杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

87%のリスク

2008-01-22 10:24:50 | ニュービジネス協議会

 昨年末から、住宅情報誌の取材で県内のハウスメーカーや工務店を回り、新しくマイホームを手にした幸せそうなファミリーを何軒か訪ねました。独り身の私としては、まあ、いろんな意味で、別世界の空気感、というものを痛く感じる取材でしたが、ひとつ気になったのは、地震が来たらどうするんだろう・・・ということ。

 

 

 

 

 家を新築すると、大抵の人は火災保険に入りますよね。しかしデータによると、ふつうの人が一生のうちで家が火事に遭う確率は1500年に1回、全焼の確率は3000年に1回、つまり、30年で1%という確率だそうです。ちなみに交通事故で死亡する確率は0,2%。それでもしっかり入りますよね、車輌保険。

 東海地震が30年以内に発生する確率は87%です(東南海は60~70%、南海は50%)。昨年の能登半島沖地震は、30年間に震度6以上の地震が発生する確率が0,1%とされ、7月の中越沖地震も2~3%の確率でしたが発生しました。93年の釧路沖地震以降、日本は確実に地震の活動期に入っているようです。

 つまり、どうころんでも東海地震は今後30年のうちに87%の確率で必ず発生する。にもかかわらず、静岡県内で地震保険に入っている人は25%ぐらいしかいないそうです。こういう数字からも、今の地震対策の危機感の薄さが現れているようです。

 

 

 

 

 

 

 ゆうべは私が長年、広報誌編集を担当する(社)静岡県ニュービジネス協議会の定例サロンがありました。講師はジャパンシステムサービス㈱社長の岩瀧幸則さん。地震対策コンサルタントのトップリーダーとして、全日本地震防災推進協議会も率いるこの道のスペシャリストです。

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 東海地震や防災がテーマ、と聞くと、地質学の先生や消防団リーダーの話かと思うでしょうけど、岩瀧さんは神戸で画廊を経営していた実業家。ゴッホの真作を直接手がけた日本人の画商は過去に5人しかいないそうですが、その一人でもある凄腕美術商でした。今も、上品にスーツを着こなすダンディな方です。

 湯水のようにカネを使う医者や弁護士や会社社長を顧客に、順風満帆だった画廊経営。そこに阪神淡路大震災。「寝室で反対側に寝返りを打っていたら、飛んできたテレビの直撃を受けていた。九死に一生を得るというのは、まさにああいう経験だった」と、当時を振り返ります。

 

 会社の資産が一瞬にしてすべてガラクタになり、人生白紙の状態になった岩瀧さん。ボランティアで汗を流す人々の姿を見て、金持ちのご機嫌取りばかりしていた仕事に見切りをつけ、一念発起し、地震防災の道で社会貢献しようと、地縁血縁のまったくない静岡へ。家具転倒防止の器具の製造販売で起業し、地震対策コンサルタントとして実体験に基づいた対策の普及に努めます。

 

 

 岩瀧さんは、よく、静岡の行政の防災担当者と喧嘩したそうです。東海地震の防災訓練で、県庁や市役所の職員が、事前予告なしの緊急招集で、何分で全員集まった、とかいうニュースがありますね。神戸市では1月17日の深夜になっても集まった職員は、たった2割だったそうです。当然ですよね、公務員だって自分の家族やご近所の救出が先です。

 防災訓練にしても、自分や家族や従業員が全員、五体満足だったという前提で、避難ルートの確保や避難所の暮らしばかりに重点が置かれます。わずか数センチの差でテレビの直撃を免れた岩瀧さんにしてみたら、「まず、家の中で家具が飛んでこないようにするほうが先だろう」と言いたいわけです。どんなに頑丈な耐震補強をした家や学校も、室内には凶器になるモノがたくさんあります。

 

 

 

 

 

 ゆうべは会社経営者の集まりでしたから、岩瀧さんも、「今、地震が起きたら会社の中がどうなるか・・・自分や従業員は無事か、復旧までどれくらい時間がかかるのか、周辺に被害を及ぼしていないか、人的被害が出たら保障をどうするか、訴訟の可能性はあるか等々、正しいイメージを持ってください。取引先が、よく、震災お見舞いに来てくれますが、あれはこちらの状況を情報収集し、取引を続けるべきか否かを判断していると自覚してください。たった一通のメールで「取引中止のお知らせ」が来る可能性だってある。つまり、地震対策をしっかり取れば、震災はむしろ周辺や取引先に信頼とシェア拡大をもたらすビッグチャンスになる。地震対策は企業にとっての先行投資です」と前向きなエールを送りました。

 

 

 

 

 

 87%のリスク。この数字をどうとらえるか。岩瀧さんのように、地獄を体験し、いったん白紙になってから這い上がった人の口から聴かされると、どうにも重く、ズシンと心に響きます。

 

  


NPOに必要な『悪党』

2008-01-20 12:58:54 | NPO

 昨日(19日)は丸一日、『NPO協働推進フォーラムinしずおか』のMCと取材で、あざれあ(静岡市葵区)に缶詰でした。MCといっても進行台本はなく、時間割と講師・発表者のプロフィールを頭に入れただけの、ぶっつけ司会で、コーディネーターを務めた田中尚輝さんや、事務局の杉本昭夫さん(NPO法人活き生きネットワーク事務局長)に頼りっぱなしの2時間半でした。

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 田中さんはNPOの起業支援やネットワークづくりの牽引役として全国を飛び回るこの分野の第一人者。日本最大のシニアネットワーク「地域創造ネットワークジャパン」を立ち上げ、精力的に活動しています。打ち上げの食事会では、私が勧めた地酒『開運』を何杯も空け、リンゴのように赤々ツヤツヤの顔で「静岡のNPOはレベルが高いねえ~、今日のディスカッションはレベルが高すぎたかなあ」と反省の弁。確かにフォーラムに登場したのは静岡県のNPOではトップランナーの方々ですが、まだそれが一部の突出した存在に過ぎないのも確か。NPOが行政や企業と対等に渉りあって、社会をグイグイ動かす存在となるには、まだ少し時間がかかりそうだな、と思いました。

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 まもなく発売になる新刊本『悪党的思考のすすめ~逆説のニューリーダー論』(中央アート出版社/1300円+税)で、田中さんは、ボランティアや利他主義の精神でスタートした人も、組織を運営し、肩書きが増え、権力者に近いポジションに置かれると変貌してしまう例を紹介し、資本主義の社会は性悪説をベースに動いていることを自覚し、“NPOリーダーは悪党になれ”と説いています。

 悪党というのは鎌倉~南北朝時代、権力に対抗した自主自律の武士集団で、当時の『悪』は、精悍さや力強さを表す意味にも使われていました。

 幕府から見ると、社会秩序から外れる集団は、武士、僧侶、芸人、海民・海賊などもみ~んなひっくるめて“悪党”。でも見方によっては、彼らは専門テクニックと独自の情報網を持った、当時の最先端の新興社会集団。自らの経営基盤を重視し、既得権益をしっかり守り、既存の権力と堂々と渡り合うパワーも蓄えていました。その中から、楠木正成のように、権力の一部と連携し、幕府をひっくり返そうとするなど大胆な発想と行動力を持つ悪党も出現したのです。

 田中さんは「悪党の持つ精力的かつ機敏な動きを、NPOリーダーは学び、利他主義に機軸を置きながらも、人々の利己主義を理解し、それを自由に活用する能力を持て」と説きます。

 また、ピーター・ドラッカー説の、「日本はNPOシステムを持った最も古い国であり、江戸時代、100万人都市の江戸を、南北奉行所併せてたった500人で治安維持が出来たのは、町火消し(消防団)や寺子屋(私立学校)といったNPO的な自治・教育組織が整っていたから」と、利他の精神が社会で機能する例を紹介しています。

 NPOを専門に学んだ経験がない私には、NPOを論理的に理解・解釈することは出来ませんが、歴史を通して見ると、とても身近で楽しく入っていけるようです。昔の日本人も、同じように利己・利他の狭間で悩み、闘い、生きてきた、その延長線上に今の我々の暮らしがあるということを、改めて実感します。

 

 フォーラムの内容は盛りだくさんで充実していましたが、私にとっては、打ち上げの飲み会で田中さんのこの本をゲットできたことが一番の収穫でした。

 


『吟醸王国しずおか』始動!

2008-01-18 21:29:13 | しずおか地酒研究会

 遅ればせながらの自己紹介をすると、私、鈴木真弓は、フリーランスのコピーライターです。ブログの過去の記事をご覧になればお分かりのとおり、いろいろなジャンルの取材や広報活動を行っていますが、ライターになって間もない20年ほど前から、静岡県の酒蔵取材をライフワークの一つにし、追い続けています。

 

 酒蔵に惹かれた理由は、当時、静岡酵母による酒質の向上で、史上初めて全国新酒鑑評会入賞率日本一に輝くなど、県内酒造業界が“明治維新”のような大変革期を迎えていたこと、その立役者である河村傳兵衛さん(県工業技術センターの醗酵技術研究者)、土井清幌さん(「開運」醸造元)、栗田覚一郎さん(県酒造組合専務理事)、山崎巽さん(小売店で初めて、静岡県産酒の新聞広告記事を打ったヴィノスやまざき)、竹島義高さん(静岡の大吟醸を客に初めて飲ませた鮨職人・入船鮨ターミナル店)等々、優れた先達と知己を得る機会に恵まれたこと、酒造業が、地域の経済やモノづくり、地域の自然(農業や水資源)、地域の歴史や伝統文化等、多岐に亘るテーマを含んでいることにあります。

 それより何より、水と米しか使わないのに、なんでこんなに美味しい飲み物が出来るんだろうという驚き。取材先で偶然出会った河村先生や土井さんに、さりげなく勧められて飲んだ一杯の酒は、それまでの日本酒のイメージをひっくり返す宝物のような一杯でした。

 先生や蔵元さん、杜氏さんたちとは、それこそ、酒瓶や杯がカラカラに乾くまで、呑んで語って、語りつくせぬ日々を積み重ねてきました。そして96年には“造り手・売り手・飲み手の輪”をテーマに肩書き不問の愛好会「しずおか地酒研究会」を立ち上げ、出会いと交流の場を作り、乾杯の輪が二重三重にも広がりました。

  

 静岡の酒に出会って20年経った去年、たまたま仕事で映像制作の世界と出会い、「動画なら、静岡の蔵元が、どんなに丁寧に米を洗うか、どんなに神経を遣って麹を切り返すか、道具をきれいに扱うか等々、静岡の酒質の高さの理由を、多くの人にわかりやすく伝えられる」と思いたちました。静岡の酒質向上に尽くした先達の功績を、何らかの形で残したいという思いもありました。しかし映像制作には、活字とは桁違いの人手と費用がかかるのも事実です。

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 2007年は、映像作品『朝鮮通信使』の仕事がひと段落してからの下半期・半年間、私は可能な限り、方々を飛び回って資金調達の方法を探りましたが、「誰に、何を、伝えたいか」を突き詰めるには時間がかかるし、それを突き詰めないことにはお金も集め方も決めらません。何度も自信を失いかけたとき、真剣に耳を傾け、胸襟を開き、「とにかく、どんな画が撮れるか、やってみようよ」と背中を押してくれたのが、写真の2人、青島孝さん(「喜久酔」蔵元杜氏)と成岡正之さん(映像制作会社「オフィス・ゾラ静岡」社長)でした。

 ちょうど1年前、『朝鮮通信使』のプロデューサーが藤枝市郷土博物館への撮影依頼に手こ0118_2 ずっていた時、青島さんが同館の八木館長と親交があることを思い出した私は、シナリオハンティング中の京都や九州から電話で仲介をお願いし、青島さんは、大吟醸仕込みのピーク時にもかかわらず、八木館長の自宅にも再三、電話をかけて話を通してくれました。そして、2007年5月の『朝鮮通信使』初上映会には一番乗りで駆けつけ、「100年残る仕事をしましたね」と賞賛してくれました。

                    

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 成岡さんは『朝鮮通信使』の撮影カメラマン。70分余の作品で、九州から日光までの現地ロケ、駿府城・三保・久能山・大井川川越遺跡でのイメージ映像撮影、70点近い史料の撮影を、3週間足らずで一人でこなしました。

 静岡というローカルで独立系の映像クリエーターが置かれた環境の厳しさ、表現者としての生き方、静岡という地域を映像でどのように後世に残すべきか等々、成岡さんとは短期間に多くを語り合いました。このプロジェクトのためにも、彼のキャリアとスキルの高さを世に知らしめるべきと考え、現在、自分の地酒取材や朝鮮通信使制作秘話をからめた本を執筆しているところです。

 

 

  

 今日(18日)、初めて成岡さんと青島さんを引き合わせ、来週から試し撮りをスタートすることになりました。青島さんはあえて、最も神経を遣う、最高級の『喜久酔純米大吟醸松下米40』の仕込みの日を選んでくれました。最高の酒を撮るなら最高のカメラで、と、成岡さんも『朝鮮通信使』を撮ったハイビジョンカメラを持ち込んで、一昼夜、はりついての撮影になります。

 私一人が、どんなシナリオにしようかと頭の中で四の五の悩むよりも、職人2人が現場で摩擦し合って生み出されるものに、確かな答えがあるような気がしています。

 


コップ酒場の醍醐味

2008-01-17 21:29:45 | 地酒

 先日、『小夜衣』の森本酒造に紹介された金谷のコップ酒場・中屋酒店に、改めて取材にうかがいました。本日(17日)、静岡新聞ポータルサイトアットエスに掲載された拙文にもあるとおり、静岡では数少ない、酒の小売店で一杯飲み屋を併設している店です。昭和40年代までは多かったみたいですね、コップ酒場のある酒屋さん。50年代に入って食品衛生法に基づいた営業許可が必要となり、取引先の飲食店の顔色をうかがって、無理して営業許可を取るまでもない・・・と酒場をやめる店が続出した中、中屋酒店は頑固にコップ酒場の伝統を守り通しました。酒の販売は業務用よりも店頭売りがメインで、地域に欠かせない憩いの場でもあり、やめるわけにはいかなかったという事情もあったでしょう。

 6代目を継いだ片岡博さんは、店に足を運んでくれるお客さんに、少しでも珍しいもの、他では入手できないものを、と、県内外を駆け回って、こだわりの酒・ワイン・焼酎・調味料・食材などをそろえます。そして16時から営業のコップ酒場では、燗酒(若竹本醸造)1合250円ほか、小売店の冷蔵庫にある酒はどれでも注文OK、いろいろ種類を呑みたい人は0.5合からOKで、手づくりの煮物や焼き物を中心とした酒肴はほとんど400円以内というリーズナブルさ。日本酒1合が200円台で呑める店というのは、めったにお目にかかれないと思います。

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 「こういう店では、お燗や常温の酒がいいですね~」と舌なめずりをしていると、片岡さんが「これ、見たことありますか?」と出してきたのが写真の徳利。地元金谷の伝統窯・志戸呂焼の『ハト徳利』で江戸時代の作だとか。現物はほとんど残っていないそうで、志戸呂焼の作家がスケッチをしに来たこともあるそうです。ハトが身体を丸めてじっとしている姿に似てますよね。昔は、囲炉裏の灰の中にこれを挿して、囲炉裏の熱でじんわり燗付けをしたそうです。

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 今では錫の容器で湯煎する燗付け器『かんすけ』を使用しています。見た目は味気ないですが、ハト徳利の囲炉裏燗に近い、やんわりじわじわやさしいお燗が楽しめます。

 ちなみに、私は毎年、10月1日に開催される静岡県地酒まつり(静岡県酒造組合主催)で、『かんすけ』を使って燗酒ブースを担当し、20種余りの燗酒向きの県内銘柄を試飲していますが、純米酒を湯煎で丁寧に燗付けした美味しさは格別です。この店なら、いろんな銘柄を好きな温度で燗付けしてもらえそう!

 中屋酒店の常連客は、ほとんどが地元の人。16時の開店と同時にやってくる年配のお父さんたち、仕事が終わり、仲間とワイワイやってくる若い人たち、家族2代・3代と続けて通うご近所さん・・・私のようにアタマでっかちの地酒オタクは少ないかもしれませんが、一見のオタッキーでも気取らず、のんびり、時にはお燗の温度や、銘柄・酒器へのこだわりなんかも語り合いながら呑める雰囲気というのは得がたいものでした。

 地域で、個人商店が必要とされる理由も、そこにあるような気がします。


しずおか元気印応援団発足!

2008-01-15 10:31:38 | NPO

 ここに来て急に寒くなったのと、年末年始も休みなく突っ走ってきた反動からか、一昨日から風邪を引きました。昨夜は気合を入れて、5風来館B1階Meal Muji(静岡市葵区呉服町)で開かれた『しずおか元気印応援団発足トークセッション』のMCを務めてきました。

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 『しずおか元気印応援団』というのは、静岡県の社会起業家(social entrepreneur)を応援しようと、NPO研究の第一人者である日詰一幸さん(静岡大学教授)、昨年内閣総理大臣再チャレンジ支援賞を受賞した杉本彰子さん(NPO法人活き生きネットワーク)、そしてSOHOしずおかを全国屈指の起業支援組織に育てた小出宗昭さん(インキュベーションマネージャー・浜松産業創造センタービジネスコーディネーター)が立ち上げたボランティア集団。市民活動、企業のCSR活動、コミュニティビジネス等に関心のある市民60人が集い、3人の応援団のトークとフリーディスカッションを楽しみました。

 詳細は、しずおか元気印応援団ブログを見ていただくとして、参加者の多くが大学生や20代の若者、女性、シニア、障がい者など、いわゆる働き盛りの男性を除いた階層だったということが印象的でした。今までは社会の中で弱者扱いをされていた人々が、着実に社会の担い手となり、社会を変えていこうという潮流を作っているのです。

 「昨年静岡で開かれたアビリンピックでは、静岡市内にバリアフリーのホテルがまったくなく、選手が3日間風呂に入れず、福祉施設まで風呂を借りに行った」とか、「あの村上ファンドの村上サンがNPOや社会起業家に投資し始めた」とか、こういう集まりでしか聞けない声や情報もたくさんありました。

 起業の芽というのは、最初は弱者の小さな「困りごと」かもしれません。あるいは、小出さん曰く、最初は「昨日9個覚えた英単語を今日は10個覚えようとか、肩までしか上がらなかった腕をもう数センチ上げてみようと努力する気持ちが原点」かもしれません。

 ゆうべの集まりは、そんな前向きな気持ちの人ばかりが集まったせいか、2時間半があっという間で「こんなにたくさん名刺交換したことない」という声があちこちから聞かれました。私も、この手の会でまさか「地酒のスズキマユミさんですよね」と声をかけられるとは思いませんでした。

 帰宅して熱が出ましたが、風邪の熱ではなく、元気印の熱気に煽られたせいだと思います。おかげで今朝はすっきり目が覚めました。