新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

変わりゆく巣鴨の地蔵通り:

2021-12-27 08:36:44 | コラム

変わりゆく巣鴨の地蔵通り:

2日遅れの話になってしまったが、去る25日に1日遅れで亡父の祥月命日の墓参りに染井霊園に行って来た。その後に毎年のように行って見た地蔵通りは「四の日」の縁日ではなかったが、かなり多くの人で賑わっていた。

そこに目立った現象が二つあった。それは、テレビなどで相変わらず「高齢者の原宿」などと戯けた紹介がされているこの商店街を歩いていた人々の半分ほどは、高齢者ではなかったということ。即ち、テレビの宣伝文句に刺激されたのか、言うなれば一般人が訪れるように変わってきたと思わせられたのだった。私はこの「トゲ抜き様」の通りには戦前から来ていたので、今でも懐かしさ半分で墓参りの後は必ず訪れているだけのこと。

もう一つの変化はといえば、商店街に入ってから見えてくる景色が変わってきたとでも言えば良いのだろうか。それは、何も高齢者相手の店ばかりではなくなっているという傾向が顕著になったということ。即ち、何時の間にかタリーズコーヒーが出ていたし、コンビニもあるし、これまでには見かけなかったラーメン店もあるし、更地が目立つという具合だ。そこには時代の変化もあるのだろうが、新型コロナウイルス禍(私は「コロナ」という誤用された言葉を認めていない)も、この街にも及んできたのかと考えさせられた。

また、この通りに沿って国道17号線(中山道)が走っているので、巣鴨駅からここにかけても結構な人出だったのは、矢張り人々は第5波が下火になったこともあって警戒心が緩んできたのかと痛感させられた。各テレビ局は朝から晩までオミクロン株の脅威というか危険性を報じているが、一般大衆にとっては馬耳東風なのかなと感じながら、愚息の運転の車で帰宅した。

私はテレビ局の報道は過剰と言うよりも「オミクロン株とは如何なるものか。如何なる危険性があるのか。防御策は如何にあるべきか」をキチンと取り上げずに、感染者の数ばかりに集中しているのでは視聴者にとっては警告とは響かないと思っている。何処かの週刊誌が指摘していたように「これまでで通りの(厳戒?)態勢を維持する以外に何があるのか」を強調すべきだと思うのだが。地蔵通りを歩いてきて、このように感じた次第だ。

 



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