先日、名古屋の画廊で元教員だった人たちと(若干現役教員もいましたけど)
「もう現代美術は終末を迎えているから、どうやって縁を切るか!?」
って話で盛り上がっていましたわ。
定年退職を迎えた元教員だった人は
「俺たちの頃までがギリギリ良い時代だったけど、40代前後の連中は絶望的だわな。。。俺たちは人生を終えている身だからいいけどw」
「俺たちだって学校を出たら仕事なんてない。。。これからの連中はどうするんだろう」
だってさ。
あれから時間をおいてじっくり考えてみたけど、
結局のところ彼らは、地位や名声を手に入れたものの
一人の表現者として時代に何かを刻み付けたという自負がもてないまま
「人生終末論」を語っている(楽しんでいる?)のだろうと思ってみたり。。。
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僕の場合は、10代の終わりから20代にかけて「池の中に鉄板を沈めるインスタレーション」を中心に制作活動を行っていたから、将来の展望なんてはじめから絶望的だったよね。
「これでは食べてゆけない」
「美術館に直接交渉して制作なんて、美術界を敵に回して自殺行為だ」
「無理だ」
「そんなパワーがいつまでも続くものか」
などなど、揶揄されて冷ややかなものでしたよ。
だけど、それでも駄目もとで何度でも挑戦しているうちに
ささやかな成功でも「やったな!」って声をかけてくれる人が現れ。
生まれて初めての個展は名古屋造形の4年制大学の開学式典で開催できたし
それを切っ掛けに研究室で勤める様になり沢山の学生たちとの出会いもうまれた。
また、独立してからは小作品を買ってくれる人たちにも出会えて
多くの人たちに物質的にも精神的にも支えてもらえた。
30代になってからは、
金沢城址公園での野外アートコンペで実制作を行い
公での制作活動の実績を作ることができた。
そして、とりあえず公の場で認めてもらう事が目標だったので
個人プレーでの直接交渉による制作活動にも一区切りする事ができた。
30代後半は、
個人プレーからグループ活動へと活動スタイルを変えていった。
また、これまでの制作活動で培った直接交渉のノウハウをオープンにして
地元である岐阜で母校の高校の恩師に協力する形で
公共空間での美術展の企画運営に携わり、
ドサクサまぎれに自分の作品の企画も突っ込んで
岐阜駅前の河川や愛知万博関連事業にも抱き合わせる形で
インスタレーションを実現させていったっけ。
40代になってからは
自宅のある各務原市で、ご近所にある「学びの森公園」を舞台に
美術大学の学生たちと美術展を開催してました。
「岐阜都実行委員会」という団体を立ち上げて美術活動の提案と支援を行うスタイルで
若い学生たちに公共空間での展示活動のノウハウを学んでもらう事を目的に活動していました。
今では、当時の学生たちも社会人となり、散り散りになってそれぞれの人生を歩んでいますが
いつか、いつの日か彼ら、彼女らが「制作がしたい!」と思い至った時に
各地の市役所に飛び込みで企画書を提出しにいった経験が役に立つ時が来ると信じています。。。。。
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話がそれましたが
だから「人生終末論」を語るジジイたちに言ってやりたい。
未来はあんたたちが思っている以上に。。。
v(*'-^*)bぶいっ♪
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