杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

福島いわき・道の駅よつくら港へ静岡の食を届けました(その2)

2011-06-13 08:48:55 | 東日本大震災

 お昼を過ぎると、『灯そうふくしまに光を・・・』のイベントの食事ブースに大勢のお客さんが集まり、朝霧につつまれた灰色の広場がウソのように明るく華やいできました。小さな子ども連れのファミリーも大勢来てくれました。Imgp4556_2

 

 「子どもを県外に疎開させている人もいれば、ふつうに暮らしている人もいる。人それぞれなんですねぇ」とつぶやくと、地元関係者は「逃げているのは県外に避難できる親戚の家があるとか、放射能の問題に敏感な人なんでしょう。こっちの人はもともと根が明るくてのんびりしてるんだ。いちいち気にしてたら暮らせない」と苦笑いしていました。

 

 

 ただ、その裏にはやむにやまれぬ事情もあるようで、同じ市内、同じ町内でも、地震本体の揺れの被害はさほど大きくなかったせいか、沿岸部がこれほどの津波被害に遭っていたことを知らない市民が多かったとか。津波に流されたある町内では、被害のなかった内陸部の地区では翌日、予定していたお祭りの準備をしていたそうです。

 

 「いわき市はもともと14市町村が広域合併したまちで、市役所の職員でも沿岸部の事情を把握しているのは一握り。そんな状況の中で原発事故の風評被害に直撃され、ある学校が生徒を原発から遠い学校へ編入させようとしたら、PTAから“偏差値の低い学校と一緒にさせるな”と反発をくらったことも。地域内でも格差や差別がある状態なんです」と地元関係者はやりきれない表情で語ってくれました。

 別の関係者からは、「風評被害で、いわき市には水やガソリンのタンクローリー車でさえ運転手が拒否して入ってこなかった。ガソリンがなければ足がなく、水や食料を買いに行くこともできず、本当に死活問題だったが、幸か不幸か、交渉先が電話でタンクローリーとタンカーを聞き間違え、“(当時、タンカーが接岸できるのはいわき市の小名浜港だけだったので)小名浜に強制的に着けさせられた”と連絡をよこした。笑い話みたいだが、それでやっと凌げた」なんて話も聞きました。

 

 理不尽な差別を受け、傷ついた末に「気にしたってしょうがない」の境地に至る・・・。ひょっとしたら(明るくてお人よしといわれる)静岡県民も、浜岡原発で何かあったら、そんなふうになるんじゃないかなって気がしました。・・・私は「静岡で起きるかもしれない不幸を、福島の人に肩代わりしてもらった気がします」と答えるのが精一杯でした。

 

 

 

 我々のブースには、茶娘に「静岡茶?」と一瞬眉をひそめる人もいたImgp4549
のですが、「静岡も頑張らなければね」と励ましてくれたり、「沼津に姪がいるよ」「静岡駅前で開かれた結婚式に呼ばれたばかり」等など、一生懸命静岡との縁を語ってくださる方もいました。

 「ここで安倍川もちと静岡茶がいただけるなんて」と大喜びで、募金をしようとした人がいたので、「そんな・・・、地元の方からはいただけません」と断ろうとしたら、「前橋から来たんですよ」とのこと。すぐ近くで、破裂した下水管の周辺に土嚢を積むボランティア作業をしていた前橋の社会福祉協議会のみImgp4547なさんでした。

 

 
 

 人手が足りなくなって私もブースをお手伝いし、葉しょうがをみそマヨでトッピングしてビールのおつまみになることをアピールしました。葉しょうがの味はみなさん大絶賛でした!

 「美味しImgp4525かった、ごちそうさま。お返しにせめて献血でも・・・」と言われた時はビックリ!日本赤十字社のテントを借りていたことを思い出し、一人笑いしてしまいました。

 私もまさかここで群馬の人に安倍川もちや葉しょうがを褒めてもらうとは思いもしませんでしたが、こんな状況でも、遠く離れた地域同士が交流し合うっていいなあと思いました。

 

 

 

 

 

 

 震災直後はいわき市内の飲み屋街も沈んだ状況だったようですが、5月過ぎぐらいから“外呑み”する人が増え、今ではどの店も満杯状態とか。「ずっと我慢していたから、みんなパーっとやりたくなったんだ」そうです。

 

 

 道の駅よつくら港の運営団体であるNPO法人よつくらぶの佐藤代表が、帰りのバスで飲んでってくださいと、会津若松の地酒『名倉山』地元いわきの地酒『又兵衛いわき丸』を差し入れてくれました。

 道の駅に出店していた『とうふ屋大楽』さんの寄せ豆腐を買ったので、それを酒肴にいただいたんですが、これが涙が出るほど美味しかった・・・。

 

 

 名倉山は普通酒、又兵衛は本醸造で、9日夜に志太平野美酒物語(焼津・松風閣)で浴びるほど呑んだ静岡吟醸とはまったく違うけど、なんていうのかな、労働の後の一杯だからなのか、思いを寄せた福島いわきの人々に愛飲されるレギュラー酒だったからなのか、とにかく立て続けに2合飲んでもノドにスーッと通って、素直でひっかかりがなくて、体中にしんみりと染み渡るようでした。

 

 私はこれまで、地酒の美味しさを、どちらかというと造り方や造り手の姿勢をみながら客観視するクセがありましたが、酒には、受けとめる飲み手の気持ちが美味しくするという不思議な作用があることを、再認識できました。

 酒が入って参加者が打ち解けた気分になって、それぞれ印象に残った話をしてくれました。

 

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「ブースを片付けて帰ろうとしたら、“今日は来てくれて本当にありがとう”とわざわざお礼を言いに来てくれた人がいた。その人は涙ぐんでいた」

「“母がまだ行方不明なの。でも今日は安倍川もちが美味しかった、ありがとう”と言われて目が熱くなった」

「黒はんぺんを美味しいと言ってくれた男性は、3人の子連れのお父さんで、寿司屋を営んでいたが店が流されてしまったそうだ」

「“静岡って本当にいいところですね、この3ヶ月間、ここに住むのが不安で名古屋方面に転居先を探していたけど、静岡も考えてみます”と言われた」。

 

 

 ブースに来てくださったいわきの方々は、明るくて大らかで我慢強いように見えましたが、こちらが差し出したものを受け取るときに、何か一言、自分たちの境遇を聞いてほしい、知ってほしいという本当の心の内を垣間見せてくれたように思います。我慢強いこの地の人々が、ほんの少し、心を縛った我慢の紐を緩められる・・・そんな時間を与えることができたなら、我々のミッションはひとつ意義があったのではないでしょうか・・・。

 

 いわきの人々の心根を知って、我々も「この人たちは、抱えきれない不幸をじっと堪えて生きているんだ」と解る。よく、ボランティアや支援物資を運びに行った人が、逆に励まされて感動したという話を聞きますが、これって本当のことですね。

 でもこちらが感動して自己満足して終わってしまっても意味がありません。福島の人々の痛みを理解し、寄り添い、継続してつながる努力をしながら、わが静岡の防災の在り方を真剣に考え、地域力の研鑽に努めなければと思います。