村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

440.長年心に積もりに積もった間違い・嘘・誤魔化し

2017-08-17 09:09:00 | 人生
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テーマ
長年心に積もりに積もった間違い・嘘・誤魔化し
あまりに歪がんだ心によって日々悩み・苦しむ
自分の心のあまりに多くのゴミをすっぱり捨てよう
部屋のごみと心のごみ、歳取ったら片づけよう

家では、長年無用な物が部屋に沢山積もりに積もるものだが、
明らかに不要な物で部屋が狭くなっているのに減らそうとしない

人の心も同様で、心の不要・有害なものに気付かない

長年心にも間違い・嘘・誤魔化しが積もりに積もっている
物質的には豊なのだが、
多くの間違い、あまりに歪がんだ心によって日々悩み・苦しんでいる
その様は、実に滑稽、くだらん、馬鹿げている

他人に、親切心で、忠告してあげることがあるが
答えは「煩い、俺のほうが正しい」「そんなことわかっている」なのだ
部屋の無用物を捨てられないように、
自分の心の間違い・嘘・誤魔化しは、そんなにあっさりと捨て切れない

私の経験では、
部屋の不用物を捨てるのも難しいが、心の掃除は、その数倍難しい
もし心に積もりに積もった間違い・嘘・誤魔化しが簡単に捨てられれば
 ・すでに、その人は悟りに近づいていると言ってもよい
 ・結果的に凄く心が軽くなってくるはず
 ・更に悩みや苦しみが大きく減って来るはず

部屋の無用物の断捨離と全く同じ効果が出現するのだが
部屋の断捨離は老後になって、やろうとする人は多いが
何故か、心の断捨離を人間は死ぬまでやろうとしない
心に染み付いたものは、なかなか洗い流させない

私の場合も、一つづつ心のごみを確認し無くそうとして来たが
「分かった、止めよう、変えよう」と思って努力を続けているつもりが、
なかなか、そう簡単に直るものではない、三日坊主になってしまう
分かっていても直らない、それほど心にしっかり根付いてしまっている
心の癌そのものなのだ

あまりに多いので、例なんか挙げなくても、よいのだが、
念のため幾つか例をあげよう
 ・ヒイキし、必死になって応援する
 ・誰とも気軽に挨拶や会話をしない
 ・自分が悪いとは思わず、他人のせいにする
 ・他人より自分が正しいと思い込んでいる
 ・社会のため他人のためにやってやってると恩着せる
 ・自分のことを批判されたり忠告されると、何でも反発する
 ・いちいち気になる、気にする、一喜一憂する
 ・過度に先々の事を心配する

心の中にいつも沈殿し、こびりついている次のようなカビみたいなもの
・恨み   ・嫌い  ・批判   ・差別   ・苛め
・拒否   ・敬遠  ・否定   ・不安   ・軽蔑
目立たないが案外根強く蔓延っていてしつこく悪さをする
このようなカビをはやしてはいけない、生やすのを許すと増殖する

・・・・・・・・・もっとすごく沢山ある・・・・・

まあ嘘だと思うならば、
日頃苦しみ悩んでる原因を一つ、なくそうと努力してみて下さい
多分、出来そうでも、小ぽけなことでさえも、なかなか出来ない
もし出来たとすれば、その人は物凄く大きく変わるはずです
「え、凄く変わったなー」「一皮むけた」「成長したなー」となるのだが
現実は、そうはいかない「あー相変わらずの人だ」のままなのです
人間は一生、過去を引きづって生きる、無用・有害なのに、とにかく捨てない
麻薬をやめない人や禁煙をしない人と、そっくり似ているのだ

私も、周囲に「すごく成長したなー」という人にはあまり出会わない
むしろ「以前よりひどくなったなー」という人が多いのが実情だ

人は成長しているようで癌のように、嘘誤魔化しが増殖してしまう
子供に「嘘をついてはいけません」「嘘泥棒の始まり」と言うのですが、
おっとどっこい、そういう人自身が嘘誤魔化し名人になって行くのです

長年の習慣病、癖、垢であり、心にしつこく染み付いている
パンツ一枚捨てるのも迷うから、心のごみと言えども捨てられない
パンツ同様に心の災い・障害物も役立っていると思い込んでいる

私は55歳で山暮しを始めた、その結果いろいろなものを捨てられたが
55年の都会暮らしで多くの人と交わり沈殿した様々の心の垢だった
全くの偶然だったが、心の断捨離のきっかけを与えてくれたのだ
立派なログハウスを持っているのに年に数回しか利用しない人が多い
山にログハウスを買っても、都会暮らしを捨てない人が多いのだ
そんなに使わないのならば、わざわざ高いログハウスを持つ必要はない
わざわざ高いログハウスを買う理由をよく考えて欲しいものだ

昨今、ログハウスを売却中だが、女性というか奥様が主体で来られる
現在の山の暮しの実情を説明すると
近くに家が10軒ほどあるが、まず女性や奥様はやって来ないのだが
何故かログハウスを買いに見に来る多くの場合、奥様が主導権を有する
だから山の中のログハウスは売れないのだ
私にしてみれば
ログハウスを買うならばログハウスより大事なことは、自然の豊な場所であることだが

実際には買うために見に来られる奥様連中は、どのように見られるかというと
 ・周辺の自然は詳しく見ようとしない
 ・ログハウスの細部にこだわる、台所・風呂・洗面所・・・
 そんなのは、あとで自分の好きなようにリフォームすればいい
 ・虫とか蛇とかイノシシの出没にはこだわる 
 自然の豊なところで、そういうものが出ないところなんてない
 ・冬に水が出ないのを気にする
 冬にこんな山に来てどうするんだ、現実私らは冬は京都に戻る
 ・自然環境より家に拘る、そして不便さや静かさも気にする
 山には自分一人なんてことはざらだが、そんなことを恐れてどうする
要するに山奥で暮す感覚より、都会の真ん中で暮す感覚なのだから
呆れるしかない

この例のように、
どんな経験をどれだけやったかによって考え方が180°異なってしまう、
経験は恐ろしい、現代は頭で考え、テレビやネットで見るだけで分かってしまう人が
増えている、経験のない理論派は怖い
実際に泳がないのに、水泳についてあれこれ、うんちくを語るような人が増えている

主客転倒も良いところ目のつけどころが実際に住んだ私達とは真逆なのだ
そこで近所に住む山暮し仲間の結論は
 ・女は買わない
 ・若者も買わない
 ・うんと年寄りも買わない
「買うのは60歳前後の男しか買わない」である
まあ少しは救われることは、
”このような山の暮らしを求める60歳前後の日本人男子がまだいる”
痩せても枯れても、人生の本質について男の重要な役割は残っているのだ

何事も、そのもの自身を追い求めるではなく、
人間として生まれたら、自分の心の断捨離につなげることが大事
ログハウスそのものでなく山に暮らし続け、心の垢を落とすことだ
物事は全て、そのもの(スポーツ・芸術・科学・・・)自身が必要なのでなく
人間本来の生き方の向上を追究し、つながらなければ何の意味も価値もない

金メダルとか優勝とか金儲けはどうでもいいというか、むしろ
そういうことに走るのは人生にとって大きなマイナスなのだ、
金メダリストや高額収入のスポーツ選手や歌手・俳優・経営者が
有頂天になっているのを、本質的には好きになれない

見かけ田舎暮らしや山暮しをしたようで、実は都会暮らしを引きづっている
それでは、ログハウスを買った意味が全くない
今は山でもどこでもテレビやネットができるのだが
そうは言っても人社会から隔絶することの意味や効果は大きいのだ
「田舎は好きだが都会の友人と離れるのはつらい」という人が多いが

私に言わせれば、
あえて友人さえも距離を置き、一旦捨てるのが田舎暮らしの目的の一つなのだ
山に10~20年ひっそり暮して自然と向き合うと、本当の友人なのか分かってくる
大方は、親友というより、単なる暇つぶしの遊び仲間、悪友であると気付いてくる
物事は概してそんなに価値がないのに、都会暮らしを続けていると錯覚してくる

人が人に与える影響は大きい、しかもそのほとんどが悪い影響なのだ
テレビの影響で間違ったことを植えこまれることも何故か、増大している
第二次大戦もそうだったが、間違ったことを信じてしまうのは危険だ
皆が同じことを信じて行動することは、パニックにつながりかねない
その点人口の多い都会人は、知らぬ間に洗脳されている

京都から安曇川の山に20年暮らし3年前に麓の町に降りてきたが
田舎でも町は山に比べると人が多い、人が多いだけ揉め事も多い
人が多いということは煩わしい、だから都会ほど人付き合いが減るのだ
田舎も町を含めて、都会では人が鬱陶しく、山では人が恋しいのだ
人との絆が大事というが都会では絆の維持は、そんなに簡単ではない
人口過密地域では、人はストレスで、どんどん嘘誤魔化しだらけになる
京都伏見と安曇川長尾の山中では、人口密度や使用空間が大違い

都会が良いと思い込む人は多いが、副作用が大きいことも知るべきだ
家や部屋が狭くなるほど、人が増えるほど、人の心も狭くなっている
だから私のように誰にも気軽に声かけると、意外なことに嬉しそうなのだ
しかし私が誰にも気軽に声かけ会話ができるようになったのも山暮し以後
無口だった私が62歳くらいから会話支援ホームページを立上げたほど
都会の人も人付き合いを求めているが、億劫・臆病が染み付いている
都会暮らしは素晴らしいと思い込んでいるが、良いことばかりではない
それに気づくには私のように、ひっそりとした山の一人暮しを勧める
しかし、くれぐれも基本的に山に住み着くことです、人生仕上がります

私からの提言
 ・同じ場所、同じ人、同じ環境で長く暮していると心にゴミがたまる
  都会に長く暮して心が疲弊している、硬直している
 ・時々心も引っ越しするべきなのだ
  例えば私は東京から関西に、大阪から京都に移り、あれこれ気付いた
 ・改善も大事だが、切り捨てることのほうが何倍も大事なのだ
  改善は出来ても、切捨ては簡単には出来ないものなのだ
 ・断捨離という言葉は、そもそも、物のことから生じた言葉のようだが
  心の断捨離こそ、人の一生でもっとも大事なことかもしれない
 ・少なくとも間違った嘘誤魔化しを取り除き、心を整頓しておくべき

私の経験では、
 定期的に家の引っ越し・都会から山へ・転職がお勧め
 そうしないと心にはゴミがたまって心の軽快な動きが阻害される
 どんな偉い人でも、そういうリスクを意識的に減らそうとすべきだ
 特に、私にとって20年の山暮らしが心のゴミ捨てになった
 それでも、最近町に戻ると再び心のごみが邪魔し出す

 へつらいも傲慢も減らす・なくすことが出来れば、まずは合格
 おもてなしも、傲慢とへつらいが土台の場合は、本物ではない
 都会でいろいろなものに触れるのも悪いとは言わないが
 あまりにも人が作ったものに沢山触れ過ぎるのはよくない
 人の作ったものは、あくまで嘘誤魔化しに過ぎないのだから
 心地よいものは、ほどほどにしないといけない
 良いもの,優れたものだと、勝手に沢山取り込むと副作用も大きい

 イベント・芸術・音楽・製品・ネットに のめり込み、やがて振り回される
 俳優やスポーツ選手が何億円という金を手にする、どう考えても異常
 スポーツや音楽や芸術にあまりにのめり込み得意になってはならない
 しかし人は、それらをあれもこれもと貪欲に心にとり込む
 手当たり次第片っ端から取り込み心が一杯になるのは良いことではない

 都会は嘘誤魔化しの上に成り立っているから人もそうせざるを得ない
 心は嘘誤魔化しで一杯になるが、貯まった嘘誤魔化しを捨てられない
 取り入れたものは、その大部分を排泄しないといけない
 やがて心は、便秘のように、正しく機能しなくなってしまう
 何が正しいのか、何が有益なのか麻痺して分からなくなってしまう

心も便秘し、毒や有害ガスがたまり、心の腸が詰まって働きが悪くなる
一度無用なものを捨ててから出直すと部屋も心も清々しくなる

しかし必要性もなく、やる気にもならない上に、
面倒臭いだけでなく、難しいので、なかなか出来ない
やらないではなく、出来ないのだ

人はゴミだらけの部屋や心の状態で暮し続ける
よほど強い意志や仏性に近づこうとする意欲がないと一生捨てられない心のごみ

例えば、しんどかったら、一度止めてみれば良い、
その上で、なおかつ、もし必要ならば再度復活させればよい
部屋の不要物なども、廃棄候補として別室に一時よけておく
何しろ、まず一度捨ててみるのだ

「世に、駆け引き・出し抜く・騙す・争うの種は尽きまじ」

政治家や先生やプロや学識経験者などを安易に信じてはならない
人、特に権力を持った者など到底信じられるものではない
悪玉コレステロールや毒素みたいなものの可能性がある
騙す人も悪いが、騙されるのも悪いというのは真実なのだ

北朝鮮の金正恩や中国共産党指導者を信頼しますか?
政治家や指導者は程度の差はあれ、あんなもんです
第二次大戦で日本軍部に騙され、世界中で日々人が騙されている
実のところ、
世の中で信じられる者は自分自身だけ、だからしっかりしないといけない
その自分の心が間違いだらけだから、この世に信じるものがない

私の経験から、あえて言わして戴くと、身近にやって効果があることは
例えば、私の場合は
 ・1)引っ越し(実家や故郷を捨てる)
 ・2)転職(大企業を捨てる)
 ・3)山暮し(都会暮らしを捨てる)
 ・4)物書き(他人の意見を捨てる)絵描き(集中出来る)
 ・5)質素・倹約・謙虚(自我や我欲を捨てる)
 ・6)自分で大工、野菜作り、家事、身体動かす(依存を捨てる)
 ・7)出来そうもないと思っていることに挑戦(出来ないを捨てる)
 ※出来る事を続けるより出来ないと思い込んでいることに挑戦する
その他いろいろなことを試してきたが、あえて大事なことを挙げると
以上7項目は、実際に、私の場合効果があったように思う

その結果、今の私には、
 ・便利なのに不便とか
 ・平和なのに争うとか
 ・豊なのにもっと欲しがるとか
 ・正しくもないのに自分は正しいと思うとか
 ・混むのにわざわざ混雑する場所に出かけるとか
 ・大して意味ないのに旅行する
ということ、悩ましい葛藤が以前に比べてかなり無くなった
なおかつ、十分楽しく快適で何一つ不満なく暮している

まあ焦らず何かのきっかけをつかみ心の大掃除に挑戦して下さい
それほど難しいことであることを最後に申しておきます

初心者には無謀だったが、自画像に挑戦し、
自画像を先生に見せたが「自画像は、かなり難しい」というお言葉
「顔の下にある骸骨のことまでよく分からないと描けない」とのこと
なにしろ人の顔を描き絵具を付けるのは、かなり難しい

絵を上手く描こうではなく、心を無にして絵描くこと
無心で絵を描くのも、幾分でも心の断捨離に繋がるかもしれない
その後、家でかなり修正につぐ修正をした、その結果である

時間をかけて直しを続けた絵(かなり直りました)


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