを比較せずに「新記録だ、新記録だ」と騒ぎ立てるのは合理的ではないと思う。残された希望はMLBの他球団監督がどれほどfairであるかだが、望み薄だろう。
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