1990年頃から
当時では珍しかった公共空間への直接交渉による
インスタレーションの企画展示
大学のキャンパス内の敷地から始まって
美術館への直接交渉。
公園での実現のため市役所まで直談判。
身近なところからはじめて増殖的に展開していたのよね。
後に
東京の大学の企画展や
コンペディションによる金沢城址公園でのインスタレーションを経て
岐阜駅周辺や各務原市の公園の池での実現し
その経験を生かし各地での美術展企画や運営に携われたことは
僕の表現行為の地域社会における有意性の実証にはなったと思っています。
ですから、
金閣寺での実現という「夢」を残してますが
当時目標にしていたプラン実現(制作)については一区切りしている様に思います。
*
何時か分かりやすい形で、その記録の編纂作業をしなければならないのが
今の課題なのかもしれません。
単に企画展示会を開くとか、図録を作って満足する様なものではなくて
「過去の事例」としてこれからの人たちが活用できるツールに仕上げる。
「彼奴ができたんだから(やらせたんだから)、俺たちだってやれて当然だろう!」
という程度のもので、
ただし、
それにはちゃんと手順を踏むことが必須で
極力迷惑をかけず、単なるフォーマットとして。。。
一歩踏み出した知恵と勇気の後押しになればとおもいつつ。。。
陰ながら応援したいのよね♪
p(^^)q
北九州市美術館 別館アネックスにて(1994年3月)