杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

無償の愛と無知の罪

2008-05-25 22:57:36 | NPO

 5月24日はNPO法人活き生きネットワークの発足25周年・法人化10周年記念の総会&交流会&記念パネルディスカッションが、ラペック静岡で開催され、取材&司会役で汗を流しました。

 

 

 活き生きネットワークは、夫の突然死で乳飲み子2人を抱えて母子家庭の厳しい現実にさらされた杉本彰子さんが、自らの経験をベースに、さまざまな事情を抱える社会的弱者を支援する団体として四半世紀の歩みを刻んできました。

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 その歩みを紹介するパワーポイントでは、25年前、母子家庭で働くお母さんが子どもが急病になったとき、助け合う仲間づくりを呼びかけようと作った手書きのチラシから、昨年、女性の再就職支援に貢献した団体として、当時の安部首相から直接受け取った内閣総理大臣賞の賞状まで、彰子さんの努力を物語るさまざまな資料が披露されました。25年来のパートナーである望月専務理事は、「長くつきあえるのは、彼女が損か得かではなく、正しいか正しくないかという真っ当な判断で動く人だから」と称します。今は120人のスタッフで年間2億の事業をこなす静岡県を代表するNPO法人になりましたが、杉本&望月コンビの「自分たちが困ったとき助けてもらった恩恵を、他で困っている人々にお返ししたい」という思いは、25年前となんら変わっていません。でなければ、行政の手の届かない24時間365日の病児預かり、養護学校への看護師派遣、障害者の雇用創出などを、積極的に買って出るようなことはできないでしょう。

 

 

  午後のパネルディスカッションでは、静岡県のNPO実践者として彰子さんと双璧の存在といえるグランドワーク三島の渡辺豊博さんや、SOHOしずおかを全国屈指の起業支援組織に育て上げた小出宗昭さんらが「行政をあてにする時代は終わった」「行政は、アタマからこれは行政ではできないからNPOに、などと押し付けるような物言いはするな」と大いに気炎を吐きました。

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 さて、パネルディスカッションの席上、渡辺さんが、「今日(24日)の朝日新聞に杉本彰子の活躍が紹介されています」と紙面を紹介し、彰子さんはすぐさま顔色を変え、「その記事には大変な誤認がある。今日は朝からショックでユウウツなんです」と答えたのです。

 

  記事には、彰子さんが「誰も無償の愛を持っていない」「お金が媒介することでスタッフは仕事の責任をまっとうし、いい人材も集まる」と発言した旨、書かれていました。中学生の頃からボランティア活動を実践し、NPOで有償ボランティア組織となったとはいえ、25年も続けている彰子さんの発言とはとても思えません。いや、ボランティア精神をベースにしたNPO活動家ならありえない発言でしょう。もちろん、本人の発言ではなく、若い女性記者が誤った認識のまま、活字にしてしまったようです。

 

  影響力の大きなメジャー紙の記者ならば、こういう書き方をして、読み手が彰子さんをどんな人間だと感じるのか、想像できなかったのでしょうか。彰子さんの苦労話を聞いて、無償ボランティアは長続きしない、NPO組織を維持するには人件費が必要だと感じたのでしょう。理屈はわかります。それでもNPOが民間営利企業と異なるのは、社会に対する無償の愛がベースにあり、カネだけでは動かない志ある人が集まっているということ。報酬があればあったにこしたことはありませんが、彰子さんを支えてきたスタッフの中には、報酬が少ないからと言って責任を放棄するような人はいませんし、そういう人はNPOでは長く働けません。

 

 「取材中はとてもフレンドリーで会話が弾み、いい記者さんだったのよ」と彰子さん。それだけによけいにショックだったのでしょう。せめて「無償の愛をすべての人に期待し、押し付けるわけにはいかない」とか「組織を預かる者として、スタッフの努力には給料面で報えるものなら報いたい」といった表現にできなかったのでしょうか。もっともこれは、私が彰子さんのことをよく知っているからこそ言えることかもしれませんが…。

 

 

 私自身、1998年に1年間、毎日新聞に『しずおか酒と人』という連載記事を書いたとき、ショックな経験をしました。

 当時はワープロの原稿と手描きイラストを静岡支局に郵送するという入稿スタイルで、私の原稿は新聞記者が改めて清書していました。そのとき、『日本酒は、一般酒(普通酒・増醸酒)と特定名称酒(吟醸酒・純米酒・本醸造酒)に分けられます』と書いたものを、『日本酒は、一級酒(普通酒・増醸酒)と~』と誤って掲載されてしまいました。一般酒を一級酒と間違えるなんて酒のジャーナリズムではありえないミステイクです。翌週の記事で訂正文を載せましたが、読者は完全に私がミスしたと思ったでしょう。のちに支局長から謝罪の電話をもらいましたが、一度、活字になってしまったものは取り返しがつきません。

 

 

 このときの苦い経験から、新聞記者が書くものが100%正しいわけではない、しかも、記者自身の無知というきわめて原始的な理由で事実が歪曲されるケースもあるんだと痛感しました。

 

 

 彰子さんから話を聞いているうちに、過去ブログで紹介したドキュメンタリー映画監督・金聖雄さんの「目の前の、取材対象者に喜んでもらうのが、一番の喜びです」という言葉を思い出しました。未知の読者や視聴者にどう思われるかなんてことよりも、目の前の取材対象者や編集担当者を呻らせたい、喜ばせたい、というのが、作り手の素直な心情です。そこには損得は介入せず、次元は異なりますが、目の前の人を無償で助けたいという思いに似たモチベーションで動くこともあります。新聞記者は「ジャーナリズムにそんな感情論は無用」と反論するかもしれませんが、地域の福祉NPO活動を取材したなら、この書き方で相手がどう感じるかを考える時間を持ってほしかった…。

 

 自分も物書きの端くれとして、活字が人を喜ばせ、ときには傷つけることがあるということを、決して忘れてはいけないと肝に銘じました。