杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

坂の上の雲最終回によせて

2011-12-25 10:38:36 | 歴史

 

 一昨日(23日)、活き生きネットワークのクリスマス忘年会に参加した後、悪寒と熱が出て、24日は忘年会の抽選で当たった精力剤と、磯自慢の酒粕の甘酒でわびしいイブ。でもたっぷり寝だめしたおかげで今朝は熱がひき、朝8時30分からFM-Hiでオンエアの『かみかわ陽子ラジオシェイク』をチェックし、トーク内容を上川さんのHPにUPし、ホッとひといきついたところです(こちらを参照)。

 

 

 今回のトーク内容は本日(25日)限定情報が多いので、ここでも紹介したいと思います。とくに本日夜放送の『坂の上の雲』最終回について触れてあります。一部を転載します。

 

 

(鈴木)最後にエンターテイメントの話題をもう一つ。テレビ番組のことで恐縮ですが、今月は日曜夜に『坂の上の雲』が放送されていますね。ちょうど今日25日で3年がかりの放送の最終回を迎えます。陽子さんは司馬遼太郎の愛読者だとうかがっていますが、ドラマはご覧になっていますか?
 
 
 
(上川)もちろんです。司馬さんの「坂の上の雲」は、日本人としての大きな人間力、指導者が持つべき資質というものを真正面から描き切ったもので、本当にいろいろ考えさせられます。指導者が持つべき先見性、見識、きちんとした戦略に基づく冷静な行動力は、今の政治にも求められています。とくに、今年のような国難に直面したときに求められるものとしては、環境は違っていても同じだと思うんです。
 
実は、「坂の上の雲」のドラマ化にあたっては、多少のご縁があったんですよ。衆議院議員時代、総務委員会に所属していまして、NHKの番組について意見をする機会がありました。
「坂の上の雲」のドラマ化について、原作者の司馬遼太郎さんは生前、「自分が意図したものがドラマでうまく伝わるとは限らない、戦争賛美になってはいけないし、映像化は難しい」とおっしゃっていたそうです。奥さまもそのことを強く思っていらして、NHKが再三お願いしてもお断りになっていたそうです。
そういういきさつを知っていましたので、NHKには「後世に伝えるべき価値ある作品だから、ぜひ力を入れて取り組んでほしい」と、当時のNHKの海老沢会長に質問し、回答を引き出したという思い出があります。
 
 
(鈴木)・・・ということは、陽子さんは「坂の上の雲」の映像化の立役者のお1人、ということですか。いやあ、そのことを聞いた後でオンエアを見ると、またひと味違った感動があると思います。
 
(上川)そこまで国会が力を発揮したわけではありませんが、結果的に、NHKが3年がかりで丁寧に作ってくれたことを応援できたという意味ではよかったと思います。
 
(鈴木)2011年は、陽子さんにとっての「坂の上の雲」を目指して走り続けた一年だったのではありませんか?
 
(上川)この年末、後援会の広報誌にこんな一文を寄せました。
 
「政治は常に、身の回りの小さな課題への取り組みから始まる。国が直面する難問も、足場を固め、正面から挑めば、必ず道は拓ける。そうした重責に耐えうる政治家を目指し、努力をつくし、希望を持って前進していこう」。

 日露戦争当時の「坂の上の雲」と、今の時代の「坂」や「雲」は、もちろん違いますが、変わらないのは、「重責にしっかり耐えうる政治家」が求められているということだと思います。震災があった今年、そのことを一層強く認識しました。

 

 

 

 

 今月放送の『坂の上の雲』第3部は、戦闘シーンが多いせいか、ゴールデンタイムにしては視聴率がイマイチのようですが、私自身は、とくに11日放送の「二百三高地」の戦闘シーンには深く感動しました。

 

 戦闘シーンに感動するっていうのもヘンですが、WOWOWで放送された「バンド・オブ・ブラザース」や「ザ・パシフィック」等、映画並みのスケールの戦争ドラマを観ていて、ハリウッド資本が入っているからテレビドラマでもあれくらいのものができるんだろうと思っていたので、NHKでここまでやれるのか・・・と感動。カネも人手もかかる戦争のシーンをテレビ表現ギリギリながら、あれだけリアルに描き切ったことで、作品に重みが加わるって感じました。

 

 

 俳優もスタッフもしんどいに違いありません。ホンモノの戦争を経験することを思えばマシでしょうけど、疑似体験にしても、しんどさを多少なりとも経験しながら作るからこそ伝わるものってあると思うのです。

 

 

 

 

 お茶の間の視聴者は、そんな、作り手側が精魂込めた戦闘シーンを、いとも簡単に拒否しちゃう。ゆえに、(視聴率に左右されない)NHKでなければ出来なかったんでしょうね。私はおカネを払ってでも観るべき価値があると思いましたけど・・・。

 

 

 

 

 いずれにしても、途中で妥協せず、3年かけてでも今のテレビ制作の職人魂みたいなものを投入し切った制作者と、彼らにきちんと仕事をさせた環境に拍手を送りたいと思います。上川さんもその一端に関わっていたと知って感慨深いですね。

 「映像化は難しい」とおっしゃった司馬さんが生きておられたら、どのようにご覧になったでしょうか。