水面の風景プラン

目標は金閣寺の池での制作。今はその為の実績づくりで頑張っています。by 平間雅己

各務原市役所4

2006-09-24 18:49:02 | 「学びの森」での美術展
9月7日
この時は20代の若者を中心に市役所で美術展の打合せをしてきました。

何時もは年配の先生に同行するかたちで打合せに伺うのですが、今回は仕事のご都合という事もあって若手だけで頑張ってもらう事になりました。

それで、何時ものごとく話を切り出す前に軽いミーティングを地下の喫茶店で行ない、今回の目玉でもあるバザーの出展の件でを具体的に話を切り出すまでのシナリオを準備



早速、窓口まで行きました。



それでいろいろ話を切り出してみたら、各務原市の方でも色々と企画を立ち上げているみたいで、その紹介やら応援の以来やら色々と面白い事になりそうな雰囲気でした。



でも、まぁ、今回はバザーの出展について話を切り出すまでが目的でしたのでそこのあたりで話をとどめました。正直、若手には話が重くなりすぎる可能性もありましたし、もう少し場慣れをしてからでないと

肉体的にも、精神的にも、時間的にも、金銭的にも

窮地に立たされますし、情熱も冷めてしまいかねません。
(現実的な側面が見えなくなってきますからね)

時々いるんですよ、そうした話を簡単に引き受けて、本人だけの負担にとどまらず、まわりまで巻き込んでしまう人。またそんな人に限って

「自分はこんなに頑張っているのに」とか
「なんでこのくらいできないんだ」とか

内心で思ってしまうんです。

それでは何も育ちません。。。若手の子達には、そんなことも理解できるようになると、もっとすばらしい人材に育ってくるのではないかと期待しております。

各務原市役所3

2006-08-13 15:55:03 | 「学びの森」での美術展
8月10日

お盆休みも間近ですが「学びの森」での美術展の件で各務原市役所に行ってきました。

       

今回は、O先生とN君(清水緑地の担当)と僕で伺ってきました。

内容としては

各種許可の申請。
現時点での参加作家のリスト
おおよその作品展示希望場所

の提示を行ってきました。

また、教えていただいた話によると隣接する大学に各務原市からも色々とイベントの提案を投げかけるようで、僕たちからもワークショップやらバザーなど参加する形で何かしら取り組みができれば面白いように思えてきました。

ちなみに、僕の思いとしては

バザーへは、1000円ぐらいを上限にして小物の販売が出来たら面白いように思っています。また、できるだけ20歳代の若手の作家を中心にして展開できると良いと思っているんですね。

それなりのベテラン作家になると、専門の画廊との付き合いとか金額的にふさわしくないとか、いろいろとおっしゃる方が多いので。

でも、考えてみるに(問題発言になるのかもしれませんが)

実際にそうした作品の売れる市場をしっかりと持っていて制作活動を続けている作家(老若男女を問わず)や画廊って、極めてわずか。。。ほとんど無いんじゃないかな?

だったら、アメリカのSOHOのように、バザーによる小作品の販売を通じてファンと呼べる顧客層を広げてゆき、そこにオフィースとしての画廊が関わってゆく環境を目指した方が良いように思ったりしています。

また、岐阜の地でも「箱もの行政」と非難されながらできた、公共的な施設が一杯あるのだから、そうした方向で開放してもらえると面白いかもしれませんね。

もちろん、作家、作品の主義主張によっては到底受け入れられないものも出現してくるでしょうが、仮にそうした人たちが、公共という体制に反発するようなかたちで作品発表の場を展開してゆくにしても、批判できる相手がいて成り立ってゆくものだし、お互いに刺激し合う関係を築く場ともなるでしょう。

また、仮にですが。。。。

そんな中から、スーパースターと呼べる作家が出現したらどうでしょう。

それこそ、その地域にとって文化を発信することになりますし、町の活性化の起爆剤になるやもしれませんよね。

(他の国から税金をつかって買った作品を見てもらうよりも、外国や他の都市から来た人にまず見てもらいたい「美術館」が生まれる切っ掛けになるんじゃないかな?)

シンポジウム

2006-08-09 21:01:30 | 「学びの森」での美術展
8月5日

今年も、岐阜県中津川市蛭川村の「石彫の集い」が行われ、みなさん無事に石彫作品を完成されたようです。

       
毎年この時期は郡上八幡の方で「彫刻村」として木彫のシンポジウムされているMさん。 「20年以上石材に触っていないから大変」と語ってみえました。

       
御年70歳を迎えたIさん。 「この年になると疲れるわ」と言いながら、2m四方に及ぶ岩盤を加工されていました。

とはいえ、皆さん本当に楽しげでしたね



過去に僕も参加したことがあるのですが、

2週間あまりの短時間での制作のわりには、何時も、皆さん巨大な作品に挑まれる。
挑んでしまう。。。w

一見して「どうして?」と思えてしまうのですが、そう思えるような環境がある蛭川村が何よりも素晴らしいということなんしょうね。

例えば、

古代エジプト何かだと、思わず巨大な建造物に挑んでしまう人たちが何万人も集まって、作業(立派な仕事)をし、そのあとの宴を楽しんでいたわけだから、ピラミッドが巨大になるのもうなずけます。

なんせ、前回より大きいものを作った方が、宴の席の話題が盛り上がるのですから。(笑)

辛い重労働であればこそ楽しくなければ続かない。わくわくしなければ続かない。

とっても純粋なありながら、不純でもある面白さ、そこには人としての本質があるのかもしれませんね。



いま、各務原市の「学びの森」で企画している展覧会もそれと同じように思います。

以前だったら否定的な意見が先方から出ると、みなさん直ぐに弱気な感じになることが多かったですが、今では「まぁ、この程度なら」と言えてしまっている。

その逆に肯定的な意見が出てくると本当に嬉しそうな良い顔をするようになった。

みなさん、楽しげな良い顔をしている。。。
本当に素晴らしいことですよね。

中濃地区

2006-08-09 14:29:17 | 「学びの森」での美術展
8月1日

中濃地区の高美展の講評会にいってきました。

       

前回、西濃地区で観覧しに来ていただいたS君が講師をされていたのね。

内容としては、前半がS君の活動研究の発表会。後半は生徒作品の講評会の2部構成でした。

愛地球博でのリサイクルアート。
堀川での水質調査隊にアートの立場から参加した経験。
中電でのマンモス制作。
名古屋セントラルタワーズでのライティングアート。

実際の経験をふまえて、制作にかかる金額とそのやりくりの難しさの話と、その話を聞きメモを取る引率の先生の様子は好感が持てました。

ここで、話はそれますが。。。

実は、S君とは事前に打ち合わせをしていて、何かしらの形で僕も発言するよう話をふってもらうサプライズを考えていたのですが、全体の雰囲気を壊しかねない感じがしましたので、それを控えました。

ちなみに、話がふられたとして、あのとき僕が話そうとした内容は。。。

企画を立てアプローチしてゆく意味。
作品を展示する際の許可申請の重要性。
実際に交渉に立ち会ったF先生とS君について。

そして何より、アトリエや部室にこもって作品を作るばかりが美術科教育の意義ではなくてより社会に接した、強いていうならどの教科よりも、はるかに現実的な人間社会に接したカテゴリーであること。

でした。

それが、小学校、中学校とは異なる。
高校から大学の研究に繋がるより専門的なテーマへ展開が可能で、
それが見つからないと、大学に行く意味を見失いかねないことを優しく間接的に伝えることが出来れば、より広い意味での社会に対するメッセージになるのではないかと思っていました。

西濃地区

2006-08-08 18:10:08 | 「学びの森」での美術展
7月30日

岐阜の西濃地区の高校美術展の講評会にいってきました。

       

講師と言うことで環境芸術を考えている作家としての立場から、生徒の作品の講評を行いました。

作品が置かれるということ。
作品のイメージを言葉に変換しながらその都度、客観視してゆくこと。
シャッター街と呼ばれてしまっている商店街や企業等への積極的な試みの勧め。

僕たちの市役所等で行ってきた展覧会開催の提言を通じ、公共機関がより市民に優しい場所になってきて、高校生の提言や試みの声を逆に聞きたがりはじめていること。
(不祥事な話題が多いので特にね^^:)

を、時折、語りながら話を進めました。

また、同席されていた教員の方々にも「生徒に頼られると半ば嬉しいものですよね!」と話をふって、企画書の立て方に付いては「よくご存知の授業の教案の組み立て方と全く同じ。。。」ということで話をしました。



岐阜駅600mの美術展
花フェスタ記念公園での美術展
清水緑地
学びの森

既に、そうした社会参加型ともいうべき芸術活動は実証済みです。

実は、今回、その活動に参加されてきたO先生とS君も同席されていたので

僕の方から「間違いなくそうでしたよね/」と話をふったら

O先生・S君「そうです!」と軽快にご返答をいただきました。

そんな様子に感化され、若き挑戦者が現れることを期待したいですね。

各務原市役所2

2006-08-04 16:41:19 | 「学びの森」での美術展
しばらくぶりの更新でなんですが(8/4現在)。。。。


7月27日

各務原市役所へ「学びの森」での展示の打ち合わせに行ってきました。

       

前回は美術教師のM先生と二人でしたが、今回は大学で研究室職員をされているS君と「清水緑地」の窓口としてお願いしているN君との4人で向かいました。

今回の一番の目的は、S君のご紹介。

S君は地元が各務原市と言うことで、若手の地元アーティストと言うことで関わりを深めてもらいたいのね。

       

また、偶然ですが「学びの森」の管理運営をされている部署の方も、各務原の小、中学校の母校がS君と同じということでしたのでかなりの親近感! なかなかいい感じでした。

メールアドレスも確認できたので、これから色々な形での情報交換が出来るので楽しみですね。



余談になりますが、

少し前までは、自分がどのようなアーティストか説明するのに作品の写真を片手に説明することがほとんど。

そんでもって時より、より深く理解してもらう為に貸し画廊で個展を開いたりしたものなんですね。

でも、今では多くの作家達がそれぞれにホームページやブログなどを立ち上げ簡単に情報を発信しています。

日々の生活の、ささやかな出来事さえも即日に取り上げ公開できるとはあの当時では予想も出来ませんでしたね。

だからこれからの作家は、制作とともに日々の制作の記録をこれまで以上にしっかりと整理しておくと、それぞれに今後の展開が加速度をますのかもしれませんね。

******

       

こうした市役所での説明は、かなり神経を使うので一通りのことが終わると、やはり、どっと疲れがでます。

まぁ、こんなあとは喫茶店で一服したい心境です。。。

みんなw、お疲れさまw。。。。

ほうこく

2006-07-24 23:47:27 | 「学びの森」での美術展
7月22日

夜9時に喫茶店に集まってN君の岐阜市役所での報告会を行いました。

報告内容は、下記の通り。。。。




市役所の公園整備課に行ったものの、担当者が変わっていて、去年おこなったイベントのことも知らなくて大変でした。

M先生の名刺を出して、昨年、お世話になったO氏さんの名刺を出したところ対応してもらえた。

清水緑地の使用に付いては、展覧会会期前に信長祭り、中山道祭り、のイベントがありますが問題ないとのことで、蛍のエリアに付いては使用を絶対禁止。

(あと、施設使用許可書、減免後援使用届の2枚を貰ってくる)



担当者が変わっていることは予想していましたが、N君にしてみればイレギュラーな出来事で相当慌てたかもしれませんね。

まぁ、その為に、M先生の名刺その他を持たせてはあったのですが、慣れていないとそこで引き下がってきてしまうものだし、ましてや、昨年の担当者の名刺がでてくるところなんかは、よく頑張ったよね。

でも、よくをいえば次回から話をする時は出来るだけ、そうした人脈が見える様な名刺とか見せること無く話ができるように、考えてみてほしいかな。

それが、独自に行動を起こせるようになる基本的なスキルに繋がってゆくと思うから。

アーティストは基本的に独りですし、現代美術やコンテンポラリーな視点に立ち発言する以上、時として、孤立し孤独を味わうことも覚悟しなければいけない場合があります。(僕の経験上)自ら望まなくても、孤独に立ち返らざるをえない時が必ず来ます。

そんなとき、ご自身に何が残っているか想像してみてください。

きっと、ハラハラドキドキし夜も眠れなくなるぐらい緊張し悩んだ経験しか残っていないでしょう。

また、それこそが個性的な主義主張の本質につながるのではないでしょうか。

うちあわせ

2006-07-17 21:14:37 | 「学びの森」での美術展
7月14日
夜9時に村上記念病院前のコメダ(喫茶店)にて会合。

先日のブログにも記載しましたが、今年の清水緑地(岐阜市加納)での展示の窓口は、若手の作家の子にお願いすることに。

もちろん、僕たちサイドで岐阜市役所へ提出する書面などの確認は行いますが、その書類の提出と先方の用件をうかがってくることで、今回の展示の窓口として運営に関わってもらいたいと思っています。

       

昨年度の関連書類の引き継ぎ

       


若手の作家、といいますか、ほとんどの作家がアルバイトをしながらの作家活動で頑張っています。軽作業とかお店の店員をしながら。

そうした状況で頑張っているのですから、どうしても、ホワイトカラー的な接し方が出来なくなってきます。市役所とかに話をしてくることとか、全く機会がないと言うのが現実です。

でも、しかし、現代美術とかコンテンポラリーアートとかは、少なからず現代社会の有り様に関心を持ちながら発言して行くことになるのですから、必要なスキルであることに間違いはありません。

ですから、早い段階(若いうちに)できるだけ多くの公の場での経験をしておくことが大切だと思うのです。


余談ですが。。。
僕の経験から言うと、そうした経験の乏しい作家は内弁慶的なところがあって、世の中に不平不満を言っているだけの人が多かったです。
また、意外にそんな不平不満を、良い意味での批判的な精神と勘違いして意固地に引きこもっている作家擬が数知れずいました。(みじめです)


もちろん、いきなり市役所に行って話をしてこいと言っても出来るわけがありません。

慣れた人が一緒に行って場慣れすることが必要ですし、はじめのうちは窓口を紹介し引き継ぎもしてあげなければ話を切り出すことも難しいでしょう。

そんなわけで、今回手伝ってもらうN君(若手の作家)には、昨年の岐阜市役所での打ち合わせに、場慣れをしてもらうことを目的に同席してもらっていたんですね。

また、彼が話をする段取りとして、昨年担当されていた美術の教員の方に名刺をいただいて「N君ですがお世話いただきます」と書いていただき、その名刺を持って市役所まわりをしてもらうことにし、

仮に何か難しいことを言われても、分からないことがあれば「先生方にうかがってきます」といって逃げておいで、と、指示してあるのでN君としても精神的に相当楽にうかがえるとおもいます。

あとは彼次第です。頑張ってN君!

方向性2

2006-07-15 14:46:55 | 「学びの森」での美術展
この数年。

「岐阜駅600m」を活用した美術展
河川法の許可を必要とした岐阜駅南口広場の「鮎の池」
「清水緑地」
「花フェスタ2005ぎふ」での美術展、

などに関わってきて

岐阜県の元教育長の吉田豊氏、曰く「今までに聞いた事も見た事も無い、前代未聞の展覧会を実現させた彼らを評価したい」とお言葉をいただいたのは僕たちにとってこの上ない誉れだった様の思います。

とは言っても、僕にできたことは全体の方向性を提言する事で、それを極力、即答の形で示す事を心がけただけでしたが。

方向性を示すという事は、僕の場合、自分の制作で経験してきた事をもとに、どのように問題を解決してきたかを作品の記録を通して語る事であり、そうした問題を克服してゆく中で得られた理想とも言うべきビジョンを、揺るがない心で理念として語ることでした。

正直、地位や名誉には全く興味がないので「学びの森」での美術展もそうしたこれまでの方向性を語り、楽しく盛り上がってゆければと思う。

方向性

2006-07-12 13:29:53 | 「学びの森」での美術展
さて、各務原市役所での提案をしたので、この後の段取りを考えねば。

各務原市の「学びの森」は基本的に岐阜駅600mでの展示をメイン会場とした構想計画なので、これまで行ってきた岐阜駅南口広場での壁泉での展示や岐阜市加納の清水緑地での展示も継続して行っておきたい。

でも、こうしたやり方で回数を重ねれば今以上に仕事量が増えてゆく、現実的に無理です。

ですから、当初から提案していた通り、それぞれの会場に担当者を置き、アートコミュニティー的な集まりとして運営してゆく方向で役割分担を考えないといけないと思う。

ただ、こうした役割分担と言うと利権問題が生じてくるようにも思うし、アートコミュニティーを私的なテリトリー化をされては、今後の展望を望めなくなる。

だから、できるだけ若手(若手の作家や学生とか)に任せる事が望ましい。

もちろん、会場使用の手配や手続きなど知識や経験を必要とする部分に付いては大人がサポートにまわる形で盛り上げてゆく事が重要だ。

例えば、音頭をとるのは年配の方で、中堅どころが相談役になり、実施運営は若手の力で。。。。

次世代を担う若者達を育てるという位置づけに何とかできないものかな。

そこに環境芸術を志す作家の受け皿的な基盤が出来上がってくるように思う。