杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

高麗美術館の誠信

2008-01-13 13:01:25 | 朝鮮通信使

 京都の都道府県対抗女子駅伝をテレビ観戦しながら、年明けに、京都の高麗美術館から届いた2008年の展覧会案内に目を通しています。映像作品『朝鮮通信使』の取材・ロケで大変お世話になった朝鮮美術専門の私立美術館で、今年、開館20周年を迎えます。

 平成と同時に誕生した美術館ですが、創設までには多くの道程があったようです。上田正昭館長のメッセージによると、発端は、1969年に創刊された季刊誌「日本のなかの朝鮮文化」。72年に奈良の明日香村で高松塚古墳が発見され、高句麗壁画との関わりが広く知られ、日本の古代文化と朝鮮文化の関係にいち早く着目した同誌が高く評価されました。73年に東京で開催された「日本のなかの朝鮮文化を励ます会」には、司馬遼太郎、金達寿、谷川徹三、中野重治、松本清張、陳舜臣、岡本太郎、有吉佐和子、永井路子、和歌森太郎、井上光貞といった錚々たる名士が揃ったそうです。

 「すべての国の人々が、祖国の歴史や文化を正しく理解することで、真の国際人となる一歩を踏み出してほしい」・・・私財を投げ打って館の創設に尽力した故・鄭詔文氏(初代理事長)の言葉です。これは、朝鮮通信使の接待役を務めた雨森芳洲(対馬藩の儒学者)の「互いの違いを知り、理解し、敬い、誠意を尽くせ」という誠信の教えにも通じます。

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 私はそのことを、『朝鮮通信使』の取材・ロケでお世話になった高麗美術館の学芸員・片山真理子さん(写真奥)からも、身をもって教えられました。

 片山さんは、私が最初、飛び込みで美術館を訪れたとき、不快な顔ひとつせず、時間を割き、丁寧に取材に応じてくれました。他の施設では門前払いをくらったり、撮影許可が下りなかったり、煩雑な手続きで時間がかかる文化財撮影にも、「朝鮮文化を伝える素晴らしい機会だから」とすんなり応じてくれました。

 撮影時には場所や道具をきちんと用意し、監督やカメラマンの要望にきめ細かく対応してくれます。カメラマンの成岡正之さんは「この手の撮影の場合、勝手に撮れと放っておかれるか、いちいちダメ出しをしてこちらにプレッシャーをかけるところが多いけど、こんなにすんなり気持ちよく撮影ができるケースは珍しい」と感心していました。

 キュレーターという職業に憧れ、学芸員資格も持つ私は、片山さんの仕事ぶりに感激し、すっかりファンになり、撮影後も折に触れて連絡を取り、館が92年から定期的に開催する『高麗美術館研究講座』にも通うようになりました。次回2月23日(土)の第105回講座は、朝鮮通信使の画人と日本の画家の交流をテーマにした内容で、個人的にも楽しみです。

 20周年特別展では4月12日~5月25日まで「愉快なクリム―朝鮮民画」を開催。クリムとは朝鮮語で絵や図のことで、静岡市立芹沢銈介美術館のコレクションも出品されます。「静岡との縁が再び出来て、うれしい」と片山さんも喜んでくれました。

 自国や隣国の文化を正しく理解し、その交流がもたらした功績を知る・・・『朝鮮通信使』の仕事は、私のこれからの取材活動に多くの道標を与えてくれました。脚本の出来栄えには不満足な点も多々ありますが、とにかく、多くの人に見ていただかないことには、片山さんたちの思いを伝えられないわけです。未見の方は、ぜひ2月15日の上映会に来てくださいね。

 

 


朝鮮通信使の酒ラベル

2008-01-12 16:26:02 | 朝鮮通信使

Photo_2  年末に何本か買い置きしてあった『白隠正宗大吟醸』。最後の1本を、朝鮮通信使研究家の北村欽哉先生にお贈りしました。派手な香りを抑え、まるくストンと素直に味わえる、呑み飽きしない大吟です。

 このラベル、不思議な絵が描いてあるでしょう。白隠正宗の醸造元・高嶋酒造がある沼津市原は、名僧・白隠禅師ゆかりの地として知られ、このラベルは禅師が描いた「布袋瓢箪駒図」をモチーフにしたそうです。

 写真ではわかりにくいかもしれませんが、瓢箪から飛び出したのは、朝鮮の伝統武芸『馬上才(ばじょうさい)』を演じる朝鮮通信使。おもに江戸の武家屋敷等で披露されたため、白隠禅師が直接見て描いたのかは不明ですが、朝鮮通信使一行は数千人の大行列で東海道を往復し、沼津の原でも宿場町を上げて歓待したため、どこかで通信使を見た可能性はあるようです。

 原宿本陣の渡辺家と縁戚だった高嶋家には、渡辺家を介して通信使が残した書や画がいくつか残っています。現在、白隠正宗のロゴマークになっている「孝」の字も、通信使が残した書の中から、蔵元の高嶋一孝さんが自分の名前の一字を取って、デフォルメしたそうです。粋なマークですよね!

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 ちょうど一年前の今頃、私は、静岡市製作の映像作品『朝鮮通信使~駿府発二十一世紀の使行録』の脚本執筆のため、北村先生、金両基先生(評論家・哲学博士)、通信使研究の第一人者・仲尾宏先生(京都造形芸術大学教授)に詰込レクチャーを受け、シナリオハンティングで各地を飛び回っていました。

 当初、脚本家の候補は何人かいて、 中にはドキュメンタリー映画やNHK番組等で実績のあるベテラン作家もいたそうですが、「朝鮮通信使のような難しいテーマを書くなら1年かかる」と言われたとか。ギリギリになっても書き手が決まらず、あせったプロデューサーが知り合いのライターを介して私に「史料整理と調査を手伝ってくれ」と話をもって来ました。

 まさか脚本を書く羽目になるとは思わず、好きな歴史の勉強になるなら、と軽~い気持ちで引き受けてしまった私。案の定、20年余のライター人生で最も過酷な仕事になりました。

 辛い仕事を乗り切れた理由のひとつは、地方の酒蔵に朝鮮通信使ゆかりの史料が多く残っていたことでした。一夜漬けの知識で、朝鮮通信使というこれまであまり日の当たらなかった分野の研究を長年コツコツと続け、一家言お持ちの先生方と対峙するのは、精神的にも大変なプレッシャーでしたが、地酒のネタで先生方に取り入る?ことで短期間に距離を縮めることができたと思います。

 完成後、「朝鮮通信使ゆかりの酒蔵をピックアップして取材したい」と相談したところ、北村先生も仲尾先生も「面白いテーマだからぜひやりなさい」と太鼓判を押してくれました。

 朝鮮通信使がそのままずばり、酒のラベルになっているのは、全国でもこの白隠正宗だけ。北村先生が送ってくださった資料によると、県内ではほかに杉井酒造の本家に文献が残っているようで、酒造繁忙期がひと段落したらぜひ調査してみようと思います。

 県外では東京都福生市の石川酒造もかなりの史料を持っているそうです。他にご存知の方がいたらぜひ情報をください。

 

 

 映像作品『朝鮮通信使』は、昨年5月の公式上映会でお披露目されたきり、一般公開の機会がなく(歴史教材としてDVD化され、市内公立学校等へ配布されました)、制作者のはしくれとして寂しい限りでしたが、来る2月15日(金)15時から、オープンしたばかりの静岡市クリエーター支援センター(駿府公園東御門横・旧青葉小学校)で、『しずおかコンテンツバレーフェスティバル』の一環として上映されます。平日午後ですが、お時間の許せる方はぜひお越しください!


プロフェショナルの生き方

2008-01-11 13:56:53 | 日記・エッセイ・コラム

 今朝、仕事前、録画しておいたNHK『プロフェショナル~仕事の流儀』を観て、82歳の鮨職人・小野二郎さんの手の美しさに見入ってしまいました。プロフェショナルとは何かという最後の問いに「仕事に没Photo頭し、さらに上を目指す人」と応えられたことも印象的でした。

 一昨日、ご一緒した樹木医の塚本こなみさんも、06年5月に『プロフェショナル』に出演された際、同じ質問に「一生究めようと思い続けることのできる人」と応えていました。

  こなみさんの手は、二郎さんとは違った美しさがあります。この写真は7~8年前、友人の写真家に誘われ、冷かし半分に写真家集団の作品展に出品したもので、こなみさんをモデルに撮らせていただいた内の1枚です。

 撮影技術が未熟な上に白黒でわかりにくいかもしれませんが、手のひらを“センサー”に、木の肌に当て、声なき声を聞くこなみさんの仕草は、(女性とは思えない逞しい手ですが)生物への畏敬と慈愛に満ちた美しい姿でした。

 ご存知の方も多いと思いますが、塚本こなみさんは日本初の女性樹木医となり、学者や専門家が不可能と匙を投げた大藤の移植を成功させ、当時、経営難だったあしかがフラワーパークを集客数日本一の観光植物園に甦らせた人です。

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 私は10数年前、ちょうどこなみさんが大藤の移植に取り組もうとしていた頃、運よく取材でお会いし、「樹木の治療に日本酒や酒粕も使うのよ」とうかがってからのおつきあい。あしかがフラワーパークの藤にも、静岡の酒粕を使っていただいています。

 こなみさんは、学者の机上の理論や樹木医の世界の常識にとらわれず、「もっと樹を活かす方法があるはず」「人間を治療するとしたらどうする?」をつねに模索されます。ひと回り年下の私のつたない酒の話にも熱心に耳を傾け、お勧めする本にきちんと目を通されます。とにかく知識の吸収や実践に対する姿勢は、謙虚かつ能動的で、これでいいと満足し、止めてしまうことをしません。「貴女は回遊魚だ、動きを止めたら窒息死する、と言われたことがあるのよ」とこなみさんは笑います。

 2年前、東京国立博物館で開かれた『仏像~木にこめられた祈り』展を特集するNHK日曜美術館に、樹木医として出演された後、「真弓ちゃんと一緒に観れば勉強になるから」と、収録でさんざん観た館内を、私のために再度一緒に廻ってくれました。私は、こなみさんに声をかけていただくたびに、必死に仏像や歴史の本を読み返したものでした。

 周囲や世間がどんなに評価・賞賛しようとも、何年キャリアを積み上げたとしても、つねに上を目指したいと思い続ける情熱。二郎さんやこなみさんの域に達することの出来る人は、ほんの一握りでしょう。身近にそんな生き方を実践している先達がいるだけで、私は運に恵まれている、その運を無駄にしないようにと、気持ちを引き締めています。

 このブログも、文章が上手くなりたいという一念で、毎日、とにかく、自分の言葉で書く、ということを習慣付けようと始めました。書いている間、眠気も食欲も忘れ、無心になれる自分は、書くことが好きなんだなあと今さらながら感じています。プロフェショナルだと自信を持って語れる域には、まだほど遠いのですが…。


逞しい野菜&植物

2008-01-10 18:13:54 | 農業

Photo_3 Photo_4 Photo_5  昨日おじゃましたはままつフラワーパークは、この時期の平日とあって、ほとんど貸切気分で園内散策が楽しめました。目をひく見ごろの花がなくても楽しめたのは、サボテン温室。

 「徳利ラン」「不夜城」「竜血樹」「阿亜相界(ああそうかい)」「奇想天外」・・・これ、植物の名前です。   

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 誰が最初にネーミングしたのかわかりませんが、真面目でお堅い植物学者さんが考えたとしたら、たいしたコピーライターですね。いずれも乾Photo_6燥地帯で逞しく生き抜く、ちょっとクセのある姿の植物たちです。名前から想像してみてください。

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 目下、昨日の取材でいただいたセルリーと格闘しています。ゆうべは葉を味噌汁の具にし、今朝は野菜コンソメスープにし、晩は、以前、JAの仕事で制作した静岡野菜の料理レシピ集を引っ張り出して、料理研究家大長悦子さんに教えていただいた『セルリーの肉巻き』を作ってみました。

①豚ロース薄切りを塩コショウして、小麦粉を軽くまぶす。

②セルリーを5センチ程度の長さに切る。

③セルリーを肉でくるくる巻く。

④フライパンに油をひいて、肉の綴じ目を下にして焼く。

⑤タレ(しょうゆ・みりん・酒を大さじ1ずつ+梅肉を小さじ2)をからませて焼き上げる。

 これに、朝、作っておいた生セルリーとキャベツの甘酢漬けを添え、小夜衣しぼりたてを軽く一杯。ささやかながら、<旬>を味わうぜいたくを満喫しました。

 ところでセルリーってユーラシア大陸で古来から薬用・香料に重宝された万能野菜で、日本には、秀吉の朝鮮侵攻の時、加藤清正が朝鮮半島から持ち帰ったらしいですね。

 映像作品『朝鮮通信使』の脚本執筆時には、鼻受取状(朝鮮の民間人に対し、老若男女問わず生きたまま鼻を削いで戦利品にしたその記録)やら、京都の耳塚(鼻を塩漬けにした壷を納めた場所)やら生々しい事実を目の当たりにし、朝鮮半島での日本軍の蛮行に目を背けたくなる心境でしたが、今、こうして、日本軍の被慮となった朝鮮の陶工たちが技術を伝えた有田焼の皿にセルリーを盛って腹を満たす我が身が不思議です…。

 ちなみに、セルリーのあの独特の香りの成分アピオイルには、抗がん作用、精神安定、更年期障害の軽減といった効能があるそうです。


窓を全開した一日

2008-01-09 21:56:23 | 地酒

 年明けから休みなく仕事してますが、デスクワークと会議ばかりで息が詰まりそうでした。今日やっと一日、外の取材! まさに窓全開! 県広報誌MYしずおかの取材で、5時30分に家を出て国道1号線バイパスをひたすら西へ走り、すぐ隣りが愛知県という湖西市新所原のセルリー農家を訪問しました(セロリと呼ぶほうが馴染むかもしれませんが、セルリー(celery)が正しいようです)。冬~春に出回るセルリーは静岡-とくに県西部産が全国シェアの7割強。夏~秋は長野産が主流で、静岡と長野が日本の2大産地なのです。

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 見てください、この大きさ! 株がパンパンに張って茎がミシミシ硬く、太くてつややか。春野菜のイメージが強いようですが、生産者の杉浦智景さんは「今が一番美味しいんだ」と太鼓判。ご承知のとおり、セルリーはビタミンA・B群、カロテン、カルシウム、食物繊維の宝庫で、茎よりも葉っぱのほうが栄養豊富です。

 杉浦さんは「今の時期なら生で美味しいから、我が家では塩昆布漬け(セルリー2本を斜め薄切りにし、塩昆布20gを混ぜ合わせる)、インスタント浅漬け(筋を取って千切りにしたセルリーを浅漬けやキムチ漬けの素に漬ける)で食べるよ」とのこと。葉っぱは味噌汁、スープ、炒め物、てんぷらなど何にでも使えます。どんな野菜も<旬>は味も栄養価も高いと言います。この時期のセルリー、見逃す手はないですね!

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 湖西市から一路、はままつフラワーパークへ。テクニカルアドバイザーを務める樹木医の塚本こなみさんに新年のご挨拶。

 1年半前、私はこなみさんの紹介で、フラワーパークのカフェレストラン運営業者の企画コンペの審査に参加しました。審査される経験はあっても審査する側になる経験は初めてだったので、大いに勉強になりました。

 新たな業者が決まって以降、どうなったのか現場を見ていなかったので、楽しみにうかがいましたが、緊縮予算の中、大胆なモデルチェンジはなかなか難しいよう…。それでも、オリジナルのケーキセット580円(写真)はお得でフラワーパークらしい華やかさもあって人気上々でした。

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 14時にフラワーパークを出て、次に向かったのは菊川駅前にある『小夜衣』の蔵元・森本酒造。個性的な自醸蔵(蔵元が杜氏を兼任する蔵)としてマニアックなファンの多く、その個性的な風貌を茶化したイラストを10年前、連載していた毎日新聞『しずおか酒と人』に描いたところ、静岡の酒販店が無断でホームページに載せ、それを見た酒卸店が勝手にラベルにしてしまったという事件がありました。当時は、彼らの知的所有権意識の無さにあきれてしまいましたが、「おまえさんだって、俺の顔を勝手に描いただろうが~」と森本さんにたしなめられ(苦笑)、ラベル用に改めて描き下ろすことで収拾しました。

 

 

 10年近く経ち、その酒がどうなったのか気になって聞いたところ、細々ながら注文があって出荷しているとのこと。近所で買える店を森本さんに聞き、その足で金谷の中屋酒店を訪ねてみたら、コップ酒場併設の、なんともレトロで雰囲気のある素敵な酒屋さん! 若主人は偶然、私が酒の記事を連載中の雑誌sizo;kaの愛読者で、「真弓さんですか」と気さくに声をかけてくれました。この店はいずれ、何かの媒体で取材・紹介させていただきます!

 19時すぎに帰宅したら、映像作品『朝鮮通信使』の監督・山本起也さんから“06年公開作品『ツヒノスミカ』がスペインの映画祭に正式出品が決まった”という年賀状が、また『朝鮮通信使』の監修を務めた北村欽哉先生から、私が研究してみたいと相談していた朝鮮通信使と酒蔵の関係資料が届いていました(ご当人たちにお祝いやお礼の返事を出す前ですが、うれしくなって、つい先に書いてしまいました)。

 年明け以来、ずっと閉め切った窓を久しぶりに開けたら、いっきに春の風が吹き込んできて、思いっきり目が醒めた!という心境です。自分が動けば、周りが動き、自分をさらに動かしてくれるものですね。ライターはやっぱり現場を走り、偶然なのか必然なのか判りませんが、さまざまな出会いや発見をしてナンボのもんだ、と再認識した一日でした。