と、言いたかった…。
新年早々、親友のKが天に召された。
Kとの出会いは、うろ覚えだがお互いまだ小学生の時かも知れないが、かなり記憶が曖昧になっている。
彼はボクより4歳年下。彼も障害者で一部、機能障害が同じような障害を抱えていたこともあってか親しく付き合うようになったのかどうかは不明だが、
一緒に遊んだり馬鹿なことをしていた。
それでも中学を卒業すれば、お互い進む道が異なり頻繁に会うことは出来なくなったが、彼が僕の家に何度か遊びに来てくれたり、
一度だけ彼の家の前まで行き、当時健在だった彼のお祖母ちゃんが作ってくれたカレーライスをボクのクルマの中でご馳走になった思い出がある。
それから間もなくして彼は結婚したが離婚。
とにかく彼は女性にモテた。昨年2004年に他界した、彼曰く女優の中山美穂似の女性から交際を申し込まれたこともあったようだが断ったそうだ。
そして彼は再婚、相手の女性も再婚らしいが、美人の妻だと自慢していた。
彼が再婚してからは連絡も疎遠になっていたが、年賀状や電話では「会おう」と言ってはいたもののなかなか会うことが出来ずにいた。
それから長い年月を経て、昨年2004年9月3日の昼、彼から電話がかかってきたが、どうしても電話に出ることが出来ず呼び出し音が切れた。
折り返し電話すれば良かったのだが、何かしらやることがあり、また用事があるのならまた電話が来るだろうと考えていた。
しかし偶然とは恐ろしいもので、9月27日、某所で彼と偶然に会ったが、最初彼とは気づかず通り過ぎようとしたとき、Kが「○○さんですか?」と声を掛けられ「そうです」と答えたら「K雄です」と言った。
最初、K雄ですと言われても彼であることに気付くのに数秒要した。
何故なら、失礼だが、かなり老けていたので少し驚いたというのが正直な感想だった。
そしてボクはボクで、かなりやつれていたので最初、声をかけるのを躊躇したそうだが、いま声をかけなれれば二度と会えないだろうと思い人違いでもよいから声をかけてくれたようだったが、彼との会話を終えてから「いま声をかけなれれば二度と会えないだろう」の言葉が心に引っかかっていた。
そして12月20日にまた彼と会うことが出来たが、軽く挨拶程度で別れたが、
それが最後になろうとは夢にも思わず、年が明け新聞のお悔やみ欄に彼の名前が載っていた。
本当に、ただただ驚くばかりだった。
それが最後になろうとは夢にも思わず、年が明け新聞のお悔やみ欄に彼の名前が載っていた。
本当に、ただただ驚くばかりだった。
彼が死が近いことを悟っていたのかどうかは知らないが、電話をくれたこと、
会えたことは単なる偶然ではないと思っている。
会えたことは単なる偶然ではないと思っている。
とにかく彼の冥福を祈るばかりだ。
病院食なので味が薄いのは仕方ないが

あまりにも味気なない。

しかし、いつもは自炊なのでこんなに
作ることは出来ないし、後片付けが無い
事を考えたら文句は言えない。
最近まで柿が美味しいと思ったことは一度もなかった。
確かに食べると「甘い」しかしながら美味しいと思ったことが無く一口食べただけで遠慮していた。
それでも何度か食べれば美味しく感じるのかも知れないと、昨年あたりまで一年に一度だけ柿を購入して食べていた。
それが今年になって何故か苦手だった柿が美味しいと思えるようになり、今年になって2個も食べてしまった。
これはボクにとって驚くべき出来事。
一日一個の柿は医者を遠ざける、との言葉があるくらいだから体にはいいようだが、柿に含まれるタンニン酸が胃酸と
混じり変化し、それに食物の成分が一緒になり胃の中に柿胃石(かきいせき)と呼ばれる塊ができることがあるらしい
ので、一日に一個か二個程度に留めておいたほうが良さそうだ。
確かに食べると「甘い」しかしながら美味しいと思ったことが無く一口食べただけで遠慮していた。
それでも何度か食べれば美味しく感じるのかも知れないと、昨年あたりまで一年に一度だけ柿を購入して食べていた。
それが今年になって何故か苦手だった柿が美味しいと思えるようになり、今年になって2個も食べてしまった。
これはボクにとって驚くべき出来事。
一日一個の柿は医者を遠ざける、との言葉があるくらいだから体にはいいようだが、柿に含まれるタンニン酸が胃酸と
混じり変化し、それに食物の成分が一緒になり胃の中に柿胃石(かきいせき)と呼ばれる塊ができることがあるらしい
ので、一日に一個か二個程度に留めておいたほうが良さそうだ。
ローカル新聞でS氏の訃報を知った。
S氏との付き合いはボクが小学生のころからなので本当に長い。あまりにも思い出が多すぎて語り尽くせない。
最後に彼と会ってからどれ位なるのか正確な数字は分からないが、かなり経っていることは確かだ。
彼は野球好きという事でキャットボールもしたし野球も楽しんだ。
ただこの野球というのは他の人から見たら、あんなの野球でないというレベルだがボクのなかでは"野球"と
思っている。
彼は仕事柄、本当に障害者の事を理解してくれた一人だ。
ある障害者施設を訪れた見学者が「みんな明るいですね」といったら、S氏は「仲間がいるからですよ」と言った
記憶がある。
つまり施設にいる障害者が一歩社会に出て、健常者たちが声をかけてくれるかと言えば、当時はもっと障害者理解
が遅れている時代だから笑顔になれるのは難しいという事を言いたかったのだと思う。
彼と話したいことはまだまだ沢山あった(彼がボクと話したかったかは別だが)。
しかしもう叶うことが出来なくなった。
彼には本当にお世話になったし、いろんな思い出を作ってもらった。
本当に感謝しかない。
心からご冥福を祈りたい。そして有難う
S氏との付き合いはボクが小学生のころからなので本当に長い。あまりにも思い出が多すぎて語り尽くせない。
最後に彼と会ってからどれ位なるのか正確な数字は分からないが、かなり経っていることは確かだ。
彼は野球好きという事でキャットボールもしたし野球も楽しんだ。
ただこの野球というのは他の人から見たら、あんなの野球でないというレベルだがボクのなかでは"野球"と
思っている。
彼は仕事柄、本当に障害者の事を理解してくれた一人だ。
ある障害者施設を訪れた見学者が「みんな明るいですね」といったら、S氏は「仲間がいるからですよ」と言った
記憶がある。
つまり施設にいる障害者が一歩社会に出て、健常者たちが声をかけてくれるかと言えば、当時はもっと障害者理解
が遅れている時代だから笑顔になれるのは難しいという事を言いたかったのだと思う。
彼と話したいことはまだまだ沢山あった(彼がボクと話したかったかは別だが)。
しかしもう叶うことが出来なくなった。
彼には本当にお世話になったし、いろんな思い出を作ってもらった。
本当に感謝しかない。
心からご冥福を祈りたい。そして有難う
用事が早く終わり、少し寄り道でもと思い、青森市堤を走行していたら、いままで建っていた店舗が無くなり更地に
なっていた。
「え?」と思いながら引き返して確認すると、そこには大澤洋装店と市場が存在していた場所だ。

ボクが高校生のころまで近くに住んでいたので両店とも思い出深い。
とは言っても母に連れられて入店したのは小学校入学前なので朧げに記憶が残っているだけなのだが、それでもいろんな
思い出が残っている。
とくに洋装店の前にクルマを停めていると、ショーウインドーを磨いてる女性店員の姿を思い出される。
また、ここの並びには倒産してしまったがスーパー亀屋もあった。
さらに国道沿いには書店、おもちゃ屋、金魚や熱帯魚を売っていた店、さらに門にはたい焼きや、お焼きを売っていた店、
等など規模は小さいが堤商店街として活気があった。
しかし、それらの店すべてが無くなってしまった。
客足が遠のいた要因の一つに、熊社会に対応できなかったことが挙げられる。
なんせ多くの店に駐車場がなかったことだ。ボクが小さい頃はそれで良かった、しかし多くの人がクルマを持つようになると
違法駐車対策の取り締まりも多くなり、おちおち落ち着いて買い物が出来ないようであれば当然、客は遠のき寄り付かなくなる。
話を元に戻せば、今回無くなった洋装店と市場の店舗はかなり老朽化している。
経営状態は分からないが、このまま経営を続けても難しい状況だったのではと察する。
しかし、それにしても寂しすぎる。
なっていた。
「え?」と思いながら引き返して確認すると、そこには大澤洋装店と市場が存在していた場所だ。

ボクが高校生のころまで近くに住んでいたので両店とも思い出深い。
とは言っても母に連れられて入店したのは小学校入学前なので朧げに記憶が残っているだけなのだが、それでもいろんな
思い出が残っている。
とくに洋装店の前にクルマを停めていると、ショーウインドーを磨いてる女性店員の姿を思い出される。
また、ここの並びには倒産してしまったがスーパー亀屋もあった。
さらに国道沿いには書店、おもちゃ屋、金魚や熱帯魚を売っていた店、さらに門にはたい焼きや、お焼きを売っていた店、
等など規模は小さいが堤商店街として活気があった。
しかし、それらの店すべてが無くなってしまった。
客足が遠のいた要因の一つに、熊社会に対応できなかったことが挙げられる。
なんせ多くの店に駐車場がなかったことだ。ボクが小さい頃はそれで良かった、しかし多くの人がクルマを持つようになると
違法駐車対策の取り締まりも多くなり、おちおち落ち着いて買い物が出来ないようであれば当然、客は遠のき寄り付かなくなる。
話を元に戻せば、今回無くなった洋装店と市場の店舗はかなり老朽化している。
経営状態は分からないが、このまま経営を続けても難しい状況だったのではと察する。
しかし、それにしても寂しすぎる。
青森市の日中の最高気温が今年初の30度越えとなった。
気象庁のアメダスを調べたら14時台に30度に達したようだが、午前中クルマの温度計はすでに30度を表示。
午前中、某所に用事があり暑かったので今年初のアイスコーヒーを注文。

ここは全国チェーン店のようにお洒落のところではないので価格も安いが(どれだけ安いかは知らない)、それ以上にボクが気に入ってるのは
車いすでも他の客の視線をあまり気にせずコーヒーを飲めるという点だ。
特に午前中はガラガラで、とにかく個人的には快適なのである。
味や価格も重要だが、ボクにとっては他の客の視線を気にせず楽しむことも大切。
ボクが外食をほとんどしない理由の一つは、他の客たちの視線にある。
これで何度、不快な思いをしたか数知れず。
これからも外食は殆どしないと思う。
少なとも日本にいる限り。
気象庁のアメダスを調べたら14時台に30度に達したようだが、午前中クルマの温度計はすでに30度を表示。
午前中、某所に用事があり暑かったので今年初のアイスコーヒーを注文。

ここは全国チェーン店のようにお洒落のところではないので価格も安いが(どれだけ安いかは知らない)、それ以上にボクが気に入ってるのは
車いすでも他の客の視線をあまり気にせずコーヒーを飲めるという点だ。
特に午前中はガラガラで、とにかく個人的には快適なのである。
味や価格も重要だが、ボクにとっては他の客の視線を気にせず楽しむことも大切。
ボクが外食をほとんどしない理由の一つは、他の客たちの視線にある。
これで何度、不快な思いをしたか数知れず。
これからも外食は殆どしないと思う。
少なとも日本にいる限り。
諸事情で学生時代、学校で弁当を食べる経験が殆どなかった。
だから弁当に赤ウインナーが入って喜んだ経験もほとんどないが、それでも普段の食事に赤ウインナーが
出てきたら喜んで食べていた。
しかし、さすがに大人になると弁当に赤ウインナーが入っていても喜びはしなくなったとはいえ、高級で
もない赤ウインナーが半分だったりすると、ここまでケチらないとダメなものかと思ってしまう。
まさに某店で売ってる弁当の赤ウインナーが半分なのだ。
初めて購入した時は、まさか半分だとは夢にも思わず蓋を開けて食べようとすると半分なことに初めて気づく。
ここまでするのなら最初から入れないほうが良いと思う。
蓋を開ける前では気付かない

そして蓋を開け割り箸で摘まんで初めて半分なことに気付く

別に赤ウインナーが半分であることが理由ではないが、ここの弁当も飽きてきた。
しかしボクが作る食事のレパートリーが少なすぎるので、どうしても弁当を買ってしまう。
だから弁当に赤ウインナーが入って喜んだ経験もほとんどないが、それでも普段の食事に赤ウインナーが
出てきたら喜んで食べていた。
しかし、さすがに大人になると弁当に赤ウインナーが入っていても喜びはしなくなったとはいえ、高級で
もない赤ウインナーが半分だったりすると、ここまでケチらないとダメなものかと思ってしまう。
まさに某店で売ってる弁当の赤ウインナーが半分なのだ。
初めて購入した時は、まさか半分だとは夢にも思わず蓋を開けて食べようとすると半分なことに初めて気づく。
ここまでするのなら最初から入れないほうが良いと思う。
蓋を開ける前では気付かない

そして蓋を開け割り箸で摘まんで初めて半分なことに気付く

別に赤ウインナーが半分であることが理由ではないが、ここの弁当も飽きてきた。
しかしボクが作る食事のレパートリーが少なすぎるので、どうしても弁当を買ってしまう。
確かに桜の名所と言われるところの、ソメイヨシノをはじめとするサクラは見事に咲き誇り見応えがあるのは
間違いない。
しかしボクは個人的にお気に入りの場がある。
そこのサクラはまだ若い樹で、わざわざ遠くから観に来る人は少なく近所の人たちが楽しむといったところ。
今日も川沿いのベンチに女性が一人だけ座っていた。

この場所はたまたま通りかかったところでなく、むかし住んでいた近く。
なので余計、思入れがある。

マスコミに取り上げられることもなく、誰にも知られない自分だけの桜の名所があったっていい。
間違いない。
しかしボクは個人的にお気に入りの場がある。
そこのサクラはまだ若い樹で、わざわざ遠くから観に来る人は少なく近所の人たちが楽しむといったところ。
今日も川沿いのベンチに女性が一人だけ座っていた。

この場所はたまたま通りかかったところでなく、むかし住んでいた近く。
なので余計、思入れがある。

マスコミに取り上げられることもなく、誰にも知られない自分だけの桜の名所があったっていい。