chapter#26 欲望と求めるもの
ボクはこうやって、物語を前に進めていくにつれてどんどん、まだ芽も生えていない、種子を撒き散らしている。
ひとつの目に立派な生花をさかせてやるには、まずそこに種がまかれているということを認識し、土の上に無様に巻き散らかされたままの種子をまず土の中に、ここちいい状態で埋め込んでやらないといけない。
一度、創作活動を時間的に離れたり、空間的に離れたりすると、たちまち自分が種子をどこにまいたのかということを忘れてしまう。いったんペンを握ると、そこに種を、どういう種をまこうと思っていたのかということとは別に新しい種がまかれたり、目をはやそうという努力をしてしまう。
何がいったい、それまで、つまり実際に筆を握るまでに思っていた種と、実際種をまき始めてからの行動を隔てているのだろうか?
欲望はただ、ほっとらかしにするだけではいけない。そのつど、ソレに応じた方法で満たしていってやらなければならない。
小説を書くことも、ひとつの欲望だろう。
なぜ、欲望が沸き起こるのだろうか?その欲望が必要だから?もしくは、必要だというように勘違いしてしまっているから?
それでは、どこから欲望は沸き起こっているのか?
欲望が沸き起こっていない状態というのはあるのか?
欲望が沸き起こっていない状態があるとは思わない。たとえ、外から見ると完全にその営みの動性を確認できない睡眠という選択肢においてすら、私たちは欲望に取り付かれている。睡眠もまた満たしてやらないといけない欲望だし、ましてや、死すら満たしてやらないといけない欲望だと思う。
死を完全に満たすと、目に確認できる状態での営みは完全に止まってしまう。
死という欲望に向かって動くすべての付随する欲望というのが、それ以外の日々の営み、生きるという中での欲望ではないだろうか?
どんな欲望であっても、完全に満たしてはならない。完全に仮に欲望を満たすことがあったとしても、次なる欲望の種を植え付けていってやらないといけない。
欲望を満たさない状態というのは、ひとことでいうと、怠惰な状態といえるだろう。
ボクはこうやって、物語を前に進めていくにつれてどんどん、まだ芽も生えていない、種子を撒き散らしている。
ひとつの目に立派な生花をさかせてやるには、まずそこに種がまかれているということを認識し、土の上に無様に巻き散らかされたままの種子をまず土の中に、ここちいい状態で埋め込んでやらないといけない。
一度、創作活動を時間的に離れたり、空間的に離れたりすると、たちまち自分が種子をどこにまいたのかということを忘れてしまう。いったんペンを握ると、そこに種を、どういう種をまこうと思っていたのかということとは別に新しい種がまかれたり、目をはやそうという努力をしてしまう。
何がいったい、それまで、つまり実際に筆を握るまでに思っていた種と、実際種をまき始めてからの行動を隔てているのだろうか?
欲望はただ、ほっとらかしにするだけではいけない。そのつど、ソレに応じた方法で満たしていってやらなければならない。
小説を書くことも、ひとつの欲望だろう。
なぜ、欲望が沸き起こるのだろうか?その欲望が必要だから?もしくは、必要だというように勘違いしてしまっているから?
それでは、どこから欲望は沸き起こっているのか?
欲望が沸き起こっていない状態というのはあるのか?
欲望が沸き起こっていない状態があるとは思わない。たとえ、外から見ると完全にその営みの動性を確認できない睡眠という選択肢においてすら、私たちは欲望に取り付かれている。睡眠もまた満たしてやらないといけない欲望だし、ましてや、死すら満たしてやらないといけない欲望だと思う。
死を完全に満たすと、目に確認できる状態での営みは完全に止まってしまう。
死という欲望に向かって動くすべての付随する欲望というのが、それ以外の日々の営み、生きるという中での欲望ではないだろうか?
どんな欲望であっても、完全に満たしてはならない。完全に仮に欲望を満たすことがあったとしても、次なる欲望の種を植え付けていってやらないといけない。
欲望を満たさない状態というのは、ひとことでいうと、怠惰な状態といえるだろう。