人の性格には多面的なものがあるのでは:
石破首相とトランプ大統領との初会談は、両首脳ともソツなく進められたのは両国の為にも非常に良かったと思う。そりが合わないのでは」と懸念されていた(誰が?)石破首相とトランプ大統領との波長も合っていたようだし、取り上げるべき波乱もなかったのもとても良かったのではないか。
私には記者会見でのトランプ大領領の抑制的とも見えた姿勢からは、支持者たちに語り掛けられるときの乱暴な言葉遣いは影を潜め、穏やかな「善い人」ドナルド・トランプ氏だったのが非常に印象的だった。その様子を見て、聞いて、あらためて人の性質と見えるものには多面的なのだろうと認識した次第。
何を言おうとしているのかという点だが、故石原慎太郎君(湘南中学の同期生で、同じ蹴球部の一員だった)を思い出していただきたい。彼は国会議員から都知事に就任したころには奔放な(乱暴な?)言葉遣いをする強気一点張りの人のようになっていた。要するに「人はその一面だけを見て、その人柄を決めつけるのは適切ではないのでは」なのである。
だが、我々蹴球部の者たちには「穏やかで気が弱く神経質で丁寧な言葉遣いの石原はどこに行ったのだろうか」と不思議なことにしか見えなかった。我々の一致した見方は「あの弱さにも通じかねない穏やかさを外に見せない為の、言わばベランメー口調なのだろう」だった。彼は細かい気遣いをする人で、この件は嘗て「石原は良い奴なんです」として発表してあった。
トランプ大統領も、あの石破首相の「国会答弁の常套句」という当意即妙な表現に対して、“He knows what he is doing.”と称賛した辺りは、選挙キャンペーン中にバイデン大統領(当時)とハリス候補を罵倒していた人と同一とは思えないほど違っていた。それこそ、トランプ氏と個人的に付き合いがある人たちが「良い人です」と表現した善い人そのものの面を感じさせた。
私はドナルド・トランプ氏が盤石の支持層である、敢えて言うと中以下の階層、それも労働者階級に向かって語り掛けられる際には、彼らに通じやすい乱暴な表現を敢えて使っておられるのだろうと、何回か指摘した。人とはそういうものだろうと思っている。石破首相にしても、記者会見ではマスコミが揶揄する石破構文では語っておられなかったと受け止めた。
私はトランプ大統領が無理をして善い人を演じておられたのではなく、故安倍元総理との間に築き上げられた、日本に好感を持つ良い大統領で接してこられたのであり、注意深く慎重に事を運ばれたのではと見ている。この辺りを、流行語大賞は取れないだろう、流行りの言葉でいえば「多様性がある」とでもなるか。
あら捜し:
「ビジネスマンの服装学の権威」と秘かに自認する私としては、石破首相のあのスリップオンだと見た何となく疲れたような靴が気になった。公式の場には相応しくない靴であると信じているからだ。あの場では内羽根の黒色の紐を結ぶ靴でなければならないのだ。この点で、私は折角の初の首脳会談の評価から減点しようと思う。
ところが、この方面に精通しておられる東海大学KS教授は、下記のような見解だったので紹介しよう
>引用開始
石破氏が「まちがった装いをしている」とまではいえないように思います。(わたしもじつはこの手の靴を持っていて、ときどきスーツに合わせます。購入するとき店員にも、「これ、slip onだけどスーツにも履けますよね?」と確認し、「スーツでも履けるということでおすすめしています」という回答を得ています。イタリアのファッション関係者も、ときどき「スーツに履き口の深いローファー」を合わせているのを写真でみかけます……)ただ、日本の新首相が、はじめてアメリカの大統領に会うときに、あの靴でいいかというと疑問です。
<引用終わる
という事なのだ。強調しておきたい事は「公式な場での服装は非常に厳格であり、好い加減にはできないのである」という点なのである。外務省も首相の靴までに注意できなかったという事か。
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