指導や講演を依頼出来ます 村上原基
講演例:
・自分の人生論・山暮らし・会話上達・老後の暮らし・自力防災・嘘誤魔化し・資産運用
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
テーマ
ぶつぶつ文句言いに何の利益があるというのか?立派な大人になろう
昨今の家で親子/兄弟などが二人以上いれば、何かと互いに文句を言いあう
貴方は日常、誰かにぶつぶつ文句を言う頻度は多いですか少ないですか?
もし他人に面と向かって文句を言わない日がないという人は重症・要注意だ
私は現在、その文句言いから解放された一人として見解を述べてみたい
昭和初期、父が絶対的権力者で、まだ寿命も短かく、文句言いは父だけだった
しかし男女平等で父の権力も地に落ち、高齢化、核家族化、一人暮らしの現代は
欧米なみに安易に自分の意志を表明するようになり、ズバズバと文句を言う
言いたいことが言える、それ自体は、むしろ良い世の中になったのだが
ネットなどでも辺り構わず誹謗中傷も増えていると聞く、トランプさんもその一人
トランプみたいに文句が多い人は基本的に精神障害があると言わざるをえない
暑いの寒いの・好だの嫌いだの・面白いのつまらんのと言うような人は情緒不安定
自分の心を適正にコントロールできない、アクセルを踏みすぎ、急ブレーキが多い
昨今では、虐め・ハラスメント・DV・ネット炎上・虐待という形にエスカレートする
たかが文句と侮ってはならない、様々な悲惨な結果になる可能性が大きい
感情の抑揚が強く、感情を上手く抑制できない人は文句言いに走りやすい
互いに建設的議論したり、明るく意見を言い、聞き、受入れる文化が伴ってない
日本人は、相手と楽しく議論したり、相手を理解しようとする能力が欠如している
昔から、自分の意志を現さず、自分の意志を伝える努力をして来なかったのだ
その結果、日本の社会や企業や家庭の人間関係はバラバラ状態に崩壊している
日本の本音と建て前の文化も廃れつつある、過去の人間関係の基本は崩れた
単なる文句言いや、あまりにぶしつけな文句の言い方は厳禁なのだ
ヅケヅケ言うからには、他人の意見にもっとしっかり耳を傾けるべきなのだ
かつ、相手に対する思いやりは以前よりも数倍大事になるのだ
文句を、何も考えずに、ただ自分勝手に相手にぶっつけるのは愚か者のすること
言い変えれば、日本人は数段大人にならないといけないということである
昨今の日本で欠けていることが和気あいあいの家族の一体感であろうか?
残業もほどほどにして、週末や夕食や一家団欒を全員で楽しまんといかん
「日本流おもてなし」は、深みがない、内面(うちづら)は極めて悪い
日本のおもてなしは外だけ、家庭やご近所では喧嘩、揉め事が絶えない
文句言いによる家庭崩壊・夫婦崩壊・親子崩壊・兄弟崩壊・・・
そんな現代の日本人を尊敬できるわけがない
夫婦喧嘩・親子喧嘩・兄弟喧嘩その発端は些細な文句言いから始まる
長年の親友が一言の文句の言いあいであっさり親友解消なんてもよくある
私も同年配の兄弟や友達の家の夫婦喧嘩の悲惨さを漏れ聞く
離婚なんてのも長年の文句の言いあいが大量に溜まった果てのことだ
文句を言いあわない、互いに敬う、いたわり合う、讃えあうことも大事だ
ご近所同志のトラブルや喧嘩もニュースになったり、よく耳にする
逆に文句を言わず我慢すれば、心に憂さや嫌なものが溜まっていく
・叱りつける・・・上の者が下の者に強圧的に意見する
・本人に直接文句を言う・・・人によっては良いこともあるが、大方最悪
・直接ではないが聞こえるようにぶつぶつ言う・・・かえって陰湿になる
しかし結果的には、「何度文句を言っても、一向に改まらない」なのである
その結果文句自体よりも、改まらないこと自体が頭に来るようになるのである
もう文句の言い方が良いの悪いの、どうのこうのではなく、
・言われるほうは・・・煩いしつこい奴だと怒り
・言うほうは・・・全然改められないことに怒るのだ
ぶつぶつ文句を言うと、言い方はどうあれ、双方に何も良い効果はない
残るのは二人の間の不信感とわだかまりや恨みや怒りなどである
しつこくしないこと、暗く陰湿にならないこと、トコトンやっつけないこと
75歳の私は、他人に面と向かって文句を言わないことにしている
むしろ相手の良いところを褒め讃え、決して文句のための文句は言わない
人というのは、「自分は正しい」「相手が悪い」と信じているものだ
人とは自分にプライドを持っており、自分には甘く、相手にはきついのだ
他人に文句を言っても何のプラスもないのだが、親しさに甘えて
つい気に食わぬことをポンポンと面と向かって説教や苦情を言ってしまう
相手の立場を考えずに単に文句を言うのは、愚か・恥知らず・自分勝手だ
文句言いは、もう、病気だ、生活習慣病だ、難病だ、大病だ
ぶつぶつ文句が病気とは思わず「親切に言ってやる」と思う日本人が増えている
個人に向かっての批判・非難・文句が多い人は、実にみっともない
「私は子供のように駄々っ子です」と自ら言っているようなものだが
なかなか長年の癖は、頭や心に沁みついているから、なかなか直らない
人が、しつこく、ぶつぶつ文句を言うのは何故だろう?
人は「文句を言いたがりや」「黙って見過ごせない」から
ちなみに私も昔は、そういう普通のというか最低の文句言いであった
しかし山に20年暮した後の私は、文句が減り、更に全く文句を言わなくなった
文句を言わなくなった私からすると、文句の多い人々が不思議でならない
「ぶつぶつ文句を言うのは人として未熟な人間の証」だと悟ったとからなのだ
時々京都に行くが娘との会話もスムースだし、
何か娘に怒られても「すまんすまん」ですます。私はもはや爺さんなんです
確かに私が悪いからだ
例えば、私なりに食器を綺麗に洗っているが、娘の求める綺麗さとは異なる
しかし、娘がお父さんの洗った食器が汚いというのだから、素直に認める
20年の山暮らしで、他人に文句を言うことは、私の頭や心からなくなった
他人からの文句は「有難い」と素直に受け入れる私になったのだ
山暮らしが過去の固定観念を捨てさせ、正しい観念を植え付けてくれた
凄まじい固定観念は、都会暮らしのままでは普通、容易には拭い去れない
都会というのは人の心も固くし、閉ざさせてしまうものなのだ
会話指導もする私にとっても、会話という面からも「文句言い」は最悪だ
困ったことに、会話好きに文句言いの人が案外多い
すなわち、会話上手の人は、油断して、本性を露わにしてしまうのだ
会話が上手いのに、文句言いでは、何のための会話上達なのかわからない
会話の上手の基本の中で一番大事なことは「相手を不愉快にさせないこと」
もし言う場合は、相手を十分に思いやり、相手の気分を害さないように注意だ
文句のつけどころがないなんて立派な人はいない、むしろ問題だらけの人が大多数
家で、やたら文句を言われては、心が休まらない、家は気を抜き休める場所だ
あれも、これも面と向かって
文句つけていたら、一日中、文句言いに付き合わなければならない
「口数が多すぎる」そのために言わんでもいい文句も沢山言ってしまう
会社で朝から晩まで煩い社長なんてのがいるが、こんな会社は業績が悪い
文句を言えば文句が返ってくる、戦争のようなものだ、結果は果てしないだけ
駄目人間であることはお互い様であって「互いに他人に言える立場かい?」
口は災いの元なのだが、文句言いの人の口を封じるのはかなり難しい
文句言う人、文句言われる人、どちらも、もっと大人になって欲しい
会話の中で文句や批判は多い、こんな人のぶつぶつ口撃を防ぐのは、
当面は、黙って台風の時同様、平然と通り過ぎるのを待つしかない
または、相手の上を行ってしまうようにより大人になることだ
「勝手に言わしておけ」「相手にせん」文句が行き過ぎるのを待つだけ
要するに、文句というものを観ないことだ、完全否定することだ
もし余裕があれば
文句言いをじっくり味わしてもらうしかない、聞いてあげることも功徳だ
周囲の事に感じ過ぎないことだ、周囲がどうあれ心を乱さないこと
平然としていること、文句に反応しないこと、動じないこと、
文句言われたくらいで、腹立てないこと、相手を批判しない事が大事なのだ
そうは言っても、
言われたほうの人の心は、言った人がきついほど、これまた煮えくり返るのである
「畜生」「ばか野郎」「死ね」みたいなもんで、会社の役員を何度も呪ったものだ
私もしばしば身内や町内や家庭のご夫婦の凄まじい文句の言いあいを目撃する
「何ともバカバカしい」「どうでもいい」「いい加減にしたら」ということに過ぎない
一体どんな効果を期待しているか定かではないが、明らかに逆効果しかない
「夫婦喧嘩は犬も喰わない」というが、実にくだらないことだと言っているのだ
今、私が思うことは、 ” 文句を言わないこと=立派な大人” である
本人達は、真剣に相手をののしり、自分の正当性を訴えるのだが
どちらかが、そんなことは、見向きもせず、無視すれば済むことなのだ
ほどよく語り合い・理解しあい・互いを思いやり・相手に迷惑をかけない
そういうことがきちんと出来て大人なのにと、私はしみじみと思う
20年の山暮らしをした私は、文句言いを、完全に捨て去り縁を切った
つまらん品格のない文句などは、全く耳も貸さないし笑い飛ばす
夏に暑いのは当たり前、冬は寒いのが当たり前、だから暑いの寒いのと文句を言わない
文句言っても暑いのが涼しくなる訳ではない。 文句なんてものはその程度のものだ
「文句言ってどうにかなる」のは子供が親に駄々こねて地べたに寝てしまう時だけ
みっともないが、まあ、子供だから大目に見るとして、
駄々こねるのは、大の大人がやることではない
文句は言う人だけが悪いのではなく、言わせる人も悪いことを重々知らんといかん
物事には
・好きがあるから嫌いが生じる
・嬉しいがあるから、悲しいがある
・良かったがあるから悪かったがある
私は都会の人に比べて、好き・嬉しい・良かったという感情を減らしている
いつも平板・平静・平常でいられる
好き過ぎると、好き過ぎるほど、嫌う場合には、嫌う気持ちも大きくなる
好きという感情が低く抑えられるようになると、嫌いという感情も抑えられ
感情の起伏を平らにすること、こういうことは大人のすべきことである
コツをつかめば、それほど難しいことではない
ぶつぶつ文句も同様で自分からも言わないし、言われても受け流すようになる
もし他人の文句が妥当であれば、ごく素直に取り入れて正すべきである
本来は文句を言ってくれるのは有難いのだ、そういうことも大人のあるべき姿だ
自分にとって役立つ相手の人からの文句であれば、私は大歓迎だ
私も以前は他人に文句を言われると受け入れるどころか大きく反発したものだ
多分皆さまもそうではないだろうか?
しかし
70歳くらいから、私に文句というか意見をしてくれることが有難いと思うようになった
その意見が妥当な場合、どう自分は対処すべきか即刻悔い改めるようになった
何でこんなことが70年も出来なかったのだろう?よくも無駄な時を過ごしたものだ
同時に競技スポーツを観なくなった。争うということが実につまらんと悟ったのだ
争うということは、良いことのように言う人もいるが、所詮は、排他・排除につながる
相撲・野球・オリンピックあらゆる競技スポーツや競技会は関心がなくなった
勝った者は大喜びし、幸福にもなるが、負ける者は悲しみ不幸になることも多い
オリンピックでも「金メダルをとることにどんな価値があると言うのだろうか?」
金メダルとれたのは、その人が素晴らしいからではない、単なる偶然にすぎない
「百戦して百勝するとも立派な武士とは言えない」たまたまの偶然に過ぎない
宝くじなんか滅多に当たるものではないが、当たるとすれば全くの偶然でしかない
世の中には必ず一人だけ金メダルを採る人が存在する、宝くじも必ず一人1等当選する
それは偉いことではない、10人が100m走ると必ず一人だけ一等賞がいるのだ
すなわち1等賞や金メダルなんて、ごく当たり前で、世界には嫌というほどいるのだ
その一人の金メダルの人の陰に、失格のレッテルを貼られた非常に多くの選手がいる
金メダルを採ったものは関所の手形を持ち、他の人は関所を通過する手形をもらい損ねる
プロ野球・オリンピックは人間の考えた嘘誤魔化しが真実のように丁稚上げられたもの
嘘誤魔化しもどんどんエスカレートすると国民栄誉賞まで嘘が嵩じてしまうのだ
何度も言うが金メダルは、偶然その人が採っただけのこと、偉いことではない
人は、あまりに嬉しがったり、好きになったり、し過ぎてはならない
そんなことで大喜びするのは、実に恥ずかしいことだ
しかし、長年の都会生活の果てに大喜びすることを覚えてしまうのだ
大喜びしたり大喜びしようとすることが、大泣きすることに通じるのだ
人は、冷静、冷徹でなければならない。熱くなってはいけない。人は熱くなり易い
そんなことを誇ってはならない、現代はそんなことがあまりに多すぎる
だから世の中は一向によくならないのだ
勝つ人間もいるが負ける人間も必ずいるのだ、だから負けても悩むことはない
山暮らし20年の私なりに思うのは、「争い事は実に愚かだ」ということだ
やくざ者のすることなのだ、本当に偉い人は人を押しのけ勝とうとはしないし
文句言われて悩んだり怒ったりすることはないのだ
ましてやそんなものが国民栄誉賞だなんて、よほど政治家もどうかしている
絶対にやってはならないことで、ノーベル賞や文化勲章もすぐに辞めて欲しい
立派な発明や本もこれまた偶然の産物に過ぎない、誰かがいつかやることなのだ
あんなものを平然と、かつ、喜々としてもらう人が信じられない、情けない
私には、王選手もイチロー選手も松井選手も人間として尊敬の対象ではない
私が尊敬する人は、俺がやってやるなどとも思わず、地味だろうと、
誰も認めてくれなかろうと、自分がなすべきことを黙々と心を乱さずやる人だ
心を平静に保つ、他人のことをあれこれ批判しない、
ましてや自分の不平不満を誰かに向けて、面と向かって文句言わない
更に、
・やたらに好きにならない
・やたらに喜ばない
・やたらに頑張らない
・やたらに褒められようとしない
・やたらにいい恰好しない
・やたらに威張らない
・やたらに口数を多くしない
・やたらに自分を意識しない
・他人のやっていることを多めに見る
・他人の良いところを褒めてあげる
相手の欠陥や不出来を探し出して、ヅケヅケ文句を言うことは良いことではない
良いことと言うならばその効能を考え・言ってみてから冷静に言うべきだ
他人に対する文句はカーっとなってぶちまけるものではない
国会の議論を観ていると、野党は与党のスキャンダルをしつこく追及するが、
あんなことは国家の政治家のやるべきことではない
政治家や指導者は、 文句を言われてはならない ・文句を言ってはならない
・政治家は天下国家、10年20年先のことを議論すべきなのだ
・高い税金を使い、くだらんスキャンダルを責めるなんて
政治家の本文を全うせず、日本の野党は文句言いに生き甲斐を見出す
・文句を言うのは別の所・時間でやれ、あんたは文句家か?政治家ではないのか?
・もっと高尚な互いに役立つ議論をするように努めて欲しい
夫婦円満・親子円満・兄弟円満・ご近所円満に・・・・・
そうなることは、実は自分自身が大人になったことを意味するのです
ぶつぶつ文句言いもそうだが、人間は「それが良い」という固定観念から抜け出せない
毎年一か所以上お金の許す範囲で家のリフォームをしている
TOTO洗面化粧台LDCF075BAGEN2A:75幅80高52㎝奥、左にスムース排水
今年は念願の洗面所に75㎝幅の洗面台を入れ、横に棚もとりつけた計7万円
更に今月はシロアリ、床下湿気対策として
部屋全部の床下に炭を敷き詰め、4か所の床下換気扇を設置予定だ60万円
講演例:
・自分の人生論・山暮らし・会話上達・老後の暮らし・自力防災・嘘誤魔化し・資産運用
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
テーマ
ぶつぶつ文句言いに何の利益があるというのか?立派な大人になろう
昨今の家で親子/兄弟などが二人以上いれば、何かと互いに文句を言いあう
貴方は日常、誰かにぶつぶつ文句を言う頻度は多いですか少ないですか?
もし他人に面と向かって文句を言わない日がないという人は重症・要注意だ
私は現在、その文句言いから解放された一人として見解を述べてみたい
昭和初期、父が絶対的権力者で、まだ寿命も短かく、文句言いは父だけだった
しかし男女平等で父の権力も地に落ち、高齢化、核家族化、一人暮らしの現代は
欧米なみに安易に自分の意志を表明するようになり、ズバズバと文句を言う
言いたいことが言える、それ自体は、むしろ良い世の中になったのだが
ネットなどでも辺り構わず誹謗中傷も増えていると聞く、トランプさんもその一人
トランプみたいに文句が多い人は基本的に精神障害があると言わざるをえない
暑いの寒いの・好だの嫌いだの・面白いのつまらんのと言うような人は情緒不安定
自分の心を適正にコントロールできない、アクセルを踏みすぎ、急ブレーキが多い
昨今では、虐め・ハラスメント・DV・ネット炎上・虐待という形にエスカレートする
たかが文句と侮ってはならない、様々な悲惨な結果になる可能性が大きい
感情の抑揚が強く、感情を上手く抑制できない人は文句言いに走りやすい
互いに建設的議論したり、明るく意見を言い、聞き、受入れる文化が伴ってない
日本人は、相手と楽しく議論したり、相手を理解しようとする能力が欠如している
昔から、自分の意志を現さず、自分の意志を伝える努力をして来なかったのだ
その結果、日本の社会や企業や家庭の人間関係はバラバラ状態に崩壊している
日本の本音と建て前の文化も廃れつつある、過去の人間関係の基本は崩れた
単なる文句言いや、あまりにぶしつけな文句の言い方は厳禁なのだ
ヅケヅケ言うからには、他人の意見にもっとしっかり耳を傾けるべきなのだ
かつ、相手に対する思いやりは以前よりも数倍大事になるのだ
文句を、何も考えずに、ただ自分勝手に相手にぶっつけるのは愚か者のすること
言い変えれば、日本人は数段大人にならないといけないということである
昨今の日本で欠けていることが和気あいあいの家族の一体感であろうか?
残業もほどほどにして、週末や夕食や一家団欒を全員で楽しまんといかん
「日本流おもてなし」は、深みがない、内面(うちづら)は極めて悪い
日本のおもてなしは外だけ、家庭やご近所では喧嘩、揉め事が絶えない
文句言いによる家庭崩壊・夫婦崩壊・親子崩壊・兄弟崩壊・・・
そんな現代の日本人を尊敬できるわけがない
夫婦喧嘩・親子喧嘩・兄弟喧嘩その発端は些細な文句言いから始まる
長年の親友が一言の文句の言いあいであっさり親友解消なんてもよくある
私も同年配の兄弟や友達の家の夫婦喧嘩の悲惨さを漏れ聞く
離婚なんてのも長年の文句の言いあいが大量に溜まった果てのことだ
文句を言いあわない、互いに敬う、いたわり合う、讃えあうことも大事だ
ご近所同志のトラブルや喧嘩もニュースになったり、よく耳にする
逆に文句を言わず我慢すれば、心に憂さや嫌なものが溜まっていく
・叱りつける・・・上の者が下の者に強圧的に意見する
・本人に直接文句を言う・・・人によっては良いこともあるが、大方最悪
・直接ではないが聞こえるようにぶつぶつ言う・・・かえって陰湿になる
しかし結果的には、「何度文句を言っても、一向に改まらない」なのである
その結果文句自体よりも、改まらないこと自体が頭に来るようになるのである
もう文句の言い方が良いの悪いの、どうのこうのではなく、
・言われるほうは・・・煩いしつこい奴だと怒り
・言うほうは・・・全然改められないことに怒るのだ
ぶつぶつ文句を言うと、言い方はどうあれ、双方に何も良い効果はない
残るのは二人の間の不信感とわだかまりや恨みや怒りなどである
しつこくしないこと、暗く陰湿にならないこと、トコトンやっつけないこと
75歳の私は、他人に面と向かって文句を言わないことにしている
むしろ相手の良いところを褒め讃え、決して文句のための文句は言わない
人というのは、「自分は正しい」「相手が悪い」と信じているものだ
人とは自分にプライドを持っており、自分には甘く、相手にはきついのだ
他人に文句を言っても何のプラスもないのだが、親しさに甘えて
つい気に食わぬことをポンポンと面と向かって説教や苦情を言ってしまう
相手の立場を考えずに単に文句を言うのは、愚か・恥知らず・自分勝手だ
文句言いは、もう、病気だ、生活習慣病だ、難病だ、大病だ
ぶつぶつ文句が病気とは思わず「親切に言ってやる」と思う日本人が増えている
個人に向かっての批判・非難・文句が多い人は、実にみっともない
「私は子供のように駄々っ子です」と自ら言っているようなものだが
なかなか長年の癖は、頭や心に沁みついているから、なかなか直らない
人が、しつこく、ぶつぶつ文句を言うのは何故だろう?
人は「文句を言いたがりや」「黙って見過ごせない」から
ちなみに私も昔は、そういう普通のというか最低の文句言いであった
しかし山に20年暮した後の私は、文句が減り、更に全く文句を言わなくなった
文句を言わなくなった私からすると、文句の多い人々が不思議でならない
「ぶつぶつ文句を言うのは人として未熟な人間の証」だと悟ったとからなのだ
時々京都に行くが娘との会話もスムースだし、
何か娘に怒られても「すまんすまん」ですます。私はもはや爺さんなんです
確かに私が悪いからだ
例えば、私なりに食器を綺麗に洗っているが、娘の求める綺麗さとは異なる
しかし、娘がお父さんの洗った食器が汚いというのだから、素直に認める
20年の山暮らしで、他人に文句を言うことは、私の頭や心からなくなった
他人からの文句は「有難い」と素直に受け入れる私になったのだ
山暮らしが過去の固定観念を捨てさせ、正しい観念を植え付けてくれた
凄まじい固定観念は、都会暮らしのままでは普通、容易には拭い去れない
都会というのは人の心も固くし、閉ざさせてしまうものなのだ
会話指導もする私にとっても、会話という面からも「文句言い」は最悪だ
困ったことに、会話好きに文句言いの人が案外多い
すなわち、会話上手の人は、油断して、本性を露わにしてしまうのだ
会話が上手いのに、文句言いでは、何のための会話上達なのかわからない
会話の上手の基本の中で一番大事なことは「相手を不愉快にさせないこと」
もし言う場合は、相手を十分に思いやり、相手の気分を害さないように注意だ
文句のつけどころがないなんて立派な人はいない、むしろ問題だらけの人が大多数
家で、やたら文句を言われては、心が休まらない、家は気を抜き休める場所だ
あれも、これも面と向かって
文句つけていたら、一日中、文句言いに付き合わなければならない
「口数が多すぎる」そのために言わんでもいい文句も沢山言ってしまう
会社で朝から晩まで煩い社長なんてのがいるが、こんな会社は業績が悪い
文句を言えば文句が返ってくる、戦争のようなものだ、結果は果てしないだけ
駄目人間であることはお互い様であって「互いに他人に言える立場かい?」
口は災いの元なのだが、文句言いの人の口を封じるのはかなり難しい
文句言う人、文句言われる人、どちらも、もっと大人になって欲しい
会話の中で文句や批判は多い、こんな人のぶつぶつ口撃を防ぐのは、
当面は、黙って台風の時同様、平然と通り過ぎるのを待つしかない
または、相手の上を行ってしまうようにより大人になることだ
「勝手に言わしておけ」「相手にせん」文句が行き過ぎるのを待つだけ
要するに、文句というものを観ないことだ、完全否定することだ
もし余裕があれば
文句言いをじっくり味わしてもらうしかない、聞いてあげることも功徳だ
周囲の事に感じ過ぎないことだ、周囲がどうあれ心を乱さないこと
平然としていること、文句に反応しないこと、動じないこと、
文句言われたくらいで、腹立てないこと、相手を批判しない事が大事なのだ
そうは言っても、
言われたほうの人の心は、言った人がきついほど、これまた煮えくり返るのである
「畜生」「ばか野郎」「死ね」みたいなもんで、会社の役員を何度も呪ったものだ
私もしばしば身内や町内や家庭のご夫婦の凄まじい文句の言いあいを目撃する
「何ともバカバカしい」「どうでもいい」「いい加減にしたら」ということに過ぎない
一体どんな効果を期待しているか定かではないが、明らかに逆効果しかない
「夫婦喧嘩は犬も喰わない」というが、実にくだらないことだと言っているのだ
今、私が思うことは、 ” 文句を言わないこと=立派な大人” である
本人達は、真剣に相手をののしり、自分の正当性を訴えるのだが
どちらかが、そんなことは、見向きもせず、無視すれば済むことなのだ
ほどよく語り合い・理解しあい・互いを思いやり・相手に迷惑をかけない
そういうことがきちんと出来て大人なのにと、私はしみじみと思う
20年の山暮らしをした私は、文句言いを、完全に捨て去り縁を切った
つまらん品格のない文句などは、全く耳も貸さないし笑い飛ばす
夏に暑いのは当たり前、冬は寒いのが当たり前、だから暑いの寒いのと文句を言わない
文句言っても暑いのが涼しくなる訳ではない。 文句なんてものはその程度のものだ
「文句言ってどうにかなる」のは子供が親に駄々こねて地べたに寝てしまう時だけ
みっともないが、まあ、子供だから大目に見るとして、
駄々こねるのは、大の大人がやることではない
文句は言う人だけが悪いのではなく、言わせる人も悪いことを重々知らんといかん
物事には
・好きがあるから嫌いが生じる
・嬉しいがあるから、悲しいがある
・良かったがあるから悪かったがある
私は都会の人に比べて、好き・嬉しい・良かったという感情を減らしている
いつも平板・平静・平常でいられる
好き過ぎると、好き過ぎるほど、嫌う場合には、嫌う気持ちも大きくなる
好きという感情が低く抑えられるようになると、嫌いという感情も抑えられ
感情の起伏を平らにすること、こういうことは大人のすべきことである
コツをつかめば、それほど難しいことではない
ぶつぶつ文句も同様で自分からも言わないし、言われても受け流すようになる
もし他人の文句が妥当であれば、ごく素直に取り入れて正すべきである
本来は文句を言ってくれるのは有難いのだ、そういうことも大人のあるべき姿だ
自分にとって役立つ相手の人からの文句であれば、私は大歓迎だ
私も以前は他人に文句を言われると受け入れるどころか大きく反発したものだ
多分皆さまもそうではないだろうか?
しかし
70歳くらいから、私に文句というか意見をしてくれることが有難いと思うようになった
その意見が妥当な場合、どう自分は対処すべきか即刻悔い改めるようになった
何でこんなことが70年も出来なかったのだろう?よくも無駄な時を過ごしたものだ
同時に競技スポーツを観なくなった。争うということが実につまらんと悟ったのだ
争うということは、良いことのように言う人もいるが、所詮は、排他・排除につながる
相撲・野球・オリンピックあらゆる競技スポーツや競技会は関心がなくなった
勝った者は大喜びし、幸福にもなるが、負ける者は悲しみ不幸になることも多い
オリンピックでも「金メダルをとることにどんな価値があると言うのだろうか?」
金メダルとれたのは、その人が素晴らしいからではない、単なる偶然にすぎない
「百戦して百勝するとも立派な武士とは言えない」たまたまの偶然に過ぎない
宝くじなんか滅多に当たるものではないが、当たるとすれば全くの偶然でしかない
世の中には必ず一人だけ金メダルを採る人が存在する、宝くじも必ず一人1等当選する
それは偉いことではない、10人が100m走ると必ず一人だけ一等賞がいるのだ
すなわち1等賞や金メダルなんて、ごく当たり前で、世界には嫌というほどいるのだ
その一人の金メダルの人の陰に、失格のレッテルを貼られた非常に多くの選手がいる
金メダルを採ったものは関所の手形を持ち、他の人は関所を通過する手形をもらい損ねる
プロ野球・オリンピックは人間の考えた嘘誤魔化しが真実のように丁稚上げられたもの
嘘誤魔化しもどんどんエスカレートすると国民栄誉賞まで嘘が嵩じてしまうのだ
何度も言うが金メダルは、偶然その人が採っただけのこと、偉いことではない
人は、あまりに嬉しがったり、好きになったり、し過ぎてはならない
そんなことで大喜びするのは、実に恥ずかしいことだ
しかし、長年の都会生活の果てに大喜びすることを覚えてしまうのだ
大喜びしたり大喜びしようとすることが、大泣きすることに通じるのだ
人は、冷静、冷徹でなければならない。熱くなってはいけない。人は熱くなり易い
そんなことを誇ってはならない、現代はそんなことがあまりに多すぎる
だから世の中は一向によくならないのだ
勝つ人間もいるが負ける人間も必ずいるのだ、だから負けても悩むことはない
山暮らし20年の私なりに思うのは、「争い事は実に愚かだ」ということだ
やくざ者のすることなのだ、本当に偉い人は人を押しのけ勝とうとはしないし
文句言われて悩んだり怒ったりすることはないのだ
ましてやそんなものが国民栄誉賞だなんて、よほど政治家もどうかしている
絶対にやってはならないことで、ノーベル賞や文化勲章もすぐに辞めて欲しい
立派な発明や本もこれまた偶然の産物に過ぎない、誰かがいつかやることなのだ
あんなものを平然と、かつ、喜々としてもらう人が信じられない、情けない
私には、王選手もイチロー選手も松井選手も人間として尊敬の対象ではない
私が尊敬する人は、俺がやってやるなどとも思わず、地味だろうと、
誰も認めてくれなかろうと、自分がなすべきことを黙々と心を乱さずやる人だ
心を平静に保つ、他人のことをあれこれ批判しない、
ましてや自分の不平不満を誰かに向けて、面と向かって文句言わない
更に、
・やたらに好きにならない
・やたらに喜ばない
・やたらに頑張らない
・やたらに褒められようとしない
・やたらにいい恰好しない
・やたらに威張らない
・やたらに口数を多くしない
・やたらに自分を意識しない
・他人のやっていることを多めに見る
・他人の良いところを褒めてあげる
相手の欠陥や不出来を探し出して、ヅケヅケ文句を言うことは良いことではない
良いことと言うならばその効能を考え・言ってみてから冷静に言うべきだ
他人に対する文句はカーっとなってぶちまけるものではない
国会の議論を観ていると、野党は与党のスキャンダルをしつこく追及するが、
あんなことは国家の政治家のやるべきことではない
政治家や指導者は、 文句を言われてはならない ・文句を言ってはならない
・政治家は天下国家、10年20年先のことを議論すべきなのだ
・高い税金を使い、くだらんスキャンダルを責めるなんて
政治家の本文を全うせず、日本の野党は文句言いに生き甲斐を見出す
・文句を言うのは別の所・時間でやれ、あんたは文句家か?政治家ではないのか?
・もっと高尚な互いに役立つ議論をするように努めて欲しい
夫婦円満・親子円満・兄弟円満・ご近所円満に・・・・・
そうなることは、実は自分自身が大人になったことを意味するのです
ぶつぶつ文句言いもそうだが、人間は「それが良い」という固定観念から抜け出せない
毎年一か所以上お金の許す範囲で家のリフォームをしている
TOTO洗面化粧台LDCF075BAGEN2A:75幅80高52㎝奥、左にスムース排水
今年は念願の洗面所に75㎝幅の洗面台を入れ、横に棚もとりつけた計7万円
更に今月はシロアリ、床下湿気対策として
部屋全部の床下に炭を敷き詰め、4か所の床下換気扇を設置予定だ60万円