ワット・プラケーオドーンタオは2度目の参拝である。前回は付属博物館の存在を知らずにいたが、事前に調べると、それがあるという。結局休館中で見ることはできなかったのだが・・・。
この寺はビルマ様式で著名である。そのビルマ様式の何層もの屋根をもつ塔は、須弥山を表しており、独特の宇宙観に彩られている。その堂を写した写真である。これを見ていると、宗教は民衆を造形物と色彩感覚で惑わす幻術のようなものである。何やら北伝から東伝した仏教芸術に似ていなくもない。

天井を見上げると蝶の羽のような翼をまとった天女であろうか?色ガラスをステンドグラス風の技法で装飾されている。屋根をみると破風にはキンナリーで飾られている。女性の緊那羅をタイではキンナリーと呼び、半人半鳥の護法善神の一尊である。

境内を巡ると、白象の上に載る祠にエメラルド仏が鎮座しているモニュメントが目に入った。セメント製の像にペンキで装飾されている。横の石碑には、サームファンケーン王(ランナー朝第7代王・在位1401-1442年)の時代、エメラルド仏がチェンラーイで発見された。1436年、王はこれを3度チェンマイに運ぼうとしたが、仏像を載せた像が3度ともランパーンに引返すということが起こった。このため王は、仏像をランパーンに安置したが、32年間の安置後、1468年にチェンマイに運び込まれたとある。
これは何を物語るのか? 中世チェンラーイとチェンマイを直接結ぶルートは、チェンマイからウィアンパーパオ間の山塊に阻まれ存在しなかった。つまり、チェンラーイからチェンマイに至るには、パヤオを経由してランパーンに南下し、ランパーンから北上してチェンマイに至るルートであった。
つまりエメラルド仏の故事は、そのことを示しており、中継地のランパーンから象は移動しなかったことになる。従ってランパーンはパーン窯、パヤオ窯、ワンヌア窯とサンカンペーン窯を繋ぐ中継点であり、これら諸窯との関連がランパーン窯に見られるのではないかと、当該ブロガーは考えている。
今回ワット・チェディーサオラーン付属博物館で見た数点のランパーン陶磁は、これら諸窯の特徴と若干異なるように思える。瘤牛等の動物肖形物は北タイ陶磁共通の特徴であるが、黒褐釉の釉調はクメールやモン(MON)陶更には、サンカンペーン陶磁に似ていなくはない。
しかし、今回数点を現認しただけで、物足りなさを感ずる。ランパーン博物館は、どのようなランパーン陶磁を所蔵しているのであろうか? もう再訪することは無いであろう。誰か北タイ陶磁好事家にランパーン窯と北タイ諸窯の関係を追究して頂きたいと考えている。
この寺はビルマ様式で著名である。そのビルマ様式の何層もの屋根をもつ塔は、須弥山を表しており、独特の宇宙観に彩られている。その堂を写した写真である。これを見ていると、宗教は民衆を造形物と色彩感覚で惑わす幻術のようなものである。何やら北伝から東伝した仏教芸術に似ていなくもない。





つまりエメラルド仏の故事は、そのことを示しており、中継地のランパーンから象は移動しなかったことになる。従ってランパーンはパーン窯、パヤオ窯、ワンヌア窯とサンカンペーン窯を繋ぐ中継点であり、これら諸窯との関連がランパーン窯に見られるのではないかと、当該ブロガーは考えている。
今回ワット・チェディーサオラーン付属博物館で見た数点のランパーン陶磁は、これら諸窯の特徴と若干異なるように思える。瘤牛等の動物肖形物は北タイ陶磁共通の特徴であるが、黒褐釉の釉調はクメールやモン(MON)陶更には、サンカンペーン陶磁に似ていなくはない。
しかし、今回数点を現認しただけで、物足りなさを感ずる。ランパーン博物館は、どのようなランパーン陶磁を所蔵しているのであろうか? もう再訪することは無いであろう。誰か北タイ陶磁好事家にランパーン窯と北タイ諸窯の関係を追究して頂きたいと考えている。