過日、20年振りにワロロットへ行った。家内がソープカービング用の石鹸を購入するという。それはワロロットに幾種類のものを販売しているとのことである。あるにはあったが、探す石鹸を見つけることはできなかった。探す石鹸とは下の写真である。それがない代わりに各種の石鹸を購入した。
それにしても、ワロロットは20年前と何ら変化がない。隣接して武候祠があるのも変わりない。近代の中国移民の子孫が如何に多いかがわかる。下の写真は武候祠内の関帝像である。
ワロロットからナワラット橋に向けての南端に、清邁本頭古廟なる廟が存在するが、多分道教色が強いと思われる。
本頭公とは後漢光武帝の武将馬援との説もあるようだが、中国南部の土地神”地頭公”が移住先で祀られて、本地の地頭公が転じて”本頭公”になったのが通説である。つまり土地神となる。


向かって右が本頭公、左が本頭媽で夫婦の像が安置されている。1枚上の写真を見て頂きたい。門の両脇に対聯のように染付の柱のようなオブジェが建っている。拡大すると下の写真になる。
見ると九龍十八鯉とある。このような熟語があったのか? 九という字は、中国では久と音が通じることから永遠あるいは永久を意味し、目出度いものとされる。また龍も風水によれば縁起のよい想像上の動物として知られる。
十八は”八百万の神々”というように、多数を表す。また鯉は、鯉の滝登りというように、黄河の上流龍門滝を登る鯉は龍になるという。立身出世するたとえとして喧伝される。
何とも目出度い尽しで、ほんまかいなと疑いたくもなるが、20年振りのワロロットであった。


本頭公とは後漢光武帝の武将馬援との説もあるようだが、中国南部の土地神”地頭公”が移住先で祀られて、本地の地頭公が転じて”本頭公”になったのが通説である。つまり土地神となる。




十八は”八百万の神々”というように、多数を表す。また鯉は、鯉の滝登りというように、黄河の上流龍門滝を登る鯉は龍になるという。立身出世するたとえとして喧伝される。
何とも目出度い尽しで、ほんまかいなと疑いたくもなるが、20年振りのワロロットであった。