利己的な思いからはじまり、何時しか他者への気遣いなされるようになって
作品は表現になる。
表現である以上は、見てもらう相手がいるわけで
見ていただく、見せていただく関係が
大切なんじゃないかな。
僕の制作も
個人的な欲求や好奇心から始まり
それを誰かに分かってもらいたいから
表現を具現化させようとしている。
それは単に作品単体の存在で意味するのではなく
その行為から生じる「人ともの」「人と人」「モノとモノ」
相互の関係を築くなかに育まれるものでしょうね。
そんな思いから
池でのインスタレーションを行ってきたわけだけど
東日本大震災での津波のイメージが余りに強烈すぎて
あの時どれだけ表現の主旨を叫んだとしても
理解は得られないような気になっています。
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次の制作プランを実現させたい思いと
被災の現状を思うと無理なのかと断念したくなる気持ち。
その間で僕なりの答えが出せなくて悩みますが
今は別方向で作品作りを進めてどんな形でもいいから
「手を動かし続ける」
その中に活路を見出すつもりです。
また、池での制作(構想計画)には膨大な時間やお金を費やしますが
今はその負担がないので
これはこれでチャンスだと考えました。
芸術活動とは別に仕事に就くようにしましたし
企業の中で今までとは全く違う経験を積む事で
人的窓口やキャパシティーが広がりました。
今なら状況さえ整えれば
大規模な金属加工も依頼できる様に思いますし
塗装も依頼できそうです。
企業からの見積もりも得ることもできるでしょう。
ISOの知識や経験も
制作環境の効率化を飛躍的に向上させてくれました。
また、これまで作っていた企画書よりも
更に具現化の可能性を高めてくれる企画を作れるようになった気します。
「急がば回れ」で思いっきり回って
経済的な生活基盤も得たようにも思います。
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僕自身どんな障害も自分の都合のいいようにしか考えない性格で
そのいい加減さに自分でもあきれていますが。。。
全て一人では出来なかったので。。。
とにかく、感謝感謝です!
さぁ、制作も仕事も頑張ろう!!