新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「英語とは」を考えて見た

2021-12-26 11:34:08 | コラム

私が英語を語れば:

つい一昨日「失敗して学んだ英語の表現」と題して、言うなれば英語論を展開したが、今回はNHKの「朝ドラ」(というのだそうだが)で現在放映されている「カムカムエヴリバデイ」との題名にも多少触発された次第だ。告白すれば、私は「朝ドラ」も日曜の夜の「連ドラ」(というのかな)も「紅白歌合戦」も、もう何十年も見たことがない。見ない理由の説明は省くが、要するに好みではないという事。

*英語の挨拶:

「失敗して学んだ英語の表現」では“How have you been?”を取り上げたが、英語(アメリカ式とでも言えるが)にはかなり沢山の言い方があるのだ。戦後間もなくの英語教育や英会話の指導では、上述の「カムカムエヴェリバデイ」の主題歌のようだった曲の歌詞が“Come, come everybody how do you do and how are you?”から始まっていた所為もあったのだろう、“How do you do and how are you?”が、恰もアメリカ全土における挨拶の標準であるかのように教えられていた。当時は中学に入学したばかりだった当方も、そう信じて疑わなかった。

NHK(日本放送協会)が「練達熟練の」と言って紹介した平川唯一氏の「カムカムイングリッシュ」の影響力は絶大なものがあった。私はこの曲の英語の歌詞は今でも全部覚えているし、平川氏が用いられた会話の表現の中でも“How are you getting along in this hot weather.”などのように、今になって考えればかなり高度な表現などは良く覚えていて、借用して使っていたものだった。何処が高度かといえば“to get along”である。俗に言われている「getとmakeを上手く使えば、日常会話には不自由しない」の典型的な一例であろう。

ところが、現実にアメリカ人の中に入って一年の3分の2以上の時間を英語だけで過ごすようになって気が付いたことがあった。それは、彼らが“How do you do and how are you?”とは先ず言わないことだった。圧倒的多数の挨拶は“How are you doing?”だったのだ。確かに、偶には“How are you?”には出会ったが、“How do you do?”と呼びかけられた記憶がなかった。また、応答は“I am fine. Thank you and you?”と教えられたと思うが、彼らは滅多にそうとは言わないのだった。時には“Real good. Thanks.”などと返されて、それこそ面食らっていたのだった。

ご参考までに、応用編のような彼らの挨拶を列記してみよう。

“How’s it going?”

“How’s everything?”

“What’s new today?”

“What’s cooking?”

“How does the world treat you, these days?”

“Howdy?”

“How ya doin’?”(のように聞こえる)

と、誠に様々なのだ。但し、上記は初対面の外国人に向かっては使わないと認識しておかれて良いと思う。

*平川唯一氏の英語:

「今にして思えば」だが、かなり正調なアメリカ西海岸のアクセントだった。それ即ち「真似をしても良い英語の発音」だということ。と言うのは、あの広いアメリカで使われているイングリッシュには地域差があるし、余り推薦したくない“a、e、i、o、u”の後に”r“が付いた場合に“r”を、舌を巻くように響かせて発音する場合もあるのだ。私が言う支配階層の人たちはこの種の発音はしないものなのだ。だが、戦後間もなくは進駐軍の兵士たちがこういう発音をしたので、真似る傾向が顕著だったものだ。平川氏はこのような発音をしておられなかったのは良かったと思う。

確か、平川氏の後を継いだのがJames Harrisという人だった。この方は「日本人にアメリカン・イングリッシュの発音を真似することは難しいので、寧ろキングズ・イングリッシュ(当時はそう呼ばれていた)との中間を採ることを薦める」と言って指導していた。これは中々巧みな教え方で「aやoのような母音の発音をアメリカ式にして“r”を響かせるアメリカ式を排除せよ」と言っていたのと同じ事だった。私はハリス氏に影響された訳ではないが、自然に中間派になっていた。

*Have you quit smoking for good?“

ここではアメリカ人の中で働いていた為に、“for good”という表現を覚えたという物語だった。今回は、その話ではなく“quit”を取り上げようと思う。

“quit”はジーニアス英和には「(主に米略式)人が学校、勤め、などを[・・・することを][・・・の理由で]でやめる、中止する、放棄する」と出ている。一寸見るとresignに意味が似ていると思う。即ち、「辞表」はresignationなのである。この言葉には悲しい思い出がある。それは、我が生涯の最高の上司、副社長兼事業部長が1993年に突如として辞表を提出したと聞かされた表現が、“He tendered a resignation.”だったからだ。こういう時の動詞がtenderと学んだ悲しい経験だった。“He quit.”ではなかった。

ここでquitの使われ方の例を挙げておこう。それは、トランプ様が好んで使われたとかの“You are fired.”に対する抵抗の表現だ。「お前はクビだ」と宣告された人が、“No. You can’t fire me. I quit.”とやり返したという小話。それは「貴方にクビにされない。俺の方から辞めてやる」とでも訳せば良いか。我が国とは企業社会の文化が異なっているアメリカでは「サラリー制」で雇われている社員は、雇用主の所属長の意向一つで、いともアッサリと馘首されるのだ。なお、向こうでは馘首されると次の職を得る場合に条件が悪化するので「自己都合の退職」を選ぶのだとか。

 



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