本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

小説014 : reProfesional#87

2008-10-06 23:55:55 | reProfesional
chapter#14 小説を読むということ

ボクは思う、自分で小説を書く以上、物語を作り上げようと躍起になっている以上退屈なそれは絶対に書きたくない。

以前の章で今時分の身近にいる「彼」という存在について記述をした、彼はおそらく、こうもりの餌食になっているまわりのやからと少しばかり性格をことにしているようだ。
よくいうと、達観している。悪く言うと、諦めを放っている。自分の人生について、彼はボクより責任を持っているともいえる。彼は未来を遠く見据える目を持っている。僕にはこの点が足りないのかもしれない。
彼はおそらく、比ゆ的意味での小説をむさぼり読むタイプの人間だろう。

少し語弊はあるかもしれないが、ここで小説というものをボクがどのように捉えているか?
それを定義しておきたいと思う。辞書的に、本当に簡単に定義するとすると、「今その状況において人生にとっての役立つもの」という風に定義しておこう。
もちろん、言葉の定義ということもあり、あらゆる贅肉をそぎ落とした言葉になっているということを確認しておいてほしい。
彼にとっての小説とは、映画を見ることであったり、いっけんたわいもないような会話を周りのやからとすることであったり、意中の女性を口説こうとしたり、旅行に誘ったりということになるのであろう。
まさに、彼の人生に役立つことである。

さて、少し話はずれるがこうもりの餌食になっている惨めなやからに、いま一度目をとおしてみよう。彼らは本当に醜い、ハイエナという高貴な存在以上に低俗である。彼らは、餌食になっているということを無自覚で過ごすほど阿呆でないということに、より大きな不幸を背負っている。自分は餌食であるが、その状況から、逃げようとも、逃げれるともこれっぽちも思っていないし、間違って、いまのボクのように、餌食になる知らずにこうもりの鋭利な性器を粘膜に突き刺されそうになり、実際突き刺された後にはソレに対して、拒絶反応を示し、自分がそうであるように、ソレをなんとか餌食に出来ないものかという風に動く。
そう、彼らにとっての小説とは、つまりは自分に成り代わって、餌食になってくれるあらたな餌食なのである。
こんな人生なら、ボクはその存在を消滅してしまったほうがよいのではないかと本木で信じている。

さて、これまでのボクという存在に関する記述を見る限り、みなさんは彼は、あまりに傲慢であり、自信過剰であるという風に思われるかもしれないが、ボクはそれは心外であるというように、深々と感じているようだ。
なぜなら、この小説という物語は、ボクという青年の人生のうちの自分に対する自分と、自分がいかに外の世界に接するかといういわば、「心」のうちの問題であるわけで、実際のボクはこの原液のような有害な姿を常に周囲にさらすほど、ばかげてはいないというわけだ。
しかし、個々で現れる状態というのはあくまでも、それを希釈した状態で、周囲の人々には写っているわけであり、それを考えるとやはり、決してボクという存在はまわりにとって、無条件で心地よい存在というわけでもないだろう。

しかし、ボクはそれをさほど気にはしない。なぜなら、ボクは真実を求めようとしているわけだし、ボクは彼と違い、この環境を放棄しようと懸命になっているわけではないが、彼と同じくこの環境は決して自分という人生の物語を長期的に考えた場合に決して理想の場所どころか、望ましくないということを合点しているからだ。

この物語のゴールというわけではないが、目的はおそらく今のボクを遠目から見る筆者から見ると、おそらく日記をつけるというようなところにあるのだろう。自分の精神、自我を間違ったほうに行かないように、この物語を通して整理をしている。周囲の人間に対する自分の想定される、不可知の人生の中での彼らの役割を小説という形式で、整理していく。そんな感じだろう。
だからというわけではないが、日々ドラマティックというわけにもいかないし、その日の精神状態によっては、可能な限り、物語を毎日整理し、芥川賞という勲章にたどり着くという覚悟をしている中では、自分の創造力を、創作力を研鑽するために、この物語を書くという決心しているボクという青年にとっては、これを確実に今日書くというものがないわけではないが、まず今のボクにとっての優先事項は、どうやら、日々の忌まわしい記憶の整理を通して、この小説という体裁をなしてほしいと思っている文章を完成させていくことである。

日記としては、異様な形態をとっているかもしれないし、傍目から見ていると、殺人事件を犯し、「あの人はこんなにおかしい人物だった」というときに取り上げられる同年代、むしろ同年齢でもある被告のネット、もしくはモバイルの文章ほどの自意識過剰さと、気持ち悪さがあるかもしれないが、そんなことは今のボクにはさほど興味の対象ではない。
気にかかるということといえば、この文章を通じて、同じく悩む友人に希望の光を少しでも与えら得るというとおこがましいが、心地悪いものでないかという点だろう。

前置き、注釈が長くなってしまったが、前回の章でも、「ボクが小説を読めない理由」というものを書くといっておきながら、小説というもののボクという存在の中での注釈だけで終わってしまった。なかなか本当のこの物語の中での主人公であるボクに重心を置けなくなってきているように見えるかもしれない。
むしろ、それは望ましいことでさえあるのだろう。これまでの序章では、対自分というところにおそらく興味の対象が行き過ぎていたところが、対他者へと興味の焦点が移行しつつあるということのあらあれであるのだから。

きっと、次こそ、「ボクが小説をよめない理由」という本当は、このチャプターの本題であるはずものに筆を進めよう。

コメント
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