一体、文明の進歩というのは何のためにあるのでしょうか?
文明が進歩するということは一般にどのように認識されているのでしょうか?
驚くことに、歴史上の多くの文明は100%確実に滅亡している。その点、日本なんかは例外なのかもしれない。しかし現代ではその日本も例外ではなくなりつつあることを心配する。現実に世界に冠たる日本の良き文化や伝統も、悪しき文化の欧米化を早め、根こそぎ猛烈な勢いで破壊され続けている
文明の進歩・発展=
①素晴らしい
②人を幸せにする
③世の中が進歩する
④世の中の平和に貢献する
⑤豊かになる
⑥便利になる
⑦経済が発展する
⑧人類が進歩する
⑨健康になる
⑩心にゆとりができる
⑪次世代に良いものが引き継がれる
⑫和み・快活になり・世の中が明るくなる
人間は、一見よさそうなものや、自分にとって心地良い物事を無批判に良いものと認識してしまう悪癖がある。
・「美人は素晴らしい」
・「真面目な人は信用できる」
・「坊主や警察官は偉い」
・「頑張ることはいい」
・「忙しいということは働いている」
・・・・・・・・・・・・
こういう安易に認識してしまうことを一般に『認識の関』と呼んでいますが、
人間は、「認識間違い=安易に誤解する生き物」なのです。
薬でも大量に飲めば死ぬ。食事を大量にとれば肥満になり成人病になる・・・・・・何でも行き過ぎると、いいどころか、むしろとんでもない害悪になることは承知しているのですが、物事は一本調子の発展を許さない、行き過ぎれば、ブレーキがかかるというように常にバランスをとるのです。
自動車の場合を考えてみますと、スピードを出し過ぎれば、そのブレーキは急ブレーキになり大事故の原因になるのです。特に急ブレーキの場所やタイミングを間違えば100%確実にスリップ・転覆横転・するのです。
ブレーキは早めに踏むのが鉄則ですが、スピ-ド狂は急ブレーキのスリルをむしろ好み事故を起こす。
ところが、文明の話になると「文明の進歩は、どうもブレーキをかけなくていい」「否、文明の進歩はブレーキをかけてはならない」というような間違った認識がある。
・何事も作用あれば反作用あり
・過ぎたるは及ばざるがごとし
・禍福はあざなえる縄のごとし
・奢る平家は久しからず
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『であって文明の進歩=考えるまでもなく良いことだ』
ではないことはこの数十年の日本が証明してきた。
良いはずの文明の進歩が何故こんな結果をまねいたのだろうか、真剣に考えてみたことがありますか?霊長類である多くの人間が良かれと思ってやってきたことが、逆の結果になるなんて「しんじられなーい」のだが、
人間の思いと逆の結果になる「文明の進歩」について何も考えず・是正策もとらず、否むしろもっと文明の進歩をして何とかしようとしているのだ。更に更にしんじられなーい。
・文明の進歩のあるべき規準を設定しないで無闇に文明を進歩させてもいいのだろうか?(文明進歩規制法ってとこかな?)
・文明の進歩は、地球や人類を取り返しのできない事態に陥らせてしまわないのか?
・文明の進歩に限度を決めないといけないのではないか?
・「何をやっても文明の進歩だからいい」という考えは、はたして正しいのか?
・生れながらに高度な文明を与えられた人は、それで当り前になってしまわないか?
(当り前なんかではないのに、お金持ちの家に生まれた子供が「自分は金持ちで偉いんだ」と勝手に思い込むのと似ている)
・文明が肥大化し、維持できなくはならないのか?
・文明の進歩によって、人間の精神は正常に維持できるのか?
・文明の進歩によって、人間の肉体は正常に維持できるのか?
・文明の進歩によって、地球や自然は正常に維持できるのか?
そういう根本的な問題はそっちのけで、未だにその失敗を反省すらしないで、文明の進歩を礼賛している。何の疑問も不安も抱かない。
だが待てよ、「そんなんでいいのだろうか?」確かに昔人口も少なく、人々の生活水準が極めて低い時代であれば、さほど問題にはならなかっただろう。しかし物事は行き過ぎる限界というのがある。超えてはならない限度というものがあるのだ。
法律ではそういう限界や限度を設定して制定・公布・取り締まっているのだ。
・自動車は60km以上の速度を出してはいけません
・騒音は50db以上ではいけません
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しかし肝心な文明の進歩というものには規制値がないのだ。そういうことに人間はまだ気づいていない。個々の事案について問題にはするが、根本のことについての規制・抑制・阻止・禁止ができていない。
法律において大事なことは個々の法律ではなく、その元になる憲法なんです。ところが憲法というものの重要性についての認識が欠落している。平和とか最低の暮らしとか教育を受ける権利なんてことの決まりはあるが、「文明の進歩や経済発展を抑制しろ」なんて憲法がないのだ。それでいいのだろうか?
「憲法は守る・改正する」なんて議論でなはく憲法が時代にあったものかを常時検証して行くことが大切なんです。
私は憲法の更に前に理念というものを制定すべきだとも思う。誰も否定も反対もできない「国民の継続的な平和や暮らしの維持の根本」となる根本理念が大切なんです。
その憲法に、そろそろ文明の進歩の抑制ということが一つあってしかるべきではないかと思うのです。
しかし多分100%そういうことは不可能であり、日本も、悪しき欧米化に飲み込まれ、崩壊していく運命なんでしょうね。もう「どうにも止まらない」のであります。
http://www.meico.org/p14.html
文明が進歩するということは一般にどのように認識されているのでしょうか?
驚くことに、歴史上の多くの文明は100%確実に滅亡している。その点、日本なんかは例外なのかもしれない。しかし現代ではその日本も例外ではなくなりつつあることを心配する。現実に世界に冠たる日本の良き文化や伝統も、悪しき文化の欧米化を早め、根こそぎ猛烈な勢いで破壊され続けている
文明の進歩・発展=
①素晴らしい
②人を幸せにする
③世の中が進歩する
④世の中の平和に貢献する
⑤豊かになる
⑥便利になる
⑦経済が発展する
⑧人類が進歩する
⑨健康になる
⑩心にゆとりができる
⑪次世代に良いものが引き継がれる
⑫和み・快活になり・世の中が明るくなる
人間は、一見よさそうなものや、自分にとって心地良い物事を無批判に良いものと認識してしまう悪癖がある。
・「美人は素晴らしい」
・「真面目な人は信用できる」
・「坊主や警察官は偉い」
・「頑張ることはいい」
・「忙しいということは働いている」
・・・・・・・・・・・・
こういう安易に認識してしまうことを一般に『認識の関』と呼んでいますが、
人間は、「認識間違い=安易に誤解する生き物」なのです。
薬でも大量に飲めば死ぬ。食事を大量にとれば肥満になり成人病になる・・・・・・何でも行き過ぎると、いいどころか、むしろとんでもない害悪になることは承知しているのですが、物事は一本調子の発展を許さない、行き過ぎれば、ブレーキがかかるというように常にバランスをとるのです。
自動車の場合を考えてみますと、スピードを出し過ぎれば、そのブレーキは急ブレーキになり大事故の原因になるのです。特に急ブレーキの場所やタイミングを間違えば100%確実にスリップ・転覆横転・するのです。
ブレーキは早めに踏むのが鉄則ですが、スピ-ド狂は急ブレーキのスリルをむしろ好み事故を起こす。
ところが、文明の話になると「文明の進歩は、どうもブレーキをかけなくていい」「否、文明の進歩はブレーキをかけてはならない」というような間違った認識がある。
・何事も作用あれば反作用あり
・過ぎたるは及ばざるがごとし
・禍福はあざなえる縄のごとし
・奢る平家は久しからず
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『であって文明の進歩=考えるまでもなく良いことだ』
ではないことはこの数十年の日本が証明してきた。
良いはずの文明の進歩が何故こんな結果をまねいたのだろうか、真剣に考えてみたことがありますか?霊長類である多くの人間が良かれと思ってやってきたことが、逆の結果になるなんて「しんじられなーい」のだが、
人間の思いと逆の結果になる「文明の進歩」について何も考えず・是正策もとらず、否むしろもっと文明の進歩をして何とかしようとしているのだ。更に更にしんじられなーい。
・文明の進歩のあるべき規準を設定しないで無闇に文明を進歩させてもいいのだろうか?(文明進歩規制法ってとこかな?)
・文明の進歩は、地球や人類を取り返しのできない事態に陥らせてしまわないのか?
・文明の進歩に限度を決めないといけないのではないか?
・「何をやっても文明の進歩だからいい」という考えは、はたして正しいのか?
・生れながらに高度な文明を与えられた人は、それで当り前になってしまわないか?
(当り前なんかではないのに、お金持ちの家に生まれた子供が「自分は金持ちで偉いんだ」と勝手に思い込むのと似ている)
・文明が肥大化し、維持できなくはならないのか?
・文明の進歩によって、人間の精神は正常に維持できるのか?
・文明の進歩によって、人間の肉体は正常に維持できるのか?
・文明の進歩によって、地球や自然は正常に維持できるのか?
そういう根本的な問題はそっちのけで、未だにその失敗を反省すらしないで、文明の進歩を礼賛している。何の疑問も不安も抱かない。
だが待てよ、「そんなんでいいのだろうか?」確かに昔人口も少なく、人々の生活水準が極めて低い時代であれば、さほど問題にはならなかっただろう。しかし物事は行き過ぎる限界というのがある。超えてはならない限度というものがあるのだ。
法律ではそういう限界や限度を設定して制定・公布・取り締まっているのだ。
・自動車は60km以上の速度を出してはいけません
・騒音は50db以上ではいけません
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しかし肝心な文明の進歩というものには規制値がないのだ。そういうことに人間はまだ気づいていない。個々の事案について問題にはするが、根本のことについての規制・抑制・阻止・禁止ができていない。
法律において大事なことは個々の法律ではなく、その元になる憲法なんです。ところが憲法というものの重要性についての認識が欠落している。平和とか最低の暮らしとか教育を受ける権利なんてことの決まりはあるが、「文明の進歩や経済発展を抑制しろ」なんて憲法がないのだ。それでいいのだろうか?
「憲法は守る・改正する」なんて議論でなはく憲法が時代にあったものかを常時検証して行くことが大切なんです。
私は憲法の更に前に理念というものを制定すべきだとも思う。誰も否定も反対もできない「国民の継続的な平和や暮らしの維持の根本」となる根本理念が大切なんです。
その憲法に、そろそろ文明の進歩の抑制ということが一つあってしかるべきではないかと思うのです。
しかし多分100%そういうことは不可能であり、日本も、悪しき欧米化に飲み込まれ、崩壊していく運命なんでしょうね。もう「どうにも止まらない」のであります。
http://www.meico.org/p14.html