「結果が大事なのか?過程が大切なのか?」というようなことをよく言います。「結果と過程の関係は鶏とたまごの関係」だとも言います(鶏は過程たまごは結果です)。
目的・目標を掲げてチャレンジしろということを言います。ISO14001環境マネジメントシステムでも目的・目標の設定は重大な要求事項の一なのです。ISOでも、その目的・目標を掲げるだけでなく、達成するためのプロセスをきちんとすることを要求しているのです。
一般的に結果とは、次のようなイメージがあります。
①ゴール・終着点
②成果・業績
③目的
④とりかえしできない
⑤結論
⑥出来事
⑦終わり
⑧動かせない
⑨最終地点
⑩成功・失敗
⑪夢
⑫頂上
過程(プロセス)とは、次のようなイメージがあります。
①活動・作業
②作業
③手順
④工程
⑤業務
⑥システム、しくみ
⑦内訳・中身
⑧方法・手段
⑨一里塚・途中
⑩旅
⑪努力・がんばり
⑫道
「結果さえ得られば、結果さえよければ、プロセスなんかどうでもいいじゃないか」というのは極めて危険な落とし穴です。どちらかというと、昨今の考えは結果第一・結果重視主義(業績評価主義)なんです。国家や人類の破滅の原因になりかねません。
人間は、ライオンが獲物を追うのと同様に、結果を追求しますが、それは間違ってはいません。神様は生き物に欲求や目的を持たせ、それによって動いたり努力するように仕組んでいるのです。神様は結果・目的を餌・動機づけの手段にしているです。まあ結果とか目的・目標とかは、猿(人)回しの芸を仕込むための餌なんです。ところが人間や生き物は、悲しいことに、結果(餌)そのものを価値あるものと思いこんでしまうのです。人間も所詮、猿回しの猿と同じなんです。
例えば大金持ちになることは、単なる手段・一里塚なんですが、人間にとっては、目的・ゴールになってしまうのです。例えば試合に勝つとか負けるということは、本来どうでもよいのですが、人間は金メダルをとったのチャンピオンになったと喜び、、逆に負けてしまった、もう駄目だと顔を歪めて大泣きするのです。
悲しい・嬉しいがバネになるから、そういうことも、ある意味、良いのです。結果というのは、ゴールや終着駅でなく、本当はほんの一里塚、出発点に過ぎませんが、結果を求めて努力し続けることは素晴らしいことです。結果は新たな出発点です、大切なことは、ゴールしたらそれを次にどう繋げるかということなんです。人間は日々・年々結果を出していくのです。その結果をバネにして、あせることなく着実に、飛躍・成長していくのです。
ということは勝つことも大事ですが、負けることも同じくらい大事なことなんです。泣き喚くことはないのです。泣くなんてことは人間が未熟な証拠です、ひ弱な証拠です、根性なしの証拠なんです。人生・競争においてはだらしなく泣くなんてことは、やめるべきなんです。泣いても良いですが、すぐに泣き止み、頭を切り替え次のことを考えるべきなんです。
ところで人間や生き物と自然の違いは、
●人間や生き物は結果を求める
●自然は過程(プロセス)を求める
自然は過程を完璧にしようと永遠に努力し続けるのです。自然は結果には関心を持ちません。淡々としています。淡々と過程を遂行します。
一方、人間は過程より結果に関心を持ち過ぎるのです。過程(作業や努力)を好みません、結果だけ欲しがります。
人間だから、ある意味それでも良いのですが、私の言いたいことは、「プロセス重視」の生き方をしろということなんです。
もう少し具体的に言うと、貴方の一日の仕事・作業・家事・人付き合い・・・なんでもその過程を重視しなさいということです。過程を重視すれば、結果は必然的についてくるのです。
世の中には、何をやっても、どうやってもうまく行かない人が沢山おられます。そういう人の根本原因は、過程・プロセス・方法・手段・手続きを疎かにするからなんです。結果ばかりを求め過ぎているのです。
かの有名なイチロー選手が偉いのは、偉大な記録を達成しても、その次を着実に求めていくことと、日頃の行いが実にきちんとしていることです。彼を見ていると見てくれや結果を問うのでなく、見えない部分・裏の部分・地道な部分・プロセスの部分を大切にしていることです。彼は試合が終わると誰よりも早くあっという間にベンチを去ります。彼にとってはその日の勝ち負けは、もう終わっているのです。彼の気持ちはもう翌日のことを考えて次の行動へといち早く進めているのです。だらだら日本のサラリーマンのように残業したり、一杯飲んで仕事の愚痴なんかこぼす暇はないのです。
イチロー選手にとっては、「結果良ければ全て良し」なんかはとんでもない話なんです。彼にとっては、なんとなく結果が出ている時は、むしろ大きな問題なんです。むしろ彼は、「何故打ててしまっているんだろう?」と真剣に悩むのです。イチロー選手にとっては、ヒットにならなくても打ち方:プロセスが思い通りで納得するものであれば、それはそれで良いのです。
例えば、巨人ジャインアンツは、長年なんとなく勝ててきたチームなんです。何の疑問も持たなかったのです。あまり努力なんかしなくても投げ・打ち・とって・勝ててきたのです。
最近の巨人ジャイアンツの挫折は、そこに根本的原因があるのです。かつての阪神も逆の意味で結果に埋没していたのです。バブル崩壊直後の大企業も同様でした。大企業の経営者も社員も、自分たちは、非常にプロセスを大事にし、しっかりしていると信じ込んでいたのです。ところが彼らも結果満足に陥っていたのです。
一般的に大きな挫折を味わった人はプロセス重視型・そうでない順調な人生を歩んできた人は、結果重視になりがちです。「結果が良ければいいじゃん」となり、又は結果がよくないと、「こんなもんよ、しょうがねーよ」となりがちなんです。
私の場合、過去を振り返ってみると、松下電器時代は「松下はプロセス観念の乏しい結果主義(結果重視)の会社でした」エンゼル工業やローム株式会社は、日々プロセス(プロセス重視)ばかりでした。今自営している関西ISOシニアコンサルタントネットワークの仕事は日々、まさにプロセス重視のなにものでもありません。
結果満足の人というのは、世間に沢山います。そういう人はアイドルみたいな人なのです。一時期はスポットライトを浴びることがあっても、それははかない夢か蜃気楼にすぎないのです。
美人であることなんかたいしたことではないのです。美人であろうがそうでなかろうが、大事なことは、その人の中身、目に見えない部分なんです。ところが美人という結果に関して、女は必死に美人であることを追求し、ろくでなしの美人の女に男は目を奪われるのです。美人は、必死に美人にすがりつくのです、すがり続ける一生を送る運命にはまるのです。その点、むしろ不美人のほうが、ずーっと幸せです。そんな幽霊みたいなものにすがって一生を送らなくてすみますから。
結果を求め過程をいい加減にしたための悲劇的結末の例には次のようなものがあります。
①環境破壊.地球温暖化
②種の絶滅
③家庭崩壊
④高齢化&少子化
⑤学校崩壊
⑥バブル崩壊
⑦海岸線の破壊
⑧ダム建設による自然破壊
⑨役所・役人による出鱈目な赤字事業
⑩役人・役所の不正
⑪農村・島の過疎化
⑫大企業の急速な収益悪化
・・・・・・・・・・・・
『過程:プロセス』とは、最高の方法・手段・ルール・手順・システムのことです。株式投資の例をあげますと、株式を購入しますが儲からない人というのは、株式の買い・売りのためのプロセスが実にいい加減で、出鱈目なんです、安易です、思いつきです、エイヤーです、どんぶり勘定なんです。儲けよう儲けようと結果だけを求めて失敗を繰り返すのです。
結果は偶然に得ることもありますが、それは実は大きな失敗なんです。本人が勝手に成功したと大喜びするだけなんです。イチロー選手は言います「今日は4打数4安打だったが、今日は納得していない」とね。彼の素晴らしい所以ですよ。プロセスがいい加減でも結果が出たというのは、むしろ失敗した場合の何倍もまずいことなんです。「棚から牡丹餅」はいけません。
株式投資でも「結果として儲けりゃそれでいい」でなく「読みとおりに儲からない」人は結果的に大損する宿命なんです。素人の競馬・競輪も同様で儲かることはありません、最後は必ずかなりの損をしてしまうものです。人生も競馬・競輪と同様なんです。ほとんどの人が大損の宿命を持っているんです。人生も素人は大負けし、人生のプロだけが大勝ちするようにできているのです。
・結果主義=誤魔化し=その場しのぎ=甘い対応
・過程主義=真実探求=根本対策=厳しい対応
現代の日本の子供は作業をできませんし、ほとんどしません。ボタンを押せばテレビが見え・カードを出せば物が買えるからです、過程プロセスを知らずに結果のみを得る習慣が身についてしまっているのです。こんな恐ろしい話はないのです。動物園の猿以下で、いざという場合の生活力が全くないのです。
宝くじなんてのは、その最たるもので1億円に当選したなんてことは、その人の人生にとって、大不幸の何ものでもないのです。それを幸福と勘違いするのは、浅はかな人間のなせる業なんです。くれぐれも「棚から牡丹餅」はやめなさいよ。当たらなかったら「良かった」と思うべきなんです。自民党の杉村太蔵議員なんかは、まさしく棚ぼたで当選したんですが、典型的に不幸な人ですよ。マスコミにちやほやされ有頂天の彼がそのことに気づいているわけがありません。気づいていれば辞退すべきなんです。だって杉村君は、実力で勝ったのではないからです。棚ぼたの人、何かで当てて大儲けした人、成金の人は、はたから見ても足が地についていないのです。
結果は、過程の正しさを証明するもの又は間違いを指摘するものですから、結果・アウトプットはきちんと分析・評価することも大切です。汚い話で恐縮ですが、ウンコに血が混じる・ゆるい・硬すぎる・妙に黒い・色が悪い・臭い・詰まるのは結果が悪いのですから、プロセス(内臓)に問題があるのですし、赤信号なんです。ほっておくと”ウンノツキ”ですよ。「臭いものには蓋」というのがそもそも最たる結果主義であり、悪い結果に対して予防処置でなく、隠してしまえという最悪のものなんです。美人が化粧ばかりして自分の人格を誤魔化すようなものですかね。
女・子供というものは、甘やかすと結果主義に陥り、簡単に堕落し易いものなんです。男は過程主義が中心ですから結果主義で堕落する割合は本来少ないのですが、最近は男が女性化・子供化し、女・子供のような結果主義の甘い男が増えています。女・子供は元々結果主義ですからそうならないように手綱を絞めておかないといけないのです。昔日本の母親達は、手綱を厳しく握られていましたから、今思うとものすごくしっかりしてました。だから日本の国もかなりしっかりしていたんですが、男女同権や技術進歩、文化的生活などによって、一時に綱を緩めたものですから、その堕落は目に余るものがあります。その結果、日本の男も子供も、女諸共に、だらしなくなってしまい、取り返しができないくらい堕落・崩壊してしまったというわけです。
「結果」とは良くても悪くても、単なるウンコなんです。
人は、言ってみれば、ウンコを喜んでいるんです。ウンコは過程(プロセス)の良し悪しを評価するものでしかないのであります。
結果管理以上に、何倍もプロセスコントロール(工程管理)を重要視しないと結果はどんどんおかしなものになっていくのです。例えば年寄りの寿命が長くなって高齢化社会になっていくのですが、問題は高齢化によって少子化になっていくことです。過去、えんえんと人間が祖先から子々孫々に伝えてきたものが、大きく途切れようとしているのです。長寿という結果を求めたために、子孫の減少すなわち子孫への伝達というプロセスに多大な支障を生じているのです。寝たきり老人・草木に例えると枯れ葉・枯れ枝を大事にする一方で、種を蒔かず、新芽を踏みにじるようなプロセス管理しかなされてこなっかったということなんです。そのために、子孫を絶やすという不合理な結果が出てしまっているのです。
一般に少子高齢化というのは、年金問題とか税収不足とか労働力不足の問題として扱われますが、そんなことはどうでもよい問題なんです。老人が野垂れ死にするのは当たり前のことなんです。むしろ老人が長生きすることのほうが問題なんです。重要な問題は祖先からの文化や伝統などの諸々のものの子孫への伝達・伝承が途切れることなんです。日本の国家として、人口のプロセスが管理されておらず大きなゆがみを放置して、長寿世界一なんて結果に、単純かつ安易に大喜びしていたのです。国家も企業も個人も、結果だけを追い求め、工程管理(プロセスコントロール)をきちんとしてないと破滅するんです。
人は欲(結果)で操られ、欲をかいて、欲に振り回されて、最悪の人生を送る人が多いのです。真っ当な生き方をし、真から素晴らしい人生を送る人はほんの一握りなんです。
「山(結果)があるから登るんだ」ではないのです。「坂道(過程)があるから登るんだ」なんです。山(結果)なんて登ったら降りるしかないのですが、坂道(過程)は永遠にあるのです。少なくとも「山に登った」「勝った負けた」ということだけで、一喜一憂なんかしないことです。
禅の修業で、悟りを開いた高僧が言うことは「禅に悟ったということはない、死ぬまで永遠に修行が続くだけだ」禅僧は悟るという結果を求めているのでなく、修行という過程を求め続けているのだということです。
政治家も景気を良くしたり、年金問題を解決することもさることながら、そういう結果を出すこと以上に大事なことは、政治や役所のプロセスを継続的に改革することなんです。高度成長期には、結果が出ることをいいことにして、ずさんな政治や役所の仕事がまかり通ってきて、その膨大なマイナスのつけがまわされてきたのです。
結果を求めたあまりにも大きな代償・つけなんです。アメリカのブッシュ大統領も「結果主義の罠」にはまって抜け出そうと喘いでいるのです。
”結果・外見にのみ目を奪われて物事を判断するとババ引く”
”大切なのは、過程・プロセス・中身の良し悪しだ”
目的・目標を掲げてチャレンジしろということを言います。ISO14001環境マネジメントシステムでも目的・目標の設定は重大な要求事項の一なのです。ISOでも、その目的・目標を掲げるだけでなく、達成するためのプロセスをきちんとすることを要求しているのです。
一般的に結果とは、次のようなイメージがあります。
①ゴール・終着点
②成果・業績
③目的
④とりかえしできない
⑤結論
⑥出来事
⑦終わり
⑧動かせない
⑨最終地点
⑩成功・失敗
⑪夢
⑫頂上
過程(プロセス)とは、次のようなイメージがあります。
①活動・作業
②作業
③手順
④工程
⑤業務
⑥システム、しくみ
⑦内訳・中身
⑧方法・手段
⑨一里塚・途中
⑩旅
⑪努力・がんばり
⑫道
「結果さえ得られば、結果さえよければ、プロセスなんかどうでもいいじゃないか」というのは極めて危険な落とし穴です。どちらかというと、昨今の考えは結果第一・結果重視主義(業績評価主義)なんです。国家や人類の破滅の原因になりかねません。
人間は、ライオンが獲物を追うのと同様に、結果を追求しますが、それは間違ってはいません。神様は生き物に欲求や目的を持たせ、それによって動いたり努力するように仕組んでいるのです。神様は結果・目的を餌・動機づけの手段にしているです。まあ結果とか目的・目標とかは、猿(人)回しの芸を仕込むための餌なんです。ところが人間や生き物は、悲しいことに、結果(餌)そのものを価値あるものと思いこんでしまうのです。人間も所詮、猿回しの猿と同じなんです。
例えば大金持ちになることは、単なる手段・一里塚なんですが、人間にとっては、目的・ゴールになってしまうのです。例えば試合に勝つとか負けるということは、本来どうでもよいのですが、人間は金メダルをとったのチャンピオンになったと喜び、、逆に負けてしまった、もう駄目だと顔を歪めて大泣きするのです。
悲しい・嬉しいがバネになるから、そういうことも、ある意味、良いのです。結果というのは、ゴールや終着駅でなく、本当はほんの一里塚、出発点に過ぎませんが、結果を求めて努力し続けることは素晴らしいことです。結果は新たな出発点です、大切なことは、ゴールしたらそれを次にどう繋げるかということなんです。人間は日々・年々結果を出していくのです。その結果をバネにして、あせることなく着実に、飛躍・成長していくのです。
ということは勝つことも大事ですが、負けることも同じくらい大事なことなんです。泣き喚くことはないのです。泣くなんてことは人間が未熟な証拠です、ひ弱な証拠です、根性なしの証拠なんです。人生・競争においてはだらしなく泣くなんてことは、やめるべきなんです。泣いても良いですが、すぐに泣き止み、頭を切り替え次のことを考えるべきなんです。
ところで人間や生き物と自然の違いは、
●人間や生き物は結果を求める
●自然は過程(プロセス)を求める
自然は過程を完璧にしようと永遠に努力し続けるのです。自然は結果には関心を持ちません。淡々としています。淡々と過程を遂行します。
一方、人間は過程より結果に関心を持ち過ぎるのです。過程(作業や努力)を好みません、結果だけ欲しがります。
人間だから、ある意味それでも良いのですが、私の言いたいことは、「プロセス重視」の生き方をしろということなんです。
もう少し具体的に言うと、貴方の一日の仕事・作業・家事・人付き合い・・・なんでもその過程を重視しなさいということです。過程を重視すれば、結果は必然的についてくるのです。
世の中には、何をやっても、どうやってもうまく行かない人が沢山おられます。そういう人の根本原因は、過程・プロセス・方法・手段・手続きを疎かにするからなんです。結果ばかりを求め過ぎているのです。
かの有名なイチロー選手が偉いのは、偉大な記録を達成しても、その次を着実に求めていくことと、日頃の行いが実にきちんとしていることです。彼を見ていると見てくれや結果を問うのでなく、見えない部分・裏の部分・地道な部分・プロセスの部分を大切にしていることです。彼は試合が終わると誰よりも早くあっという間にベンチを去ります。彼にとってはその日の勝ち負けは、もう終わっているのです。彼の気持ちはもう翌日のことを考えて次の行動へといち早く進めているのです。だらだら日本のサラリーマンのように残業したり、一杯飲んで仕事の愚痴なんかこぼす暇はないのです。
イチロー選手にとっては、「結果良ければ全て良し」なんかはとんでもない話なんです。彼にとっては、なんとなく結果が出ている時は、むしろ大きな問題なんです。むしろ彼は、「何故打ててしまっているんだろう?」と真剣に悩むのです。イチロー選手にとっては、ヒットにならなくても打ち方:プロセスが思い通りで納得するものであれば、それはそれで良いのです。
例えば、巨人ジャインアンツは、長年なんとなく勝ててきたチームなんです。何の疑問も持たなかったのです。あまり努力なんかしなくても投げ・打ち・とって・勝ててきたのです。
最近の巨人ジャイアンツの挫折は、そこに根本的原因があるのです。かつての阪神も逆の意味で結果に埋没していたのです。バブル崩壊直後の大企業も同様でした。大企業の経営者も社員も、自分たちは、非常にプロセスを大事にし、しっかりしていると信じ込んでいたのです。ところが彼らも結果満足に陥っていたのです。
一般的に大きな挫折を味わった人はプロセス重視型・そうでない順調な人生を歩んできた人は、結果重視になりがちです。「結果が良ければいいじゃん」となり、又は結果がよくないと、「こんなもんよ、しょうがねーよ」となりがちなんです。
私の場合、過去を振り返ってみると、松下電器時代は「松下はプロセス観念の乏しい結果主義(結果重視)の会社でした」エンゼル工業やローム株式会社は、日々プロセス(プロセス重視)ばかりでした。今自営している関西ISOシニアコンサルタントネットワークの仕事は日々、まさにプロセス重視のなにものでもありません。
結果満足の人というのは、世間に沢山います。そういう人はアイドルみたいな人なのです。一時期はスポットライトを浴びることがあっても、それははかない夢か蜃気楼にすぎないのです。
美人であることなんかたいしたことではないのです。美人であろうがそうでなかろうが、大事なことは、その人の中身、目に見えない部分なんです。ところが美人という結果に関して、女は必死に美人であることを追求し、ろくでなしの美人の女に男は目を奪われるのです。美人は、必死に美人にすがりつくのです、すがり続ける一生を送る運命にはまるのです。その点、むしろ不美人のほうが、ずーっと幸せです。そんな幽霊みたいなものにすがって一生を送らなくてすみますから。
結果を求め過程をいい加減にしたための悲劇的結末の例には次のようなものがあります。
①環境破壊.地球温暖化
②種の絶滅
③家庭崩壊
④高齢化&少子化
⑤学校崩壊
⑥バブル崩壊
⑦海岸線の破壊
⑧ダム建設による自然破壊
⑨役所・役人による出鱈目な赤字事業
⑩役人・役所の不正
⑪農村・島の過疎化
⑫大企業の急速な収益悪化
・・・・・・・・・・・・
『過程:プロセス』とは、最高の方法・手段・ルール・手順・システムのことです。株式投資の例をあげますと、株式を購入しますが儲からない人というのは、株式の買い・売りのためのプロセスが実にいい加減で、出鱈目なんです、安易です、思いつきです、エイヤーです、どんぶり勘定なんです。儲けよう儲けようと結果だけを求めて失敗を繰り返すのです。
結果は偶然に得ることもありますが、それは実は大きな失敗なんです。本人が勝手に成功したと大喜びするだけなんです。イチロー選手は言います「今日は4打数4安打だったが、今日は納得していない」とね。彼の素晴らしい所以ですよ。プロセスがいい加減でも結果が出たというのは、むしろ失敗した場合の何倍もまずいことなんです。「棚から牡丹餅」はいけません。
株式投資でも「結果として儲けりゃそれでいい」でなく「読みとおりに儲からない」人は結果的に大損する宿命なんです。素人の競馬・競輪も同様で儲かることはありません、最後は必ずかなりの損をしてしまうものです。人生も競馬・競輪と同様なんです。ほとんどの人が大損の宿命を持っているんです。人生も素人は大負けし、人生のプロだけが大勝ちするようにできているのです。
・結果主義=誤魔化し=その場しのぎ=甘い対応
・過程主義=真実探求=根本対策=厳しい対応
現代の日本の子供は作業をできませんし、ほとんどしません。ボタンを押せばテレビが見え・カードを出せば物が買えるからです、過程プロセスを知らずに結果のみを得る習慣が身についてしまっているのです。こんな恐ろしい話はないのです。動物園の猿以下で、いざという場合の生活力が全くないのです。
宝くじなんてのは、その最たるもので1億円に当選したなんてことは、その人の人生にとって、大不幸の何ものでもないのです。それを幸福と勘違いするのは、浅はかな人間のなせる業なんです。くれぐれも「棚から牡丹餅」はやめなさいよ。当たらなかったら「良かった」と思うべきなんです。自民党の杉村太蔵議員なんかは、まさしく棚ぼたで当選したんですが、典型的に不幸な人ですよ。マスコミにちやほやされ有頂天の彼がそのことに気づいているわけがありません。気づいていれば辞退すべきなんです。だって杉村君は、実力で勝ったのではないからです。棚ぼたの人、何かで当てて大儲けした人、成金の人は、はたから見ても足が地についていないのです。
結果は、過程の正しさを証明するもの又は間違いを指摘するものですから、結果・アウトプットはきちんと分析・評価することも大切です。汚い話で恐縮ですが、ウンコに血が混じる・ゆるい・硬すぎる・妙に黒い・色が悪い・臭い・詰まるのは結果が悪いのですから、プロセス(内臓)に問題があるのですし、赤信号なんです。ほっておくと”ウンノツキ”ですよ。「臭いものには蓋」というのがそもそも最たる結果主義であり、悪い結果に対して予防処置でなく、隠してしまえという最悪のものなんです。美人が化粧ばかりして自分の人格を誤魔化すようなものですかね。
女・子供というものは、甘やかすと結果主義に陥り、簡単に堕落し易いものなんです。男は過程主義が中心ですから結果主義で堕落する割合は本来少ないのですが、最近は男が女性化・子供化し、女・子供のような結果主義の甘い男が増えています。女・子供は元々結果主義ですからそうならないように手綱を絞めておかないといけないのです。昔日本の母親達は、手綱を厳しく握られていましたから、今思うとものすごくしっかりしてました。だから日本の国もかなりしっかりしていたんですが、男女同権や技術進歩、文化的生活などによって、一時に綱を緩めたものですから、その堕落は目に余るものがあります。その結果、日本の男も子供も、女諸共に、だらしなくなってしまい、取り返しができないくらい堕落・崩壊してしまったというわけです。
「結果」とは良くても悪くても、単なるウンコなんです。
人は、言ってみれば、ウンコを喜んでいるんです。ウンコは過程(プロセス)の良し悪しを評価するものでしかないのであります。
結果管理以上に、何倍もプロセスコントロール(工程管理)を重要視しないと結果はどんどんおかしなものになっていくのです。例えば年寄りの寿命が長くなって高齢化社会になっていくのですが、問題は高齢化によって少子化になっていくことです。過去、えんえんと人間が祖先から子々孫々に伝えてきたものが、大きく途切れようとしているのです。長寿という結果を求めたために、子孫の減少すなわち子孫への伝達というプロセスに多大な支障を生じているのです。寝たきり老人・草木に例えると枯れ葉・枯れ枝を大事にする一方で、種を蒔かず、新芽を踏みにじるようなプロセス管理しかなされてこなっかったということなんです。そのために、子孫を絶やすという不合理な結果が出てしまっているのです。
一般に少子高齢化というのは、年金問題とか税収不足とか労働力不足の問題として扱われますが、そんなことはどうでもよい問題なんです。老人が野垂れ死にするのは当たり前のことなんです。むしろ老人が長生きすることのほうが問題なんです。重要な問題は祖先からの文化や伝統などの諸々のものの子孫への伝達・伝承が途切れることなんです。日本の国家として、人口のプロセスが管理されておらず大きなゆがみを放置して、長寿世界一なんて結果に、単純かつ安易に大喜びしていたのです。国家も企業も個人も、結果だけを追い求め、工程管理(プロセスコントロール)をきちんとしてないと破滅するんです。
人は欲(結果)で操られ、欲をかいて、欲に振り回されて、最悪の人生を送る人が多いのです。真っ当な生き方をし、真から素晴らしい人生を送る人はほんの一握りなんです。
「山(結果)があるから登るんだ」ではないのです。「坂道(過程)があるから登るんだ」なんです。山(結果)なんて登ったら降りるしかないのですが、坂道(過程)は永遠にあるのです。少なくとも「山に登った」「勝った負けた」ということだけで、一喜一憂なんかしないことです。
禅の修業で、悟りを開いた高僧が言うことは「禅に悟ったということはない、死ぬまで永遠に修行が続くだけだ」禅僧は悟るという結果を求めているのでなく、修行という過程を求め続けているのだということです。
政治家も景気を良くしたり、年金問題を解決することもさることながら、そういう結果を出すこと以上に大事なことは、政治や役所のプロセスを継続的に改革することなんです。高度成長期には、結果が出ることをいいことにして、ずさんな政治や役所の仕事がまかり通ってきて、その膨大なマイナスのつけがまわされてきたのです。
結果を求めたあまりにも大きな代償・つけなんです。アメリカのブッシュ大統領も「結果主義の罠」にはまって抜け出そうと喘いでいるのです。
”結果・外見にのみ目を奪われて物事を判断するとババ引く”
”大切なのは、過程・プロセス・中身の良し悪しだ”