chapter#15 感性、興味
「記録は消えようとも、記憶は消えることは無い」
時に失敗をして、ボクは大切に書き溜めてきた記録を不意に破棄してしまうことがある。記録媒体が不慣れで、間違って破棄をしてしまったというように考え、そういう時はあっさりとあきらめることにしている。
人生の中で小説を読んだ時期、そんなものは、記憶を思い返してみるとかなり限られた時間であったはずである。たしかにそれ以外の別なジャンルの書物を読んできた時間は結構なものがあったはずである。
話は多少飛んでしまうが、このような書き出しにこのチャプターはなるはずではなかった。このチャプターを記しているときに誤りにより、データを破棄してしまったことで、後悔の念でこういうような慰めを込めた書き出しになったわけだ。
この章はすでに一度完成していたにもかかわらず、もう一度リライトをするということに、ボクは多少の倦怠を覚えていた。どういうチャプターの内容であったかということは一言一句残らずというようにはいかないが、ほとんどボクの記憶の中には残っている。ということもあり、ボクはこの章を以前ボクが読んだ書物を思い返すというスタイルでリライトしようと思っている。
ボクは、めげずに一度消えてしまったチャプターをもう一度、書こうとしている。
実際の生活では考えられらないことではあるが、このバーチャルの世界では、もちろん実際ボクの書物が出版され、多くの人の手に渡ってしまった後となると話は別になるが、現段階のウェブ上だけでこういうことを行っている段階においては、ボクという存在は簡単に消し去ることも、忘れ去られることも十分に想定されることなのである。
リアルライフと違い、どれだけ存在を示そうとしても、あくまでもそれは記憶媒体に0と1というデジタル信号をより人間に解釈されやすい形で、むなしくも記録を続けているということに他ならない。
せっかくこういう、記録と記憶ということを書くということに、恵まれたわけであるから、そのことを書くようにしよう。これまでの創作のパターンと違い、用意していたことを書くというより、突発的に書くということで、読み手はともかく、書き手としては多少違った種類の面白さを引きずれるわけである。
ただひとつ、後悔の大きい部分があるとすると、ある程度ボクなりに組み立ててきた章立てがいったん崩れるというか、別な方向に行ってしまうということである。
記憶。実際に即座に、思い出すということはなかなか難しいようだが、ある脳科学者のコメントによると、それが思い出せるものであろうと、なかろうとこれまでのすべての記憶は、脳の中で記憶はされているということのようである。すべての、よい記憶も悪い記憶も、残っているならば、ノイローゼのようになってしまう、それゆえに、こういうように、記憶という構造がとられているようである。
ボクはふと、不思議に思った。
僕の生きている中で、何かの記憶をセットで思い出す必要性に迫られる経験というのはそれほど多くない気がする。
記憶をしている。それゆえ、ボクたちにとってのメリットはなんだろうか、所詮はデジタルの記憶媒体と同じで、ボクたちもある種の、生きていくうえで必要最小限の情報を解きに、必要、不必要に応じて、データとして取り出している、それだけに過ぎないのではないだろうか?そう思ったりもした。
「倦怠を引きずっている・・・」
ボクはここまで書きながら、そういう思いを強く思っていた。
記憶が少なくとも、ボクの人生の中で生きるということがあるなら、こういうあまり日常生活では、なかなか実益につながることのないようなことをするときに限られるのかなあ・・・と。
しばらく未来から来たという僕が夢うつつの中に陥ろうとしているボクにやさしく語りかけてくれた。
「記憶を大事にしな。
いずれ、もう少しでキミはキミの記憶のおかげで、大きな成功を収めるからな」
「今、キミがつまらないのかもしれない、実はこれは間違った選択肢を歩んでいるのではないかと思っていることも、きっとキミの将来にとっては大きな役に立てるからな。」
将来のボクの横には、まだボクが見たことのない取り巻きが何人かと。おそらく、イタリアのジルサンダーというアパレルブランドのスーツをすらっときて、おそらく、イタリアかどこかのかっこいい車に乗ったボクがいた。
取り巻きのうちの一人がボクにふと語りかけた。
「先生昔はこんな文章を書いていたんですね。
きっと、こういう経験が今の先生の業績に生きているんですね。」
「先生は昔も小説を読んでいなかったんですね。小説家なのにね(笑)」
ボクは、あたたかい周囲にも、
「つまらない人間ばかりだ、死んでしまえ!」
と思いつつ、今日はとこにつくことにした。
寝る前に、ボクは昔よんだ哲学者の言葉を思い返した。
「つまらない人間は、いつも幸せそうな顔をし、たわいもないことに時間を費やしている。偉大な人間は不幸せな顔をし、幸せを享受している。より、幸せな時間を夢見ている。」
つまらない。つまるなんて、そんなことは結局ボクしだいなんだ。
これまでも、ボクは不幸せな状況を多く経験してきた。偉大なボクなんて想像上の存在なのかもしれない。それでも、強い願望を抱きながら、少しでも僕の物語がよいものになるように努力をしていこう。
誰も裏切らない。みんな不十分だが。
「記録は消えようとも、記憶は消えることは無い」
時に失敗をして、ボクは大切に書き溜めてきた記録を不意に破棄してしまうことがある。記録媒体が不慣れで、間違って破棄をしてしまったというように考え、そういう時はあっさりとあきらめることにしている。
人生の中で小説を読んだ時期、そんなものは、記憶を思い返してみるとかなり限られた時間であったはずである。たしかにそれ以外の別なジャンルの書物を読んできた時間は結構なものがあったはずである。
話は多少飛んでしまうが、このような書き出しにこのチャプターはなるはずではなかった。このチャプターを記しているときに誤りにより、データを破棄してしまったことで、後悔の念でこういうような慰めを込めた書き出しになったわけだ。
この章はすでに一度完成していたにもかかわらず、もう一度リライトをするということに、ボクは多少の倦怠を覚えていた。どういうチャプターの内容であったかということは一言一句残らずというようにはいかないが、ほとんどボクの記憶の中には残っている。ということもあり、ボクはこの章を以前ボクが読んだ書物を思い返すというスタイルでリライトしようと思っている。
ボクは、めげずに一度消えてしまったチャプターをもう一度、書こうとしている。
実際の生活では考えられらないことではあるが、このバーチャルの世界では、もちろん実際ボクの書物が出版され、多くの人の手に渡ってしまった後となると話は別になるが、現段階のウェブ上だけでこういうことを行っている段階においては、ボクという存在は簡単に消し去ることも、忘れ去られることも十分に想定されることなのである。
リアルライフと違い、どれだけ存在を示そうとしても、あくまでもそれは記憶媒体に0と1というデジタル信号をより人間に解釈されやすい形で、むなしくも記録を続けているということに他ならない。
せっかくこういう、記録と記憶ということを書くということに、恵まれたわけであるから、そのことを書くようにしよう。これまでの創作のパターンと違い、用意していたことを書くというより、突発的に書くということで、読み手はともかく、書き手としては多少違った種類の面白さを引きずれるわけである。
ただひとつ、後悔の大きい部分があるとすると、ある程度ボクなりに組み立ててきた章立てがいったん崩れるというか、別な方向に行ってしまうということである。
記憶。実際に即座に、思い出すということはなかなか難しいようだが、ある脳科学者のコメントによると、それが思い出せるものであろうと、なかろうとこれまでのすべての記憶は、脳の中で記憶はされているということのようである。すべての、よい記憶も悪い記憶も、残っているならば、ノイローゼのようになってしまう、それゆえに、こういうように、記憶という構造がとられているようである。
ボクはふと、不思議に思った。
僕の生きている中で、何かの記憶をセットで思い出す必要性に迫られる経験というのはそれほど多くない気がする。
記憶をしている。それゆえ、ボクたちにとってのメリットはなんだろうか、所詮はデジタルの記憶媒体と同じで、ボクたちもある種の、生きていくうえで必要最小限の情報を解きに、必要、不必要に応じて、データとして取り出している、それだけに過ぎないのではないだろうか?そう思ったりもした。
「倦怠を引きずっている・・・」
ボクはここまで書きながら、そういう思いを強く思っていた。
記憶が少なくとも、ボクの人生の中で生きるということがあるなら、こういうあまり日常生活では、なかなか実益につながることのないようなことをするときに限られるのかなあ・・・と。
しばらく未来から来たという僕が夢うつつの中に陥ろうとしているボクにやさしく語りかけてくれた。
「記憶を大事にしな。
いずれ、もう少しでキミはキミの記憶のおかげで、大きな成功を収めるからな」
「今、キミがつまらないのかもしれない、実はこれは間違った選択肢を歩んでいるのではないかと思っていることも、きっとキミの将来にとっては大きな役に立てるからな。」
将来のボクの横には、まだボクが見たことのない取り巻きが何人かと。おそらく、イタリアのジルサンダーというアパレルブランドのスーツをすらっときて、おそらく、イタリアかどこかのかっこいい車に乗ったボクがいた。
取り巻きのうちの一人がボクにふと語りかけた。
「先生昔はこんな文章を書いていたんですね。
きっと、こういう経験が今の先生の業績に生きているんですね。」
「先生は昔も小説を読んでいなかったんですね。小説家なのにね(笑)」
ボクは、あたたかい周囲にも、
「つまらない人間ばかりだ、死んでしまえ!」
と思いつつ、今日はとこにつくことにした。
寝る前に、ボクは昔よんだ哲学者の言葉を思い返した。
「つまらない人間は、いつも幸せそうな顔をし、たわいもないことに時間を費やしている。偉大な人間は不幸せな顔をし、幸せを享受している。より、幸せな時間を夢見ている。」
つまらない。つまるなんて、そんなことは結局ボクしだいなんだ。
これまでも、ボクは不幸せな状況を多く経験してきた。偉大なボクなんて想像上の存在なのかもしれない。それでも、強い願望を抱きながら、少しでも僕の物語がよいものになるように努力をしていこう。
誰も裏切らない。みんな不十分だが。