村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

377.異文化に飛び込む、暮らし続ける、そして異文化人になる

2014-11-06 11:05:33 | 人生
村上和隆 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
   滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10
村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や人生談義にお越し下さい滋賀人生勉強会
村上原基今日の一言    ⇒    村上爺さんのツイッター

24歳で東京から大阪に来た
大阪に5年住んだ、まず関西という異文化の洗礼を受けた
そして29歳で京都にマンション購入
それ以来43年京都に住み続けてきた

東京の人で京都に長く移り住んでいる人を私はあまり知らない
むしろ外人が京都に移り住んでいるということのほうが多い
そういう外人は京都弁を、結構流暢に喋るし、日本人より京都的だ

私が京都で苦労したことは
・なかなか京都の人の中に溶け込めない
・京都弁がうまく喋れない
・京都の人の考え方や行動が理解できない
・京都の人は想像以上にえげつなく、くらい、細かい、きつい
こういうことは私の場合や京都の場合に限ったことではない
どこに移り住んでも同様の苦労(楽しみかもしれないが)を誰もが味わうのだ
いろいろな会社の営業の人が異口同音に言うことは「京都は商売しずらい」である
私も京都で受注件数は最も少ないし、受注できた場合もなんだかんだと煩かった
東京や大阪は営業も仕事もし易かった、各社の人も同じようなことを言う

それだから京都の会社が素晴らしいかというと、必しもそんなことはなかった
むしろ、そういう会社の幹部に料簡・器量の狭さを実感したものだ
京都の会社の見積は、1~2割上乗せするのが当たり前だった
ところが42年も住み続けると、私自身がすでに京都人になっているのだが
京都に長年住むと京都の悪い所も良い所も皆わかって来るのだ

京都に来た当初の10年くらいは京都の名所に頻繁に出かけた
しかし今は京都の見物なんかほとんどしない
京都人は京都観光なんかしない
京都の寺や名所の近くに行く時も全く観光や買物もしなくなった
私もすっかり京都の考え方や暮らしに染まったらしい

東京人にとって京都は
・京都は外国である
・京都弁は外国語である
・京都人は外人である
でも京都人は、やはり日本人なのだ、否、最も日本人なのだが

京都弁を話せなくても話は通じるが
しかし京都弁を流暢に話せなければ心は通じ会えない
しかも京都弁を喋るだけでなく京都で長年暮さないといけない

東京人は割合からすると親元を離れない
京都は異文化しかも歴史の古い東京の人が住むのは困難な場所と言う意識が強いのだろう
例に過ぎないが東京人は
・京都弁を喋れない、喋ろうともしない
・京都で暮したことがない(観光しかしない)
・京都人と深く付き合わない、溶け込まない
だから京都のことを深く知っている東京人は極めて少ない
むしろ東京人は外国のことを理解している人が多いが、いかにも東京的だ
逆に関西の人は東京に移住する人が多いから東京のことを理解している人が多い

私は更にここ16年間春~秋は滋賀県高島市安曇川の山中に住み続けてきた
京都同様にやっと自然が理解でき始めてきた
でもやはり30年は住まないと深くは理解できていないのだろう
田舎に住んでいる最近の人は、自然のことをあまり理解していないようになっている
田舎の人も田舎に住んではいるが暮らしはいかにも都会的になっているからだ
田舎に住んではいるが、自然との付き合いをあまりしていないのだ
・自然は外国(宇宙)である
・自然弁は外国語(宇宙語)である
・自然人は外人(宇宙人)である

異文化に心底触れるには旅行や観光では不可能だ
だから旅行が移住のきっかけ作りにならなければ無意味、無価値なのだ
旅行や観光が旅行や観光だけで終わっている人は大したことはない、
お金と時間を捨てているのだ、例えば京都観光をしても京都のことは理解出来ないのだ
そういうタイプの人は人生を深く味わえない
コメント
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