村上和隆
12~3月:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
4~11月:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10
電話:090-6750-7889 メール:meico_murakami@mail.goo.ne.jp
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業
=====================================================
その83.甘い自分・甘い親・甘い上司・甘い友人・甘い社会が自分を甘く評価する
多くの人間は、自分自身のことをどう思っているのだろうか?
多くの人間は、自分を案外、素晴らしい者だと思っている
それが証拠には他人からけなされようもんなら、烈火のごとく怒るのだ
でも、自分が素晴らしいかどうかなんて、一体誰がそんなこと言ってるんだ
誰なのか?自分勝手にそう思っているに過ぎないのではないのか?
甘い自分が自分を評価鑑定してどうなるというのか?
評価鑑定は、相当に厳しい人にやってもらうのが良いのだが
そんな人は自分の周囲にもいないし
もしいたとしても、そんな人のそばには近づこうともしないですよね
普通、自分の周囲は、自分と同じ程度又は以下の人が集まっているもんだ
大企業の社長でさえ周囲にはおべっか言う人間を取り巻きに置くものだ
すなわち、日々甘い周囲の人々とナーナーの付き合いをしているだけなんだ
人間って奴はそんなもんだ、他人から少しでも忠告されると良い気分はしない
生き物のなかで一番、それほど了見の小さい生き物なんだ
まだ「いやそんなことはない厳しい会社や社会の評価に日々晒されている」なんて言うのか
でも会社や社会も、所詮、自分と大して変わらぬ人間ではないか
かくして日々死ぬまで「自分を徹底して甘やかして生きる」のが人間なんだ
甘い自分が甘い人に囲まれて、甘い生き方をしているということだ
そんな甘い自分に、生涯、一体どれほどの大事ができようか?
「そんなことはない、これまで幾多のつらい厳しい生き方にわが身を晒してきた」なってまだ言う
もしそうであれば「さぞかし日々が楽しく、充実し、微塵の迷いも悩みもなく、平常心で誰からも尊敬もされている」というわけか?
そういうことを言われると、「そんなことはない」という自信のない答えが返ってくる
いいか、一度真剣に自分の評価鑑定をしてもらいなさい、または自ら厳しい評価をしてみなさい
そうでしょ、多分何一つとして自分の行いがきちんとできていない子供以下の自分に驚愕するはずだ
まあ驚愕する人は、まだましなほうで、まだ見込みがあるというものだが
ほとんどの人は、依然として、自分はそこそこの人間であると信じきっているから始末が悪い
そして団栗(ドングリ)の背比べで、「やれ誰より自分のほうが勝っているのなんの」とわめくのだ
何よりもまず、とてつもなく自分自身に甘いことに気づくことが第一歩だ
全ての修行というものは、不完全極まりない未熟な自分をまず強く認識することから始まる
そして、全ての修行というものは、最後死ぬまで自分が不完全極まりないということを認識し続けることだ
世の中は、中途半端な人間を世の中に送り出し、日々甘い環境で育てられるのだ
特に豊かで便利で平和になった現代はそうである
特に豊かで便利で平和になった日本や欧米がそうである
豊かで便利で平和というものは、人間から強く逞しい健全な魂を抜き取るのだ
豊かで便利で平和は、人間をますます甘くするだけなのだ「子孫に美田を残すものではない」のだが
それでも、豊かで便利で平和を求めて、人間を弱体化するのに全勢力をかける
国や親達は、多額の税金やお金を使って、教育していると言うが
親や社会が家庭での教育を放棄し、甘えん坊先生や塾やテレビやネットにお任せで、真の努力を放棄してしまった
親が自ら子供達に真剣な教育をする代わりに、いかにずる賢く生きるかを教えるのだ
豊かで便利で平和でない国の人々を見て「可哀想だ、何とかしてあげたい」なんて先進国の人間は言う
大間違いもはなはだしい、思い上がりもはなはだしい、愚かなことこの上ない先進国の甘い人間
可哀想なのはどっちだ、甘えた日々の暮らしにドップリ浸かって、自分を甘やかし放題甘やかして暮らす
片や、日々食べる食物も水もお金もなく、厳しい日々を真剣に生きる磨かれた人間と
一体どちらが人間として優れているというのか?
甘やかさされ放題の先進国の人間は、人間を物や金や暮らしぶりでしか見ない
人間として立派かどうかなんてものは、見ようともしない
むしろ人間として立派でなくても、お金や権力がある人間を素晴らしい人間と誤認してしまう
自分を厳しく評価・鑑定し、日々反省に結びつけ切磋琢磨していくのでなければせっかくの人生も無駄に終わる
真剣に生きるということは、そんなに難しいことではない
難しく考えるから、難しくなり、実行につながらないのだ
日々の行い・暮らし・仕事・身の回りの雑役・人様との付き合い・・・いつも真剣に向き合うことだ
悟りを開こうなんて考えていると、いつまで経っても悟りどころか、人間としての基礎さえ出来ずに終わってしまう
頭だけで考えようとするな、頭で良い・悪いを考えるな、つまらんことに欲を出すな
いいか、日々の暮らしの中で身の回りの全てにおいてきちんと真摯に真面目に素直に実行すればいいのだ
人間は堕落すると、徹底して堕落するものである
堕落し続けるほど怖いものはないはずなのに、人間は喜んで堕落に身を任せてしまう
怖い・怖い・怖いそんな傲慢で怠惰で欲張りで我侭な軽蔑に値する自分を人間として受け入れてている自分が怖い
放っておくと自分はどんどん甘やかされてしまう
甘やかすのは社会でもあるが
その甘やかしを止めるのは、厳しい鬼のような自分以外にはいないと覚悟せい
甘い人間に手当てを出すなんてことを今の政治家は好き好んでやる
努力も反省もしないで「くれくれ」「もらって当たり前」なんていう人間が増えているが
こんな世の中にしてしまったのも、政治家や役人などの無能な人間のやってきたことの結果なのである
戦後の衣食住に困っていた時代を思い出せ
誰も手当てなんかくれなかった、その日の暮らしにも困り果てていたじゃないか
でも皆元気で明るく、未来を信じて、質素で倹約で謙虚で勤勉で素直で真面目だったじゃないか
逞しく、素直で、質素で、元気で、明るい、きちんとした人間に育てるのが教育である
自らもそういう人間になるように日々努めて、子供や若者の手本になるべきなのだ
社会や政治や大人は、自分自身と子供を逞しく育て、決して甘やかしてはならないのだ
自分がやらずに誰がやる
今すぐやらずに、いつやるのか
変わることを他人に要求する当の本人が全く変わらない、だから物事は良くならない
人生勉強会
人生について
安曇川山中田舎暮らし
村上和隆の人生一言
12~3月:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
4~11月:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10
電話:090-6750-7889 メール:meico_murakami@mail.goo.ne.jp
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業
=====================================================
その83.甘い自分・甘い親・甘い上司・甘い友人・甘い社会が自分を甘く評価する
多くの人間は、自分自身のことをどう思っているのだろうか?
多くの人間は、自分を案外、素晴らしい者だと思っている
それが証拠には他人からけなされようもんなら、烈火のごとく怒るのだ
でも、自分が素晴らしいかどうかなんて、一体誰がそんなこと言ってるんだ
誰なのか?自分勝手にそう思っているに過ぎないのではないのか?
甘い自分が自分を評価鑑定してどうなるというのか?
評価鑑定は、相当に厳しい人にやってもらうのが良いのだが
そんな人は自分の周囲にもいないし
もしいたとしても、そんな人のそばには近づこうともしないですよね
普通、自分の周囲は、自分と同じ程度又は以下の人が集まっているもんだ
大企業の社長でさえ周囲にはおべっか言う人間を取り巻きに置くものだ
すなわち、日々甘い周囲の人々とナーナーの付き合いをしているだけなんだ
人間って奴はそんなもんだ、他人から少しでも忠告されると良い気分はしない
生き物のなかで一番、それほど了見の小さい生き物なんだ
まだ「いやそんなことはない厳しい会社や社会の評価に日々晒されている」なんて言うのか
でも会社や社会も、所詮、自分と大して変わらぬ人間ではないか
かくして日々死ぬまで「自分を徹底して甘やかして生きる」のが人間なんだ
甘い自分が甘い人に囲まれて、甘い生き方をしているということだ
そんな甘い自分に、生涯、一体どれほどの大事ができようか?
「そんなことはない、これまで幾多のつらい厳しい生き方にわが身を晒してきた」なってまだ言う
もしそうであれば「さぞかし日々が楽しく、充実し、微塵の迷いも悩みもなく、平常心で誰からも尊敬もされている」というわけか?
そういうことを言われると、「そんなことはない」という自信のない答えが返ってくる
いいか、一度真剣に自分の評価鑑定をしてもらいなさい、または自ら厳しい評価をしてみなさい
そうでしょ、多分何一つとして自分の行いがきちんとできていない子供以下の自分に驚愕するはずだ
まあ驚愕する人は、まだましなほうで、まだ見込みがあるというものだが
ほとんどの人は、依然として、自分はそこそこの人間であると信じきっているから始末が悪い
そして団栗(ドングリ)の背比べで、「やれ誰より自分のほうが勝っているのなんの」とわめくのだ
何よりもまず、とてつもなく自分自身に甘いことに気づくことが第一歩だ
全ての修行というものは、不完全極まりない未熟な自分をまず強く認識することから始まる
そして、全ての修行というものは、最後死ぬまで自分が不完全極まりないということを認識し続けることだ
世の中は、中途半端な人間を世の中に送り出し、日々甘い環境で育てられるのだ
特に豊かで便利で平和になった現代はそうである
特に豊かで便利で平和になった日本や欧米がそうである
豊かで便利で平和というものは、人間から強く逞しい健全な魂を抜き取るのだ
豊かで便利で平和は、人間をますます甘くするだけなのだ「子孫に美田を残すものではない」のだが
それでも、豊かで便利で平和を求めて、人間を弱体化するのに全勢力をかける
国や親達は、多額の税金やお金を使って、教育していると言うが
親や社会が家庭での教育を放棄し、甘えん坊先生や塾やテレビやネットにお任せで、真の努力を放棄してしまった
親が自ら子供達に真剣な教育をする代わりに、いかにずる賢く生きるかを教えるのだ
豊かで便利で平和でない国の人々を見て「可哀想だ、何とかしてあげたい」なんて先進国の人間は言う
大間違いもはなはだしい、思い上がりもはなはだしい、愚かなことこの上ない先進国の甘い人間
可哀想なのはどっちだ、甘えた日々の暮らしにドップリ浸かって、自分を甘やかし放題甘やかして暮らす
片や、日々食べる食物も水もお金もなく、厳しい日々を真剣に生きる磨かれた人間と
一体どちらが人間として優れているというのか?
甘やかさされ放題の先進国の人間は、人間を物や金や暮らしぶりでしか見ない
人間として立派かどうかなんてものは、見ようともしない
むしろ人間として立派でなくても、お金や権力がある人間を素晴らしい人間と誤認してしまう
自分を厳しく評価・鑑定し、日々反省に結びつけ切磋琢磨していくのでなければせっかくの人生も無駄に終わる
真剣に生きるということは、そんなに難しいことではない
難しく考えるから、難しくなり、実行につながらないのだ
日々の行い・暮らし・仕事・身の回りの雑役・人様との付き合い・・・いつも真剣に向き合うことだ
悟りを開こうなんて考えていると、いつまで経っても悟りどころか、人間としての基礎さえ出来ずに終わってしまう
頭だけで考えようとするな、頭で良い・悪いを考えるな、つまらんことに欲を出すな
いいか、日々の暮らしの中で身の回りの全てにおいてきちんと真摯に真面目に素直に実行すればいいのだ
人間は堕落すると、徹底して堕落するものである
堕落し続けるほど怖いものはないはずなのに、人間は喜んで堕落に身を任せてしまう
怖い・怖い・怖いそんな傲慢で怠惰で欲張りで我侭な軽蔑に値する自分を人間として受け入れてている自分が怖い
放っておくと自分はどんどん甘やかされてしまう
甘やかすのは社会でもあるが
その甘やかしを止めるのは、厳しい鬼のような自分以外にはいないと覚悟せい
甘い人間に手当てを出すなんてことを今の政治家は好き好んでやる
努力も反省もしないで「くれくれ」「もらって当たり前」なんていう人間が増えているが
こんな世の中にしてしまったのも、政治家や役人などの無能な人間のやってきたことの結果なのである
戦後の衣食住に困っていた時代を思い出せ
誰も手当てなんかくれなかった、その日の暮らしにも困り果てていたじゃないか
でも皆元気で明るく、未来を信じて、質素で倹約で謙虚で勤勉で素直で真面目だったじゃないか
逞しく、素直で、質素で、元気で、明るい、きちんとした人間に育てるのが教育である
自らもそういう人間になるように日々努めて、子供や若者の手本になるべきなのだ
社会や政治や大人は、自分自身と子供を逞しく育て、決して甘やかしてはならないのだ
自分がやらずに誰がやる
今すぐやらずに、いつやるのか
変わることを他人に要求する当の本人が全く変わらない、だから物事は良くならない
人生勉強会
人生について
安曇川山中田舎暮らし
村上和隆の人生一言