水面の風景プラン

目標は金閣寺の池での制作。今はその為の実績づくりで頑張っています。by 平間雅己

濡れ肌

2005-10-20 22:25:02 | 花フェスタ模型
10月20日
先日、試しに塗ったセメントの様子を見てみたら、それほどの変化も無く安定していることが分かった。

乾燥までの間に、セメントの水分が濡れ肌の様になったことが今にして思うと印象的だった。

そういえば、石でこうした模型や商品を作った時も水による濡れ肌の色が欲しくて作り始めたんだよね。カシューでの研ぎだしをマットな仕上げで押さえているのも、最終的には水の塗れ肌が際立つことを願ってのことでした。

それで、今度本番の塗りを終えてみたところで池の部分だけにメデュームを塗ってみようと思う。

濡れ肌を演出するためにね。

メデュームの他にもオイルフィニッシュも試してみようかと思っている。どんな表情になるか楽しみだ。その過程でコンセプチャルな発想にたどりつけたら、一石二鳥かも?

まぁ,悪戯の様な試みが発想を豊かにするということで、明日の作業までもう少し楽しみ(イメージトレーニングをし)たいと思う。

逆転の発想

2005-10-18 22:42:29 | 岐阜駅の展覧会
10月18日
今日は、夕方6時に急遽連絡が入りJR岐阜駅のアクティブG事務局に向かいました。
       
今回話し合われた内容は、助成に関する話し合いで、パンフレットに記載する名目などの打合せでした。 このところ県議会からの意見もあって産業文化財団の解体とか、いろいろ情勢が厳しいとの内容の話が話題になっていました。

正直な話、大きな所でどの様にどのような金額が動いたか全く知らない中で、というよりは、そうした恩恵を肌身で感じたことが無いこちらサイドのから見れば、有っても無くても変わらない様な錯覚を持ってしまうが、ここは意識を強く、志を高く、必要なものは必要と声をあげんならん場面だと感じました。

芸術に関わる金額という話になると、なんだかタブーにされがちで芸術に携わるものであっても戸惑いを感じてしまうものですが、これまで携わって来た

岐阜駅での美術展の開催(3回目)
岐阜市街再開発のマスタープランへの「芸術によるまち作り」の提案。
旧岐阜駅ステーションビルでのさよならコンサート。
旧岐阜駅改札口に掲げられた坂井じゅんきちの鵜飼の陶壁画の保存活動。

などのボランティアによる啓蒙活動的な活動は、金銭に関わる部分での戸惑いを一蹴できるほどの強くたくましい志(精神)を育んでいたように思います。

また、市の予算が大幅に削減され、郵政民営化にともなうお金の流れの変化が、県の様々な事業への見直し案につながっていると思います。きっと「国が何をしてくれるかではなく、民が国に何が出来るか」と、問われる時代が来ているのだと思います。

が、逆転の発想をいえば、だからこそ、バブル不況の時代を生き抜いた芸術家が公に何をすることができたか訴えることが出来るのではないでしょうか。

どさくさまぎれに暴言のような発言をして事を成していたバブル時代の発言の仕方ではなく、事実を伴った発言が出来る今の彼等が如何に可能性にあふれているか。。気が付くべき時が来ている様に感じている。

湿気が

2005-10-17 20:23:26 | 花フェスタ模型
10月17日
今日は台風接近に伴い雨、気温も低くて、湿度も高い。

こんな日は、とてもじゃないけと塗装作業は出来んので、模型の細かい部分を切ったりはったりしていました。

最近になってやっとスライドカッターの細かい癖が分かって来て、0.2ミリほど削ってみたり、垂直面を削りだししてみたり、ずいぶん器用に加工が出来る様になった。

もともと、石材用のオフカットが同じ様な構造で扱いにはなれていたけど、石材用のダイヤモンドカッターは仮に少し触れたとしても擦り傷程度で済みますが、木工用のチップソーでは触れた瞬間に骨までいってしまうので神経を使うんだよね。

だから、気が乗らんときや出ばなをくじかれる様なしくじりをやったときは、もうその日は電動工具で作業をしない様にしていたからなかなか道具に慣れんかったのかも知れんなぁ。

プロの大工や建具屋だったら何を怠けてる! と、ど叱られそうだけど、木、鉄、石を次々とめまぐるしく扱いながら、突然塗装やモデリングし、夜になってからは、パソコンで書類作りと画像処理。そんな落ち着かない状況でやっている以上、理屈じゃなくてヤバイと感じたら手を出さないことは鉄則だと思う。

怪我をしてからでは遅すぎるからね。

とまぁ、今日はそんなことを思いながら裁断作業を行っていました。

今後の予定としては、セメントとボンドを練り合わせたものに骨材(砂)をまぜて試してみようと思っている。マチュエールをたのしむ目的で入れるのだけど、MDFのつなぎ目の所に塗ることでより自然な感じに仕上がらないかと期待して試みたいと思っています。

あとは、使い始めに湿らせる刷毛の水分をどのように処理するか、乾いたまま使用すれば刷毛が広がってすぐに使い物にならなくなるし、水分が多ければ塗装した際に白いヌタ(のろ?)みたいなのが浮かび上がってくるので仕上がりが汚い。

そうそう、仕上がりが汚くなる危険があったので今日は塗装をせんかったんだ。。時間は無いが気長に行こう。

ためしぬり

2005-10-16 18:47:06 | 花フェスタ模型
10月16日
今日は先日買って来たセメントを試しに使ってみることに。

使うと言っても、普通に水を入れ撹拌して左官の様に塗るのではなくて、木工用ボンドをまぜて刷毛で塗るんです。

塗料の定義は、顔料と接着剤を合わせたもの。ということで、顔料にセメントを利用している今回の塗料はセメントは元々の接着剤として使われているものですから、接着剤を接着剤で混ぜ合わせた塗料という何とも変な感じです。

これまでにも、コンパネとか木材に利用したことはあるのだけどMDFは初めての試みなんです。
水分を嫌うMDFがどのような状況になるのか予想が出来なくてね。普通に塗料を塗ると時々繊維状のばさつきが出てクラッキングや縮み、剥離を起こすので今回は様子見です。

       

一度目の塗布で、心配していた表面の異常は現れず、水分が揮発し、混合した木工用ボンドが硬化したのを確認してから二度目の塗布。

2、3日放置してみて剥離を起こさないことと、木工用ボンドを利用しているので表面の色合いがどの様になるか(ぬれ肌のままか)、模型としてふさわしい色合いと質感になっているか、たのしみです。

被写体に

2005-10-15 17:01:36 | 岐阜駅の展覧会
昨日の夜から,岐阜駅の美術展の準備で徹夜。
それから、今日は朝から岐阜駅のハートフルスクエアーに展示品数と作品を展示する為の什器使用の届けでを行ってきました。
       
それで、展示場所を確認しながら会場を巡回していたら300人の写真展?みたいなタイトルの展覧会が行われていて、それを見ていたら、

何と!

花フェスタでの僕の作品が写真の被写体になっているではありませんか。

       

花フェスタの作品では、トレビの泉の様に大量の硬貨が投げ込まれ、自分の作品の話をしようとしても「お金がいっぱいだった池でしょ!」という反応ばかりで正直快く思っていませんでしたが、ここに来てやっとお金ではなくて作品として?見てくれている人が現れた様な気がして嬉しかった。

ハートフルの準備で一緒に来てくれた人も腹を抱えて笑い転げたもんな。。今にして思うとどういう意味だ??

でも、ちょっと面白かったのでその写真を見てくださいね。

また変な思い出を作ってしまいました。。。

セメン

2005-10-14 17:03:24 | 花フェスタ模型
日曜にセメンと買ってきました。
模型の仕上げにセメントを塗ってやろうかと思って買って来たわけですよ。
水でといて木工用ボンドを混ぜて

♪ねるねるねるねをしってるかい?♪

て、感じで撹拌して刷毛で塗るつもり。

セメントと言えば,相当昔に石膏の代わりにセメントで中型を作った覚えがあってね大変でした。

白髪鬼の様な美術の先生に言われるまま、素手で練り合わせ流し込んだんですが、強烈なアルカリ性で手の皮がぼろぼろ。。指の関節のシワのところなんてひび割れ起こして、痛いの、かゆいの、動かんの。。

そんなんなった後で、白髪鬼からお前手袋も付けずにそんなことするからだと軍手をプレゼント。

そんなんで作業を続行することになったが、翌日になってみるとより酷い状態に。

お陰で搬入日が近いのに暫く作業が出来なくなって、そんな焦っている僕を横目で見ながら白髪鬼が「やっぱりだめだったか」っと一言漏らしてどこかへと姿を消してしまった。。

「これはおかしい」と感じて、図書館に行き調べまくって、強烈なアルカリ分を含んだ水気を防がんかったら何の意味もなく、布で出来た安い軍手で防げる訳が無いことが判明。

何でも知っている顔をして、ようは人を実験台にしたのね。(`Д´;)

そのご、もう一度セメントによる流し込みをする機会があって、別の先生に先達ての話をしたら、離型材の代わりにメンソレータムをエンジンオイルで溶かし塗れというご説明。。今度は手が荒れてもメンソレータムだから大丈夫というご説明。。

流石にその時は僕も用心したね!
こればかりは絶対に手を出さなかったよ。

案の定、作業をはじめてみるとうまくゆかなくてね。
先生がエンジンオイルにメンソレータムが溶けないからと火で下からあぶっていたら訳の分からん黄色い煙が立ちのぼり、苦しくて息はできんわ、目は腫れるわ。。

結局、部室から逃げ出して2,3ヶ月は臭いが残っていたもんな。

あれをまにうけて、独りで作業をしていたらと思うと怖いよ!

そんな頃からかな、先生と名の付く人の話は参考にしても、100%の信用をしなくなったのは。 まぁ、お陰で独自に研究し開発してゆく姿勢はあんな頃から身につけることができた様に思うので感謝はしているけど。。?

でも、今でも性懲りも無く「お前は素直さにかける」と口を揃えて言ってくる。。

なんなんだろう。

こんな感じで

2005-10-13 20:58:47 | アパでの展示
       
11月のグループ展こんな感じの展示しようかと思います。発起人からは岐阜での動きを紹介する様な展示ということで話を受けているが、どうしても展示が弱くなって、下手をすると説教臭い展示になりかねない。

お世話になった人の責任問題になりかねない書類もちらほらとしている。そんなもの大ピロゲに見せることなんで絶対に出来ないし、僕の思いとしては、あの時本当にお世話になった人達に何かしらの形で恩返しがしたいと思いながら今日まで頑張って来ている。

彼等に顔向け出来ない様な芸術にならない様にすることが、僕の芸術とさえ考えている。

彼等が何かしらの形で報われるという確証を得ることができたなら、展示物としてお見せすることも出来ると思うが、それ以外では相当に配慮のいるのだ。

企画造形の中核となる造形理念は人と人とのかかわり合いの中に可能性を見いだすこと。それは単に、参加型の芸術ということではなく、もっと生々しい、時には禍々しい、人とのコミュニケーションの中に光る心の輝きみたいなもので、その輝きこそこの造形芸術の真価なんだ。

人間讃歌と呼べる芸術なんだ。

などと思う。

ちと余談 

2005-10-10 20:23:59 | あれこれ。。
いや~
ブラックジャック見ちゃった。。

不発弾でバラバラになった黒男くんが手術でつなぎ合わされて地獄の様なリハビリに耐え。。

10年ほど前の自分とかさなるな。。

200kgの石が足に落ちてつぶれて足の骨もバラバラ。医者からは切断の可能性を告げられ。

手術がこわくてノイローゼになったなぁw

すぐに手術を受ける事になるかと思ったら挫滅した皮膚と皮下組織が壊死していて目の前で壊死した皮膚をはさみに切り取られその下に出て来た筋繊維と切断された静脈、その横に走る神経。

手術を受けるには皮膚移植を行ってからということになって、その為には失った皮下組織が、ピンク色の組織が盛り上がってくるまで消毒とイソジンシュガー、セリエスを交互に繰り返し塗布。

その間、そんなグロテスクな傷跡を毎日拝みながら感染症を防ぐためパンスポリンの点滴を継続投与。

白髪が増え、抜け毛が激しくなり落ち込んでいたら隣の病室の女の子が足の切断をする事になって夜中鳴き声が聞こえて、他人事に思えなくて発狂しそうになった。

好きな人に連絡でもして見舞いに来てもらえれば良かったのだけど、こんなところを見られたくなくて、殆ど連絡を取らないようにしていた。

というよりは,不安で不安でそんな所を見られて辛そうな顔をされたら本当に立ち直れない気がして、最悪のときは消えてしまいたいと思っていたこともあったから。。好きな人から同情されるのは死んでも嫌だったし。

僕も男の子だったのね(笑)

何とか無事手術がおわって、めでたく退院。
でも本当の地獄はそれからだったかな。

入院中ずっとベットの上で横になっていたから体中の筋肉が萎縮。血管も細くなって、一日に15分直立するのがやっとの状態。無理に立とうとすれば貧血を起こしてブラックアウト意識が飛んだこともしばしば。。

傷のため醜く変形し腫れ上がった足をかばいながらの私生活の中でリハビリを取り入れた動きをする様に工夫を繰り返していたよ。

それでも,世間は優しくなくてさ、けっこう理解されなくて酷い目にあったな。

病院に行って「平間さんは普通に歩いている様に見えるまで回復したけど、普通の人三倍は苦労して歩いていますね」と指摘さ
れ思わず涙が勝手にこぼれた覚えがあったなぁ。

。。。。。。。

今日10月10日は怪我の治療で最後の手術日が決まった日。
何回も行った手術も最後となった日。

僕にとってはそんな記念日。

僕ってすご~い!
強靭な精神力!

ということにしておきたい記念日!

かせんか

2005-10-08 05:59:13 | 岐阜駅の展覧会
10月7日
「9時に市役所集合」という事で時間を設定したご本人から「30分遅れる」と早朝にご連絡。一足早く8時40分到着しミスドでカフェオレ飲んで9時15分に市役所ロビーに行ったら、男の子二人もう来てるじゃん。

「流石、早めに来たのだな」と感心していたら、なんとその子達には全く連絡してなかった事が判明。どうも話を聞くと8時50分には現地に到着しそれからずっと待っていたのね。結局、ご本人が到着したのが9時45分で一時間近く待たせる結果に。

職場でも「君には任せるのは不安だ」と言われたと愚痴っていたが、そりゃ言われてもしゃーないんじゃないかと僕の内申書には書かせてもらってます。
(まぁ、彼も、少し鬱病気味なので仕方が無いのですが、この記事読むたびに振り返ってくださいな)

さて、それで全員集合してから何時ものごとく市役所一階の食堂で打合せ。

本日のお題は、

清水緑地、岐阜駅南口広場壁泉の占用許可願と展示計画書の提出。
続いて、河川課にいって前回の説明の時に「河川での展示は前例がない」との一点張りだったので今回は名古屋の堀川での展示の実例を紹介。
主な目的には、朝早くから来てくれていた男の子二人の岐阜市役所での顔つなぎ。
とくに、彼等の名古屋の堀川での実例の説明は印象深いものになると思ったんね。
これを機会に場慣れと顔つなぎをしてもらい、彼等独自に実働できるよう育成する事が主な目的でした。

公園整備課は非常に声の小さい人が担当してくださり、正直、聞きずらかったのですが、21歳の男の子に説明させるよう話をふる段取りになっていたので、ある意味ソフトタッチな感じなんでかえって緊張せずに済んだかな。
       
結果としては、若干の書類の不備があったものの展示案という事で提出。使用料免除書類等を11日に提出するという事で話がまとまりました。
また、11日の提出の際は21歳の男の子に書類を持って行ってもらう事にしました。ある意味パシリ!の扱いになりますが、書類を持ってゆくだけでも十分な緊張感! 良い経験になると思っての事。少しずつですがたくましくなってくれる事を望んでいます。

つづいて、河川課の方へのご説明。事前の打合せで公園緑地課とは異なり、かなりシビアな対応である事を25歳の男の子に伝えました。
そして彼が関わった名古屋市堀川での実例を説明してもらったのですが、それでもはじめは半信半疑。懐疑心の固まりみたいな表情でしたね。
1分ほど引率の高校の先生からどのようなホローが出るか、様子を見ていたのですがなかなか、対応に難しい顔をしていたかな。
       
僕の予測としては、堀川での実例の話を切り出しても、比較的冷たい反応が帰って来て意気消沈したところに、責任の所在の問題の話が切り出されると思っていて,実際そのような展開になり何お驚きも無かったな。
それよりは、責任の所在の問題が切り出されてからの巻き返しのタイミングが一番重要だと考えていたので、清水緑地のカスケードでの展示が清水川とつながる作品である事を口火に切って、岐阜駅から柳ヶ瀬市街に展開をはじめようとするスケールの大きさと、岐阜県の後援があることを提示して。。今日はそこまで。

というのが僕のシナリオ。

くわえて、S君をPR。万博のコンペでグランプリを取った作品を岐阜駅で展示する話をして、裾野の広い展覧会であり、動きである事を印象づけできたら、またいろいろな形で話が広がってくると思っています。