またまた遅めの報告で恐縮ですが、12月13日(火)に静岡県朝鮮通信使研究会が開かれました。今回は、清水の料亭にあった朝鮮王朝の墓守の石像を、旧清水青年会議所と韓国仁川(インチョン)青年会議所の交流によって母国にお返ししたというお話です。
静岡県朝鮮通信使研究会では、三島の佐野美術館にある朝鮮王朝の王陵の石像を韓国にお返しできないか、いろいろと模索しているところです(こちらの記事を)。そんな中、15年前に清水で同じようなことがあって、地元JCのみなさんの努力で実現できたということで、当時の関係者のお一人である渡邊芳一さん(渡邊工務店)に経緯をうかがったのです。
里帰りした石像というのは、清水の老舗料亭・玉川楼にあったもので、6代目主人・府川荘四郎さんの父が戦後間もなく知人から譲り受け、半世紀にわたって客室の庭に安置されていたもの。御影石製で高さ約2メートル、幅65センチ、重さ2トンの堂々とした像です。府川さんは今後の日韓友好のためにも、生まれ故郷に帰してあげたいと強く願っていました。
府川さんがかつて所属していた清水JCは、韓国仁川JCと1967年から姉妹提携しており、毎年のように交流事業を行っていたため、清水JCに相談したのが事の発端でした。1993年頃のことです。
渡邊さんたちは手を尽くして方策を考えましたが、2トンもの石像を韓国へ送る費用や、当時の韓国の対日感情等、さまざまな壁に直面し、すぐには進捗せず。やがて、1997年の清水‐仁川の友好JC30周年記念事業としてJCを挙げて取り組むことになり、96年から本格的に「石像里帰り大作戦」が始まりました。
まず、当時、静岡県立大学教授だった金両基先生と、京都高麗美術館の研究員・金巴望さんに、石像の調査を依頼。朝鮮王朝(1390~1910)中期頃造られた王族か雄志(貴族)の墓守で、服装の特徴から文人と思われますが、本来は文人と武人の2体で一対をなすものだそう。日本の神社にある狛犬のような存在ですね。いずれにしても文化財としても高い価値があると判りました。
このような石像は、実は日本にかなり持ち込まれていたそうで、佐野美術館にあるものも同様です。そのあたりの事情を考えると複雑な気持ちになりますね・・・。渡邊さんたちが「韓国へお返ししたい」と話したとき、高麗美術館の金さんは「戦後半世紀以上経って、日本で大事に保存されているのだから、そのままでいいんじゃないですか?」とやんわりおっしゃられたそうです。その真意がよくわからないと渡邊さんは言葉を詰まらせていましたが、金さんはおそらく、辛い歴史を思い返される韓国の人々の心情を想像されたのではないでしょうか・・・。
清水JCには、2トンの石像を運び出せる建設関係や通関業務に慣れている商社関係など、その道のプロがそろっているので、返還にあたっての実務にはさほどの苦労は要しませんでした。費用もすべてJC会員の無償ボランティア。船で清水から横浜経由で2週間かけて仁川へ届けました。
入国時に、日本から入ってくるものは、たとえ韓国で造られたものでもすべて美術品扱い=高額関税をかけられそうになり、横浜の韓国総領事館と仁川JCが奔走してくれて、両国で覚書を交わしてなんとか入国できたそうです。
仁川市立博物館に無事、ひきとられた石像(右写真・渡邊さん提供)は、1997年5月31日の清水・仁川JC姉妹締結30周年式典でお披露目され、地元市民に歓迎されました。渡邊さんは「それもこれも、(JCを通して長年交流と重ね)、仁川に友人ができたおかげです」としみじみ振り返っておられました。
1967年に清水JCと友好提携を結んだ当時の仁川は、清水と同じ規模の地方の港町だったそうですが、国際空港の建設をきっかけに、あれよあれよと発展し、渡邊さんが「うちとはつり合いがとれない、日本でいえば横浜クラス」と苦笑するほどの国際都市になりました。
今また、慰安婦問題が取り沙汰されて、日韓関係が揺れています。こういうニュースが、地道に重ねてきたほかのすべての日韓友好関係事業に“上書き”されてしまうのが、少し哀しく思います。