水面の風景プラン

目標は金閣寺の池での制作。今はその為の実績づくりで頑張っています。by 平間雅己

こんぽう

2006-02-21 10:45:02 | weblog
2月20日

きのう、掃除の続きをし始めたら過去に作った石の小作品がころがっていた。

石材という事でそれまで雨ざらしの状態にしても大丈夫なのでそのままにしておいたんですが、昨年行ったグループ展とかその他で出品発表した作品をそのまま野ざらしにしておくのはさすがに気まずいきがして梱包することに。

作品という事でかなり不定形なんで、いざ保管となると積み上げる事も出来ないのでベニヤ等を使って箱を作り積み上げる事に。

ベニヤについては、作業現場で使わなくなった廃材をもらってきてあるのでそれを使用することにしました。

廃品という事で全体にホコリがかかって汚れていたり、大きな傷跡があったりと見栄えが悪い。
廃品を拾ってくる時も電動のこぎりで切った時に刃が欠けない様、小石や区議が刺さってないものを選んでくる程度の選別しかしないので仕方がないのですが。

まぁ、廃品の再利用と言えば聞こえもいいのですが、
最近もらってきた廃材が多すぎてスペースを占領しているので少しでも消費して
場所を広げたいのが正直な気持ちなのですが。。。



とりあえず保管という事で、これまでにも梱包素材として使ってきたけれど、時間が経ちにつれ外観の悪さが気になってくるなw

とはいえ、今更、全ての梱包を新しいベニヤに変える気もしないし、見ようによっては、頑張ってきた痕跡である様な気もするので判断が難しい所です。

汚い箱(梱包材)に、黒いマジックとかで作品名と制作年月日なんかを記入してあるんだけど、10年以上も前に書いた跡だと思うと無造作に消すことができない気になるのは物作りの性なのかな。。。

作家として、作品自体に神経が使われていればそれでいいという気もしますが、自分がその時代にその瞬間に何をしてきたか刻み込む事が作品の本質でもあるので、そうした所に神経が行き届かないのは、文化を築こうとする立場なら問題がある様に思う。

作品を創造するということは、その一瞬に何かを刻むこと。

決して「切り刻む」様な事ではない。
規則正しくもないが、ひと繋がりになるもの。

首飾りの宝玉をつなぐ糸の部分。

宝玉が重ければ肩もこる。時として首を絞める糸にもなりかねない。
そんな魅惑的なものなんですけどね。