水面の風景プラン

目標は金閣寺の池での制作。今はその為の実績づくりで頑張っています。by 平間雅己

各務原市桜まつり

2007-04-15 13:21:07 | 各務原桜まつり
4月15日

今回、作品展示でその表現にクレームが生じて作品を移動する事となったのですが、僕自身もいろいろ考えさせられましたね。

実は、僕自身がそのクレームを直接うかがったのですがその内容は具体的には下記の内容でした。

「死体だ」
「気持ちが悪い」
「反戦の意味がある思想的なものだ」
「何が「My love」(タイトル)だ、子供を産んだ事が無い人間にそんなことを言う資格は無い」
「こんなもの展示する事自体間違っている」
「よそから来て、各務原を侮辱しないで」などなど

正直、かなり過激でしたね。

僕の経験上こんな時は、とりあえず、先方のご意見を全て聞くことが大切なことは分かっていたので、黙って話を聞く事につとめました。

もちろん、先方が相当に興奮されていて作品の表現への指摘ではなく、作者の人間性や思想的に否定するような発言とかがあれば、事実と異なるので「全くそのような事はありませんよ」と暗に否定しつづけましたけどね。

それと同時に作者の女の子がどのような反応をするか見せてももらいました。

何も言わず睨みつづけていました。
だからよけいに先方もエキサイトしていたかな。

しかし、それと同時にあの様な状況だと普通の子だと泣き出してしまい話にならない事が多いのですが、それが無かっただけ大したものだと感心もしました。

また、後日、彼女のブログの中で

「桜祭りの展示ですが、人形が気持ち悪いというクレームがあったので撤去となりました。確かにさわやかな内容ではないです。残念ですが仕方ないです。でも、作品を変える気は今のところ無いです。」

と、はっきりとコメントしていた事は、僕には、かなり好感度がもてる反応でした。

何故、好感を持ったかというと、あの瞬間から彼女がアーティストの仲間入りを果たしたと思えたからです。

自分の表現を創造し保持し続ける事は時には過酷な状況に追い込まれる事もあります。今回は彼女にとって作家としての姿勢を試された瞬間だったのではないでしょうか。

あの時、黙って睨みつけていたのは、反論する言葉を準備できなかった未熟さの現れですが、これは彼女にとって今後の課題なのかもしれません。

感情的に怒鳴り合って、勝った負けたと罵り合うのではなく、大人としてしなやかに、誘うような説得力を持った言葉を探し続ける事が表現者の姿勢を示す事に繋がって行くでしょう。

学校や仲の良い人達に囲まれて、自分の表現を支えてもらうことも必要ですが、今回の桜まつりのように公共の場での美術展示では、一般の厳しい意見を聞く機会はそれ以上に重要です。

加えて
「近くに展示専用のギャラリースペースがあるからそこでやれば良いのに。。。」
という意見もそのときされましたが、

そうした意見をどのように受け止めるか作家の彼女、というよりは、今回参加していただいた皆さん、できればご協力いただいた関係者各位の皆様にも、どのように返事をしたら良いものか答えを探していただけると嬉しいですね。

そんな皆さんの姿勢こそが「文化の礎」だと思います。