7日(火)は午前中、県東京事務所で県広報誌の取材、午後はANAインターコンチネンタルホテルで日本ニュービジネス協議会連合会総会の取材と、丸一日東京でお仕事でした。元外交官、元経産省事務次官という一線級の知識人による、いずれも、震災後の日本のたち位置や、地域再生の在り方について地球レベルの文明論的な高説に、私の軽い脳では処理能力が追いつかず、ドッと疲れてしまいましたが、大いに聞き応えがありました。
日本ニュービジネス協議会連合会では東北地方の会員企業が被災状況や復興活動について報告をしてくれたんですが、その中に、思いがけず釜石の地酒『浜千鳥』 の新里進さんがおられて、懇親会でも『浜千鳥』が試飲出来ました。
蔵は津波の直撃を免れたものの、義姉を亡くされ、3月中はお先真っ暗状態だったそうですが、4月になって急に注文が入り始め、なんでも4~5月は前年比180%という売り上げでびっくり仰天、注文ストップ状態なんだそうです。
新里さんご自身は「阪神淡路大震災の後、被災地支援ということで神戸の酒の注文が一時増えたが、2ヶ月後の地下鉄サリン事件でその流れがストップし、結局灘の酒蔵の4割が廃業した。ただでさえ右肩下がりの日本酒業界、体力が弱っているのは変わらない」と冷静に分析しておられました。
東北の地酒を支援しようという活動は、一種のトレンドなのかもしれませんね。トレンドだろうと何だろうと、日本酒を飲む人が増えるのなら喜ばしいことだと思いますが、実際のところ、「東北」なら売れるけど、同じように被災した北関東の酒は見向きされない“支援格差”が生じているとも聞きます。日本酒を消費して復興支援しようと考えている愛飲家は少し冷静になって、ふだんの飲酒習慣を続けてみても・・・と思います。私自身はふだんは変わらず静岡酒主義です。
さて、『浜千鳥』でエネルギーを補填した後、渋谷の映画館アップリンクで『100,000年後の安全』を観ました。この映画のことは震災が起きる前から、社会派ドキュメンタリーのひとつとして注目していて、やっと観る機会が出来ました。疲れていたけど、週末にいわき市を再訪問するにあたって、その前にぜひとも観ておきこうと思ったのです。
話題の作品なのでご存知の方も多いと思いますが、かいつまんで紹介すると、フィンランドの孤島で建設中の、原発や核関連施設で排出される使用済核燃料を埋めて永久貯蔵する「オンカロ(フィンランド語で“隠れた場所”)」という施設を取材したもの。10万年というのは、放射性物質が生物にとって無害になる(=半減期になる)までかかる時間のことです。
高レベルの放射能から人間を遮蔽するため、最も安全な方法を求めて、太陽に向けて飛ばす、海底に埋める等の方法も検討されたそうですが、いずれも何かトラブルが起きて漏れたら一大事。結局、地中に埋めるしかないと判断し、100年かけて造ることになったのです。・・・100年がかりの工事というのもスゴイけど、耐久年数10万年なんて施設、人間は造ったことがありませんよね。
観る前は、原発反対のプロパガンダ作品かなと思ったのですが、少し印象が違いました。ドキュメンタリーといっても、手持ちカメラで生々しく現場を追いかけるようなざらついたテイストではなく、マイケル・ムーア以降、よく見かける“わかりやすい演出を加えた構成映像”仕立てで、これが世界のドキュメンタリーのトレンドかと別の意味で感心した次第…。
意外だったのは、フィンランドというのは原発反対どころかエネルギーの3分の1が原子力で、今も新しい原発が建設中なんですね。受付でもらったチラシにスウェーデン社会研究所の須永昌博所長がこう紹介しています。
『フィンランドは地政上、ロシアの恐怖がトラウマとして潜在的にあり、今もエネルギー資源をロシアに依存している。ロシアがパイプラインを閉めたらフィンランド人は凍死してしまうのだ。ロシアのくびきから開放され、エネルギー源を確保することはフィンランドにとって最大の安全保障。チェルノブイリ原発事故で一時、原子力に反対する機運が盛り上がったが、国の安全保障という観点から原発を推進している』
『放射性廃棄物を原発の問題とリンクすれば、すでに発生している廃棄物の問題から目をそらすことになる。賛成反対を問わず、今の問題を処理しない限り、将来の世代に害を与えることになると警告している。さらに大切なのは情報公開。フィンランド国民が原発を容認している大きな要因は、徹底した情報公開にある。情報公開が人々の不安を除く不可欠のシステムで、パブリックアクセプタンスのもとになる』
『放射性物質、使用済核燃料の処理には再利用する方法があり、日本原燃が青森県六ケ所村に核燃料サイクル工場を試験運転中で、最終的にウランとプルトニウムを取り出して再利用する計画。フィンランドが地下貯蔵のみで再利用しないのは、プルトニウムが核爆弾の原料になるから。国際的なテロ組織が核爆弾を手にする脅威を避けるためである。同じ理由から原子力発電施設の輸出もしない』
・・・そんなことを予習した上で観ると、「核物質」を扱う者には、本当に人類に対する責任というのか、大きく気高い哲学が必要だということが切に伝わってきます。
北欧の人はもともと病気になる前に「予防する」「未病を治す」ほうが病気になった後で治療するよりもコストが安いという価値観で社会保障を整備し、他の問題についてもリスクを先読みして万全の対策をとるという生き方。税金が高いのもそんな理由からのようです。
それがいいか悪いかは別にして、映画の中で印象的だったのは、100年後、1000年後、1万年後の人類に、ここがどういう場所かどう説明すべきかを一生懸命悩んている姿でした。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、危険な物質を扱う者の責務として情報公開に努めるといっても、そんな遠い未来のことまで心配するのかと驚き、またそれほどまでの覚悟で造っているのだと深く感銘しました。
目を転じると、わが日本の原子力関係者の「覚悟」とはいかほどか。地震や津波やテロといった外部リスクをどれだけ「先読み」していたのか。・・・いずれにしても東京電力福島第一原発事故の後の日本で、この作品がこのタイミングで公開されるなんて、意味がありすぎますよね・・・。原発事故がなければ、また私自身、いわき市へ行く機会がなければ、これほど真剣に考えなかったかもしれません。
なお静岡では7月9日からシネギャラリーで上映が始まります。原発事故に関心のある方は必見です