世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

バンコク爆発犯の一人を逮捕

2015-08-30 15:56:31 | タイ王国
 今朝のバンコクポストとタイ字紙大手デーリーニュースの記事である。バンコクポストは逮捕された犯人の偽造パスポートと、爆発現場の残された鉄球と同じものが部屋から発見されたとしている。そして通信データが爆発犯の逮捕に繋がるとある。

 デーリーニュースは、防犯カメラの映像から作成した手配写真と、逮捕した犯人の写真を並べて掲載しているが、何か別人のように思える。
 偽造パスポートの国籍はトルコとのことだが、首都警察は正式な見解はもとより、事件の背景についても、見解は述べていない。犯人は10名以上の集団との見方をしているが、まだそれらは逮捕されていない。しばらくはそれに注力するものと思われる。
 ド素人の見方であるが、背後に宗教が絡んでいると思われる。タイ深南部のイスラム教徒と考えていたが、中国新疆のイスラム教徒に繋がる人物との見方も浮上している。いずれにしても、タイ、マレーシアは危険水域に入ろうとしている。

ワット・プラケーオドーンタオで考えたこと・2

2015-08-30 09:33:22 | タイ王国
 エメラルド仏についてである。1434年、チェンラーイの仏塔が落雷で破壊、その内部から漆喰で覆われた仏像が発見され、漆喰が剥がれたところからエメラルド仏が覗いていた。1436年サームファンケーン王は、これを3度チェンマイに運ぼうとしたが、仏像を載せた象が3度ともランパーンに引返した。そのため王は仏像をランパーンに安置した。32年後の1468年にチェンマイに運び込まれたことは、前回紹介した。
 その後、ランナーのセーターティラート王はラーンサーン国王を兼ねたが、王は1551年エメラルド仏をラーンサーン王国のルアンプラバーンへ運んだ。更にエメラルド仏はビエンチャンへ移動するが、1779年ラーマ1世がビエンチャンからトンブリーに持ち帰り、後にチャクリー王朝を開くと、エメラルド仏は1784年にラーマ1世により建立された、ワット・プラケーオに安置され今日に至っている。
 
(写真はBKKのワット・プラケーオに鎮座するエメラルド仏)

 そこで、無い頭を再び使って考えた。エメラルド仏が北タイからラオスに寄り、中央タイに南下するさまは、タイ族の南下経路と一致するようだ。この移動は時の権力者の意向と戦乱を避けたり、略奪された結果であるが、よくも残存したものである。エメラルド仏は翡翠製であり、装飾品として再加工される可能性もあろう。それがそうならなかったのは、まさに歴史の証人と云えそうだが、日本にこのような事例があるのだろうか?
 いずれにしても、堅固な仏教基盤があってのことで、邪な考えは思いもつかない土壌があったと考えられる。中世仏教の世界観は、為政者にとって好都合であり、民衆の飼いならしにこのエメラルド仏も、一役かったと思っている。