村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

389.会話とは、人をさらけ出させてしまう、人間的成長のために日々、会話を磨く

2015-01-09 19:39:11 | 会話
村上和隆 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
   滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10
村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や人生談義にお越し下さい滋賀人生勉強会
村上原基今日の一言    ⇒    村上爺さんのツイッター


仕事や運動も大事だが、人との会話が、つくづく大事だと常日頃思っている
何事にも言えることだが、何かに秀でることはいかにも羨ましいみたいにだが
決してそんなことはない、大して良いことではなく、むしろ非常に悪いことでもある
”何でも屋”というのは馬鹿にされがちだが、何でも出来るというのは素晴らしい生き方なのだ

逆に一つ二つしか出来ないで、他は何一つ満足に出来ない人は、実に情けない=これぞ片輪者
会話もそうだが運動や掃除や近所付き合いなどと同様、現代人がしなくなったものの代表的なものだ
現代人はますます片輪者になっていく、周辺を見回しても会話も掃除も運動もできない人ばかりだ
私は何でも出来ます派の一人だが現代では”何でも出来ます人”は極めて少なくなっている

会話とは単に相手との関係を維持するとか、仲良くするための術だけではない
バレンタインチョコ的や印刷年賀状的な会話では全く意味がないということを言いたい
会話は、自分にとっても相手にとっても、大きな重要な効用をもたらす
元々、日本人は会話下手・会話嫌いだ、会話をより前向きに味わい・楽しむ習慣がない
そういう寡黙さや羞恥心に、ある種の日本人の弱さが隠れているのだと思う
日本人の恥や遠慮や思いやりの文化が、かえって仇になってしまうこともある

会話によって不愉快や弊害が生じるようでは何のことかわからない
会話は楽しむべきものである、楽しむことによって有益なものに変化する
会話が苦手で、嫌々会話をするようでは、何の効用ももたらされない

当然のことではあるが会話は、相手がいることを忘れてはならない
相手がいることで成り立つ、野球のキャッチボールやテニスや西欧ダンスのようなものだ
中には相手を忘れて、自分勝手に一人で話しまくる人がいるが不愉快極まりない
こんなのは会話ではない、一人芝居とでも言うか、二人でする効用は全く死んでしまう

キャッチボールで玉を相手に投げないで自分がずーっと持っているなんてのはありえないでしょ
不愉快極まりない会話からは有益なものは得られないことを絶対に忘れてはならない
会話とは相手と自分で会話を温め・盛り上げ・育てて・実りあるものしていくものだ
卓球やテニスのラリーみたいなものだ、相手とのやりとりの中であれこれ新たなことが生まれてくる

そこで、不愉快な代表的な会話のケースを一部紹介しよう
当の本人は全く気付かないのだが、是非、つまらん会話癖は即刻直すべきだ
本人に直接指摘するのは得意ではないし、相手の関係を悪くするばかりなので
相手に忠告したことはない、忠告をすんなり受け入れるようなタイプの人ではないからだ

会話でも大事なことは、素直さ・謙虚さ・誠実さ・明るさ・豊かさ・ゆとり・・・だと思うが
自分の会話の悪い癖を自分自身で自ら率先して治す努力をして欲しいものだ
悪い癖は他人は言い難いし本人は反発するから、自分自身で気付き、自分自身で直すことが大事だ

①一人で話し続ける、ほとんどの時間自分一人で話している(話しの独占状態)
②相手に会話をさせるように仕向けない、相手の話を引き出そうとしない(相手無視)
③毒舌で、こうせいあーせい、俺の言うことが正しいを主張する、自分の主義主張は曲げない(頑固)
④自分の興味のある話題だけに集中する、自分の話題に強引に引き込もうとする(強引)
⑤すぐに反発する「そんなことはない」「それは間違いだ」など相手の話に対して否定的・攻撃的(否定派)
⑥断定する「こうに決まっている」「絶対にこれが正しい」など、柔軟に引き下がる・譲ることはない(断定派)
⑦個人的な話、自分の仕事や趣味や家族や自分の友人の話が多い(自分話し)
⑧一回の話しが長い、要領が悪い、話しを短く切れない、相手の番に廻さない(長いさん)
⑨相手の話には関心を示さない、あいづちを打たず、相手の話には乗らない(聴き下手)
⑩相手への気配り・心配りが全くない、余裕がない、間を作らない(気配りなし)
⑪つまらなさそう又は無関心な態度、雰囲気、不機嫌、失礼な態度(暗い人)
⑫相手との対話を通じて一緒になって展開・拡大・発展させようとしない(一人芝居)

高齢者や一部の若者で気になるのが、固さ・頑固さ・篭る・狭さだ・暗さ・小ささだ
頑固な人は、素直さ・広さ・器の大きさがない、日本政治の批判野党みたいなものだ
何でも必用に反対・反発する、相手に同意しない、当然、称賛することは絶対にない
そういう人との会話は薄っぺらで無駄なもので、決して楽しいものではない

暗い、なんとなく否定的マイナスに反応する、会話が発展しない、会話から得るものが出てこない
会話は冷静かつゆとりをもって進めなければならないのだ
会話にそんなに目くじらたてて「こうだの」「あーだの」トコトン相手を攻め立てる必要はないのに
相手の言ったことに強く拘って、あーでもない、こーでもないと相手を説き伏せようとする人がいる
男は特にそういう傾向が強い、最近は女にもそういうのが増えてはいる、困ったものだ
女が男を真似るのもよいが、是非男の悪いところは真似ないで欲しいものだ

会話ではないが先輩や年配者から「こーしたらいいんではないか」というアドバイスに対して
「そんなことわかっています」とか「あまり意味ないと思います」とかすぐに反発する若者がいるが
忠告されるのが、自分を責められたと思い違いする、
責められるのが怖い、負けたような感覚になる、忠告は一切拒否反応するタイプで、そういう癖がある
そういう人の心は極めて小さい・弱い、アドバイスは何でも強い拒否反応を示す
「なんでも反発症候群」みたいな感じのものである。同じようなことを会話に持ち込む人がいるのだ

・無口で、会話が発展しない⇒人生観や性格が暗い・狭い・小さいのだろうか
・口数の多い人はやたらにはしゃぐ、わめく⇒面白くもなんともないが永遠に一人で話し続ける

会話には相手があるので、キャッチボールみたいに相手の力量を読み取り、それなりに進めることだ
相手が下手であればそれなりに、相手が旨ければ、かなり難しい、早い玉を投げてみる
会話も研鑽するうちに、会話を通じて相手の力量、器量をすぐに判定することが出来るようになる
あまり良い表現ではないが、相手を観察・判定する一番良い方法は会話だと思っている
会社の就職で面接ってのがあるが、あれは面接より会話にしたほうがずーっと相手がわかるのだが
5人くらいで会話というか話し合いをさせる、30分もやったら、ほぼわかってしまうはずだ

つまらん、次元の低い日常会話でもある程度は相手を判断できるが
そんなことで判定すると次元の低い「嫌い・好き」みたいな判定になってしまう
キャッチボールに例えると遅い球では、わからない、早い球や変化球を投げてみるのだ
会話でも、会話の内容や質をやや上げると相手の本質をより確実に判定できると思う
会話すると、すぐにその人の正体がじょじょに、あばかれ、相手のレベルが判定できてくる
自分の会話力は磨いておくことが望ましい、自分が下手では相手の判定など出来っこない

子供・女性・先生・経営者・学生・年齢・仕事・・・・
それぞれに会話は臨機応変に変えていかねばならない
そして相手を見抜くのも会話を通じて行うのである、最初の数分でほぼ見極められる
相手の性格・癖・人生観・人生経験・人格・気配り・頭の回転・センス・・何でも見透かされてしまう

会話を通じて、すぐさま、相手のレベルや癖を見抜けるようになる
①先見性・創造力
②品格・清廉・誠実
③器量・徳・人格・無・空
④健康・体力・力強さ・頑張り・忍耐力
⑤自然・素直・誠実さ
⑥平常・自戒・謙虚・礼儀
⑦眼識・見識
⑧経験・技能
⑨気配り・心配り・準備段取り・計画性
⑩性格・規範・振る舞い・礼節
⑪整理・整頓・清掃・清潔観・始末
⑫自立・自律・人生観
人を診る場合、以上の項目を念頭において、相手に合わせて会話を運ぶことだ
人の本質は会話に出てしまうものだ、会話によって自分は完全に見抜かれてしまうのだ

すなわち、やや極論かもしれないが

会話を磨くとは自分を磨くこと
自分を磨くとは会話を磨くことなのだと思う
自分というのは否応なしに会話に出てしまう


 ・下品な会話
 ・思いやりのない会話
 ・自慢話しだけの会話
 ・相手に興味ない、つまらない会話
 ・ゆとりのない、せっかちな会話
 など、など・・・・・・・・・

そんな会話は自分にも相手にも何の効用も与えない

何故そんなお粗末な会話をしてしまうのか
自分自身の心のうちや日頃の行いに原因を求めるべきなのだ
自分に、本質的な弱点・欠点・欠陥があるのだ、
そういうことを会話を通じて自覚することも会話の大きな効用の一つかもしれない

人が会話するのを冷ややかに観察すると、その人の人格や器の大きさや深さが見えてくるものだ
キャッチボールのように、相手はどんなレベルのどんな種類の人かをまず見定めて、
相手の力量にふさわしい会話で始めることが大事だ
いくら会話をしても進歩・進展のない相手であっても、相手に合わせてそれなりに付き合うことだ
日本人は見知らぬ人や初めての人と会話することを躊躇うが
そんな引篭もりでは、いつまでたっても人間的成長は得られない

もっと誰とも気楽に楽しく会話をしよう
誰ともそれなりに気さくに楽しい会話が出来ることが会話力やその人の人格・人徳のバロメーターだ
会話で自分を磨こう、会話を通じて人生を知ろう

京都伏見のマンション9階で、二週間前に干し始めた柿はもうかなり乾燥し、黒くなってきた

京都のマンションでも干し柿は3週間くらいでできますよ
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