東京老人Tokyorojin

こごとじじい増山静男のブログです。

浅草に行く

2010年07月21日 10時43分32秒 | 介護
7月20日

午後一番のつもりだったが、でるのが遅くなって、

01:40発

高速を使うと、経路が全部すいていて、

02:05着

K君のところについた、介護保険関係では毎月一度はこないといけない、
K君このあいだオーストラリアに行ってきたので話を聞く、いまエアーズロックといわないで、ウルルと呼ぶそうだが、3泊したのだけど、天候その他で、

頂上には上れなかった

といって残念がっていた、この人、海外旅行はツアーばっかり利用するのだが、個人で行けばいいのにと思う、英語など私よりよっぽど上手にしゃべるのだ、それより、

一緒に写真とっていいですか

などという現地の言い方を習っていく、すごい努力家なのである。

宮野家住宅

2010年07月21日 08時31分47秒 | 国内旅行


この住宅は現在まで奇跡的に生き残っているのだ、
何回かの大震災、東京空襲も母屋は焼けてしまったがこの家は残った、



残念なことにかやぶきの上に銅版がかぶせてある、
萱で葺こうとしたら、消防がどうしてもダメだといったとのこと、



内部はかやぶきが見えるようになっている、



大黒柱はかなり太い、純粋農家であるから、畳の部屋はなかった、現在までいろいろと改造がされている、



板戸の板は一枚板、建築中に屋久島の材料を売りに来たのではないかと思われる、



大正時代に作ったガラス障子、景色がゆがんで見える、



廊下の板、10メートルくらいつなぎ目のない板を使っている、当時はこの地方道幅が狭く、持ってくるのに苦労したので、庭に生えていたのではないかといっていた、庭方面に傾斜がついている、



目黒区よりの文化財認定書、紙だけで、一銭もお金をくれないそうだ、



先代の銅像、いいお顔をしている、もと目黒は竹林が多かった、この家では東京湾で使う海苔を集める材料に竹の枝を用いることを発明し、一手に売って儲けたそうだ、漁業家も誰かほかの人が持参するものは買わず、この家を通したという、アイデアマンだったのだ、



庭に出ると1000坪の土地は広く、都会にいることを忘れさせる、



15メートルの大木に囲まれ、別天地だ、
200円とって見せる土地ではない、
ただで寄贈するというと目黒区は断ってしまった、
どうすればいいのであろう、

いまの所有者に、もう少しいい思いをさせてあげたいなあ。