指導や講演を依頼出来ます 村上原基
講演例
・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達 ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク⇒人生勉強会
出来た・出来ます
テーマ:腰痛を例に、人としてどうあるべきか?貴方はきちんと答えられるか?
我々在家の人(一般人)と出家の人(お坊さん)の明らかな違いは
一口で言えば、我々在家は嘘誤魔化しの人、出家は人生を深めた人
・在家は、生き方や暮らし方もいい加減 ・出家は、かなりきちんとしている
私は人気のない山に20年暮したことで、ほんの僅か出家に近づいた
普段我々は僧侶などと親しく付き合い僧侶の生き方に触れることもない
それぐらい互いに水と油、別世界の人であり、日常、交わることもない
ここ数年の自然災害・戦争・テロ・保護主義などはそういう弊害の現れで
柔道のパワハラや日大アメフト事件や日本ボクシング連盟、政治家のセクハラなど
指導者のあまりにひどいヤクザ・殺人鬼まがいの悪事が露見した
私が勤めた電子部品会社でも、二人の新米常務によるひどいパワハラがあり、高齢幹部が
これ見よがしに粛清されたが、私も当時は凄い憂鬱と恐怖の日々だったのを思い出す
現代人は、原点・基本を忘れ、自己中心や快楽追求に走る危険な状況だ
ここ数年の異常気象を単なる自然災害と考えている人間に鉄槌が下っている
想定外の大きな災害にあった被災地の人間を可哀そうだなんて私は思わない
自分自身で何とかしようとせず他人任せの人があまりに多すぎる
この国も更なる災害国になり、借金は更に巨額になり消滅していくのだろう
在家であろうと、出家の心を持つのは大事なことだし
本来在家の人ほど、出家の人の生き方に学ぶべきだが、まず、やらない
部屋の断捨離のプロにも及ばないが、出家の人を学ぶのは並大抵ではない
出家と言っても、山奥で長く修行や暮してもいない糞坊主や偽坊主が多い
ので要注意であり、そんな坊さんを真似るととんでもないことになる
出家にも怪しげな出家がおり、在家にも出家に近い在家がいることも事実だ
高齢化社会になって退職後20~30年も生きる恵まれた時代において
その余生を有意義に暮すべきであり、漫然と余生を無為に過ごすべきではない
60歳以降は出家に少しでも近づく努力をして人間完成を目指したい
老いてますます自堕落な暮らしを続け「悠々自適」と収まっていては駄目
自己責任・自立・自律・自前をほぼ忘れた現代人は、依存・責任転嫁・他律
私がもう一つ思うことがある
一流スポーツ選手などが世界一になり、国民栄誉賞を貰って大騒ぎしているが
棒切れで玉撃っのが上手いとか、棒切れでボールを打ち穴に入れるの上手い
走りが速い、殴り合いが強いなんて、本当に国民栄誉賞なんですか?
高額な所得のスポーツ選手を観ていると、明らかに金儲けの手段になっている
甘い汁を吸う超有名スポーツ選手を観ていると、尊敬どころか、軽蔑の念さえ覚える
松井・イチロー・大谷・・・巨額な所得を得ている人をヒイキや尊敬したくもない
スポーツ選手なんて、一体それほど尊敬に値するものなんでしょうか?
町で汗泥まみれで安い給与で働く人に比べれば、むしろけしからん人達にしか思えない
走りの速い黒人の国だったら、その国は、国民栄誉賞だらけになってしまうだろう
オリンピックも大リーグも騒ぎ過ぎだ、あんなものを喜んだり、尊敬してはならない
スポーツに多額な金が絡むのは良くない、汚職や八百長の元で、全く観たくもない
電気やガソリンの浪費、スポーツにうつつを抜かし、スマホに依存、国家財政は大赤字
少子高齢化、自然災害や巨大地震・・・それでも自ら何もせず、平然としている
そんなことより自己を磨き・律することがその何倍も大事で有意義なことだ
禅の高僧は、国民栄誉賞の筆頭でしかるべきだが、彼等は栄誉賞など求めない
現代は自己を磨くより、つまらん娯楽や金儲けで他を押しのけ一番を目指す
そんなことして一番になったところで、人生や社会のためになることはない
一番だろうが、一体なんの益があると言うのか?金儲けのために造られたに過ぎない
ファンに仕立て上げられ、踊らされ、金をむしりとられているカモに過ぎない
スポーツは普通の人が健康維持のために適度にやって楽しむもので、深入りはいかん
ごく暇なときにスポーツ競技を観るが、日本や自分の県が勝てと全く思わない
ヒイキのチームや選手も全くいない、そして競技の内容だけを淡々と観戦する
話は違うが、スポーツ競技に限らず
テレビ映画を観てもストーリーの主人公を応援したり、展開に一喜一憂しない
心配もしないし、ドキドキもしないし、感激もしない、涙も流さない
スポーツや映画鑑賞でびくびくしながら観るのは、止めなければならない
高齢化社会を迎え、老いとは衰えを意味しているように思われているが
はたしてそうだろうか?最近の私は全くそう思ってはいない
患者が健康に年取るための治療について、医者や整体師も努力しないといけない
痛みを一時的にとるなんてことはどうでもいいことなのだ、保険の無駄使いだ
老い=衰え 老い=衰退 老い=弱体 と安易に信じ込む人があまりに多い
老いはマイナス面だけではない、それどころか、むしろプラス面が多い
物事は必ず両面があることを絶対に忘れてはならない
良さそうなものでも必ず悪い面がある、悪そうなものも必ず良い面がある
プラス面を観ずに、マイナス面だけを見つめるのは良くない
老いのプラス面を一度じっくり考え、書き出してみませんか?
敢えて私の答えを示さないので皆さん自分で考えて下さい
老いで一番良いことは人間的な成長である、若者より断然優れている
むしろ人間的な成長は老人そのもの、老い=人間成熟 老い=人間完成
※ところが多くの老人で人間的に立派になっていく人は意外にも少ない
老後は、リターイアー・引退・隠居し、抜け殻みたいな暮らしになっていく
老いとは老いるから老いなので、老いない人には老いはない事を忘れてはならない
多くの老人が大きな間違いをしてしまうのは、老い=老衰に捉えるからだ
世の中、良きにつけ、悪しきにつけ”物事をあーだこーだ決めつける”
そして事態が悪いほうに行くと、安易に悪い方に決めつけてしまう
もっと謙虚に自分や人生を一度白紙に戻し考え直すべきだ
そういう安易な決め方自身が物事を悪化させてしまう元になる
「俺なんか所詮駄目人間」「所詮何の取柄もない」なんて具合だ
励ましているのではないのだが、「励ましてくれなくてよい」と反発する
真面目にやれば、必ずや出来ると信じているのだが、忠告を完全無視する
親切な忠告が、単なる励ましに捉えられ「そんなことは出来るわけない」となる
人は衰えてくると「励ましは要らん」「忠告は要らん」と不快感を露わにする
腰痛爺さんは「腰が痛いのに、そんなこと出来るはずがない」と声高に言う
これも実に大きな間違いの一つだ、腰痛患者のやることなすこと逆なのだ
歳とるほど、ますます謙虚に他人の忠告を受け入れ自分で考えないといけない
逆のようだが、私は腰痛の老人に「もっと運動し、身体を動かそう」と言う
しかし
多くの腰痛爺さんは「腰が痛くて到底運動なんか無理だ」と拒否する
「無理して運動やストレッチをしないほうが良い」などと言われる
腰痛爺さんの身になれば当然のことなのだが、それでは腰痛は絶対に直らない
腰が痛い ⇒ 運動はできない、身体を動かせない
年取ると身体を動かさない部分があちこち多くなる、その不足を意識して
補うことが必要であり、そのために満遍なく身体を動かし続けることが必要
ところが腰痛爺さんは、
運動は出来ない、身体を動かせない ⇒ 腰痛は悪化する
物事が悪化すると原因追求するが最後は、歳のせいに結論を出すのだ
考え方は「あまり動かすと痛むので、痛む運動はしたくない」なのだ
大して効果はないのだが、いよいよ外科や整体や整骨院に治療をしてもらう
治療し腰痛は少し改善する。しかしその間、自分自身は何もしようとしない
「金で医者や整体師が直してくれる」と思っているが、現実そんなことはない
身体を動かさない ⇒ 筋肉が減り、骨も細る ⇒腰痛は決定的に悪化していく
すなわち運動や身体を動かすのは腰痛を根本から直す最良の方法なのだが
歳だからと、頭から、やることを拒絶する ⇒ 当然腰痛は確実に進行する
老いとはそういうことなのだ、老いの容認により、老いが始まり、老いが進む
老いたからと諦めるから腰痛になる、きちんと暮せば腰痛はひどくはならない
肥満や喫煙なども、何かと「・・・だから」と出来ない・しない理由をあげる
この世は進歩発展という名を借りて、結果的に悪事に走る、悪事を加速する
”最良の方法とは、その人にとって、最も難しいこと”なのかもしれない
難しいというか、多くの場合は面倒くさい・続かない・効果がすぐ出ない・・・
その人にとって難しいことをやらなければ腰痛も肥満も禁煙も出来ないのだが
人間は弱いのだ、 人の心の弱さが貧乏や腰痛の原因なのだ
運動し身体を動かし姿勢を正すということをきちんとやれば何とか悪化を防げる
お坊さんを観ていると、やることが丁寧で一つづつきちんとしているのに気づく
小笠原流というのがあるが、坊さんでなくても、きちんとしている人は他にもある
「全てにわたってきちんとすることなど不可能」と言う人に言ってあげる
「大丈夫、全てがいい加減な貴方なら、全てをきちんとすることなど朝飯前だ」と
お坊さんが入山し修行すると、アトピーや花粉症など永年の病気が直ると聞く
そんなものだろうと山暮らし20年の私も納得する、本来の正しい暮らしに戻るから
人間は、あらゆる行為をきちんと正すべきなのだ、お坊さんを参考にしましょう
花粉症を直そうと食べ物や運動などを必死にやるより山の良い環境で、
規則正しい暮らしを続けるほうが効果がある、何となく分るような気がする
ある意味無理して都会に暮らしている事そのもの自身が異常なのだと思う
出家し山中で厳しい修行を10年もすれば、それだけでも大きな効果が期待できる
・喫煙 ・飲酒 ・運動 ・姿勢
・歯磨き ・食事 ・会話 ・付き合い
・掃除 ・仕事 ・睡眠 ・謙虚
・勉強 ・質素 ・お金 ・・・・
一部ではなく、全てにわたって、満遍なくきちんと出来ていることが大事なのだ
お勧めしたいのは、
お坊さんの立ち居振る舞いを観察し、自分の場合とどこが違うか明らかにすること
昔はお祖母ちゃんや父母や伯父さんから、事あるごとに注意をされたものだ
多分、あまり多すぎて、かえって逆効果にならないかと心配だが
やれ腰痛がどうのこうのではないし、腰痛だから無理は出来ないでもない
腰痛だから無理は出来ないではない。無理であっても必要なことはやるようにする
個別に拘り個別原因を良くしようとし過ぎると、むしろ腰痛悪化の原因になる
在家の人の弱点が、問題を絞って、それだけやれば良いと思うことだ
そんなことはないのだ100のうち30やれば良好な状態を維持出来るはずがない
ところが在家の人は、30だけ必死にやるのだが、それが次々に日替わりになっていく
在家は、楽をしたがる。もし在家を卒業したければ樂することを求めないことだ
きちんと正しいことを真面目に続けることだが、在家の人はこれしきのことも出来ない
私が田舎の山の貧しい寺で真剣に修行するお坊さんに学ぶ点は
(※都会の寺には事業経営者みたいな欲得の僧侶もかなり多いので要注意)
①淡々としている ②笑顔 ③冷静 ④質素
⑤堂々 ⑥謙虚 ⑦欲張らない ⑧無・空
⑨作務 ⑩規則正しさ ⑪簡素 ⑫落ち着き
⑬信仰心(深い人生観) ⑭道徳心 ⑮自慢しない
⑯思いやり ⑰清掃 ⑱清潔 ⑲整理整頓 ⑳平常心
そういうことが生き方や暮らしや行動に出る、それを良く観て真似るようにしている
腰痛を直すのに、当然だが、誰でも、個別の原因を調べ始める。犯人捜しだ
医者も同様で、一つかせいぜい二つくらいの原因を突き止める
10の原因を全部調べずにレントゲン結果でそれほど悪くなくても
「〇〇病です」と医者が出来る治療を想定し結論を出してしまう
10の原因があるものを何故に2つに絞ってしまおうとするのだろう?
ダイエットなども10くらいの原因があるはずだが、バナナダイエットとかで誤魔化す
もし、万一効果があがっても大半が改善されていないのでぶり返す、リバウンドする
医者や整体師から10の原因を全て明らかにし、全てについての対策を言われたことはない
医者なんてそんなものなのだ、勝手に原因を決め、自分の出来る処置や投薬をするだけ
今の医者はまず血圧測り、血液とり、場合によっては超音波検査など、保険の点数稼ぎ
患者からの状況聴取は僅か、患者の生活習慣なんか事細かく聴かない、多分点数にならない
そして処方はABCのどれかを選択するだけ荒っぽい、基準オーバーはすぐに投薬か注射、
副作用は、どうでもいい、だって俺が言ってるんじゃなくて製薬会社や医師会の見解だから
だから患者毎にきめ細かい処方をばっちり言うような医者や整体師は皆無だ、無理なのだ
簡単な病気であれば、医者でなくても出来る。ちなみに最近の大工も誰でも出来るそうだ
「医者も大工も、出来るだけ自分でやるべし」が山暮らし20年の私の結論だ
腰痛爺さんの場合、少なくとも10くらいの原因があり全対策を同時実施する必要がある
ような感覚で直さないと、全然効果が出ない。その結果、
「やっはり歳のせいですね」なんていい加減な結論にしてしまうことになる
確かに長生きになったために、ある年齢になれば諦めが必要なんだろうが
80・90・100歳でも元気な老人がいる以上、100歳までは諦められない
例えば、10の原因があるのに2つだけ対策したとしよう
確かに効果はあるがあとの8つの原因に対策されていないから
8つはむしろ悪化し続けるので2つ良くなっても相殺されてしまう
悪い場合は8つの原因でかえって悪化してしまうことである
もし8つ改善しても肝心な2つが手つかずだと、悪化することがある
腰痛がなかなか良くならないのは、1~2つの原因だけを対策するからである
「木を観て森を観ず」なのである「全体を直さず、部分をいじるだけ」
腰痛は全体病・総合病なのだ、悪い原因を放置して一部だけ直しても駄目なのだ
便秘で便秘薬をもらって、たしかに一時的に便通が良くなるが
野菜食べない・運動しない・酒は飲む・暮らし不規則のままでは、また元に戻る
腰痛の場合、私の経験でもいろいろなことを次々にやってきたが
一時的な改善はあるものの、そのうち以前より悪化するの繰り返しだった
整体・マッサージ・入浴・痛み止め・シップ・注射・牽引・・・
大事なのは、樂に直す方法に頼るのではなく、面倒がらず地道な努力を続けること
すなわち、ストレッチ・運動・歩行・筋肉強化・姿勢改善・など真面目にやるのだ
しかも地道な努力を毎日続けなければならないのだ、歳だから無理なんて言い訳だ
歳だから出来ないではない。出来ないから・やらないから歳をとっていくのだ
よくこういう人を見かける
「私、毎日1万歩歩いています」
「私、毎日自転車に乗ります」
「私、毎日ストレッチしています」
「私、毎日縄跳びしています」
「私、毎日腹筋やってます」
しかし、その人の腰痛は必しも、あまり良くならない、そのうち、もっとひどくなる
年寄りの冷や水になってしまう、ある日突然、冷や水だけ始めるからそうなるのだ
なぜかというと、10の原因のうち1つだけやっているようなことになってしまう
大体、原因を探すようでは腰痛は良くならない、原因が分からなくなっているのだ
年寄りの腰痛対策は、1つだけやるのではなく、あれこれ満遍なくやることが需要なのだ
腰痛が深刻になった時に原因が一つだけなんてことはない、多くの原因が隠れている
ところが一つの原因を改善しようとするから、腰痛が長期化するのだ
腰痛が長期化してきたら、一つの原因を追究するのは意味がないし、効果は出ない
例えば、腰痛の場合、次の幾つをきちんとできていますか?
①長く座り続けない
②座る姿勢はきちんと真っすぐに
③歩く姿勢もきちんと真っすぐに
④敷布団は柔らかすぎない
⑤毎日頻繁にストレッチ、身体ひねり
⑥毎日ある程度の距離を歩く
⑦自転車に乗る
⑧毎日腹筋や筋肉つける運動
⑨逆に、腰に悪い、きつい運動は止める、減らす
⑩ヘルニアや神経痛の場合は当分無理しない
⑪ストレッチや歩き方や運動のやり方の問題を改善
⑫栄養をきちんととる、牛乳・豆腐・野菜・肉など
⑬酒減らす、禁煙、ジュース減らす
高齢者の腰痛でも12項目が全てきちんと出来ていれば、腰痛はひどくならない
ところが腰痛の高齢者がきちんとやっているのがせいぜい3つくらいなのだ
3つしか出来てないで「一向に腰痛がよくならない」とはよく言うよねー
医者や整体に行くと、つい依存して自分が日々やるべきことが疎かになる場合が多い
ちなみに参考までに、胃腸の不調や便秘なども
①規則正しい食事
②夜は6時までに食事し以降は食べない
③夜は10~11時に毎日同じ時間に寝る、夜更かし厳禁
④朝は決まった時間に起きる、日曜日に寝だめしない
⑤禁煙
⑥深酒はしない、ごく少なく
⑦減塩・減糖・減炭水化物
⑧運動・歩行・腹筋など
⑨ストレッチ
⑩但し、運動し過ぎない、夏場は特に控え目に
⑪野菜をきちんと食べる
⑫栄養は満遍なくバランスよく
⑬趣味を幾つか持つ
⑭食べ過ぎ・飲み過ぎしない
⑮気にしない・くよくよしない
⑯発酵食品をとる
⑰適度に水分とミネラルとる
⑱円満な人付き合い・会話
⑲やると決めたら続ける
⑳以上のことを全て完全に続けてやる
何か1つ2つやって便秘解消などと楽することは考えずに全面的に真剣に続けることだ
腰痛でも何でも自分の身体は本来自分で直すもので医者が直すものではないのだ
医者というのは、完璧に直せる人ではない、推測の上でやっているので
「当たるも医者、当たらぬも医者」なのだ。占い師より、やや、ましな程度なのだ
特に腰痛は自分で直す最たるものなのだ「整体にかかっても一向に良くならない」と
文句を言うのは、お門違いなのだ、医者や整体は多くの原因の一部分をやってもらうだけ
揉めば直る・指圧すれば直る・機械で治療すれば直るという保証は全くないのだ
永年腰痛に悩む腰痛爺さんを観ていて、私は「こりゃいかん」と反省した
腰痛爺さんは、誰も同じような反応をする「腰が痛くて運動どころじゃない」
しかし、出来ない=腰痛は直らない=更にひどくなる
動物である人間は痛かろうと、動かすことで直るのである、じっとして直ることはない
そうこうしている内に、私は、やっと少し、腰痛改善のコツをつかみ出した
すなわち、医者や整体師に依存過ぎずに、自前で生き方・暮らし方をきちんと正すこと
あれやり、これやりではなく、当たり前のことを全部無理せず地道に続けることだ
これは腰痛だけでなく人生全般に通じる真理なのだと確信している
基本・原点に戻ることだ、但し爺さんなので年相応にやることだ、無理は禁物
”腰痛だから腰痛が改善されない”ではない
”腰痛だから自分には直せない、医者や整体に直してもらう”でもない
⇒
腰痛は自分の生活習慣を全面的に見直し・改善し、それを続ければ良くなる
貧乏だから貧乏は改善されないではない
貧乏だから博打や上手い話で儲けようでもない
貧乏は自分の暮らしや心構えを全面的に改善し、それを続ければ良くなる
すなわち自分の生き方や暮らし方を全面的に正せということである
歳だから腰痛が直らないのではなく、腰痛を直そうとしないから歳をとる
腰痛爺さんの実態は、腰痛を直さず放置し続けるので、腰痛が悪化し、
それが歳のせいのように思えてくるのである
腰痛の原因自身は、そのまま放置しておくから、当然、腰痛は悪化し続ける
そこで私は簡単なことだが重要な結論を導き出した思いがした、
一部でなく、全部についてきちんと真面目にやることなのだ
満点な本来の自分を取り戻すことだ
しかし歳をとるほど、貧乏になるほど、人間はきちんとするより
むしろ、より、いい加減になるのである
更に、そのいい加減さを許さないのではなく、何だかんだと是認してしまうのだ
いい加減を一つ是認すると、一つの原因が生じ
やがてそれが二つ三つ四つと増えていく、そうなると歯止めが効かず、
きちんと真面目にという基本姿勢は完全に崩壊してしまっているのだ
「歳だから・・・」年齢は関係ない、真面目にきちんとするという事と無関係だ
そこに来て医者はというと、数値や画像による医学的な検査に頼るばかり
患者の克明な状況を調べようとはしない、やれる能力や時間がないからだ
何のことはない、10の原因なんか完全無視で、より医学的な症状に拘るのだ
改善対策はあくまで医学上の一般的なこと
運動して下さい・歩いて下さい・姿勢を正して下さい・入浴して下さい・・・・
そんなことが皆、出来て居れば腰痛が悪くなることはないのだが、
医者は痛みを一時的にでも取り除くことで、治療費というお金を貰おうとする
直ぐに痛みはとれなくても、根本原因が分かり、治療法を明らかにしようとは思わない
そしてかつての私のように医者や整体に行って、その時だけ良くなるで終わる
すぐに痛みが取れる処方を期待してはいけない、それよりも確実に直る処方が欲しいのだ
高いお金と時間をかけたが、結果的にどぶに捨てたみたいなってしまう
医者や整体師は、とりあえず腰の痛みを取り除こうとしてくれているだけだったのだ
根本原因は医者の力では直らないと分かっていながら、健康保険費を無駄使いするだけなのだ
医者や整体師が直せるのは、患者の一時的かつたった一つの原因によるものだけなのだ
患者の生活習慣や高齢化により複雑な原因によるものは自分でしか直せないのだ
・腰痛原因を検査するだけならよい
・しかし腰痛を直すのは自分自身でやるべきだ
・医者はA+B=Cみたいな誰にも共通的な状況をつかみ、その標準的な治療法を定め、
医者にしか出来ない処置をするだけに適している
・医者に腰痛のような個人の努力によるものを直せというのは無理なのである
・医者には出来ることと出来ないことがあるが腰痛爺さんを直すのは出来ないことだ
72歳以降、最近の私は次のようなスローガンで自前で腰痛改善を続けている
姿勢よく・立て・歩け・食べろ・動け・伸ばせ・曲げろ・負荷かけろ
無論私の長年の経験もあるので必しも誰もが上手く行くとは保証できないが
その時は私と遭って直接相談して欲しい、アドバイスをさせて戴く
本題に戻るが、この腰痛の経験を人生全部に普遍させてみた
「何事もきちんとやる習慣を身に着けるべし」ということである
「いい加減主義を止め、完璧主義に」移し替えることだ
例えば、身近なことだが
・靴を脱ぐときは、2足揃えて、足先の向きを変えて置く
・物を使え終えたら、元の場所にきちんと仕舞う
・食事したら歯を磨く、間食はしない
・水回りや冷蔵庫は毎日ないし毎週一回はきちんと清掃する
・毎日寝る時間起きる時間を決まった時間にする
・などなど・・・・・
要するに禅僧のように行いを全てにわたって丁寧にきちんとすること
焦らない・欲張らない・楽しようとしない・頑張り過ぎない・いい加減にしない・・・・
ところが一般人(在家)によくあるのは、布団は敷きっぱなし、布団は干さない、
掃除はしない、食器は流しに洗わず置きっぱなし、服もにぎっぱなし、間食する、
暴飲暴食する、部屋には物だらけ、ほこりも一杯・・・・
・きちんと出来ることの割合が低い
・きちんと出来ることにかなりの苦痛や困難を伴う
・きちんと出来ることが長く続かない
・きちんと出来るレベルが低い、すなわち自分が思っているほどきちんと出来ていない
・一言で言えば、意志が弱い 又は 出来ない病
最後にまとめると
トヨタの改善は素晴らしいと有名だが、言い替えれば、何事も問題だらけということだ
腰痛爺さんの場合は問題が多岐に亘っているが、高齢なので、全部出来ない・続かない
諦めないで、基本原点に戻り全部をきちんとし、無理せずに、続けることだ
自力で地道に直そうとしないと、腰痛は直らず、悪化し、寝たきり老人を増やすだけ
今年の夏は猛暑で外に出られない。一日エアコンかけっぱなし、更に温暖化を助長する
夏の猛暑の原因が電気石油の使い過ぎだから省エネすべきところだが、
熱中症に注意しエアコンをつけ放なしにという指示が出ている、対策が真逆なのだ?
これも腰痛爺さん同様に、反省の欠如・依存・そして悪循環から脱出出来ない例だ
水飲み、運動しないと秋に大きなつけがまわってくる、そして秋に医療保険が増大する
良いことをする人に減税し、いい加減な人に増税すべきだが、これも逆なことをやっている
消費税もあげ、医療保険負担もあげ、都会集中に増税、インバウンド収益に増税、
災害危険地域住人への災害税、いろいろ自己責任の施策を実施しないといけない
原因に対する対策が本来やるべきことの逆なことをしている⇒悪循環⇒脱出付加
私は室内で壁打ち卓球やストレッチもやっています。爺さんも自分工夫してやることです
講演例
・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達 ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク⇒人生勉強会
出来た・出来ます
テーマ:腰痛を例に、人としてどうあるべきか?貴方はきちんと答えられるか?
我々在家の人(一般人)と出家の人(お坊さん)の明らかな違いは
一口で言えば、我々在家は嘘誤魔化しの人、出家は人生を深めた人
・在家は、生き方や暮らし方もいい加減 ・出家は、かなりきちんとしている
私は人気のない山に20年暮したことで、ほんの僅か出家に近づいた
普段我々は僧侶などと親しく付き合い僧侶の生き方に触れることもない
それぐらい互いに水と油、別世界の人であり、日常、交わることもない
ここ数年の自然災害・戦争・テロ・保護主義などはそういう弊害の現れで
柔道のパワハラや日大アメフト事件や日本ボクシング連盟、政治家のセクハラなど
指導者のあまりにひどいヤクザ・殺人鬼まがいの悪事が露見した
私が勤めた電子部品会社でも、二人の新米常務によるひどいパワハラがあり、高齢幹部が
これ見よがしに粛清されたが、私も当時は凄い憂鬱と恐怖の日々だったのを思い出す
現代人は、原点・基本を忘れ、自己中心や快楽追求に走る危険な状況だ
ここ数年の異常気象を単なる自然災害と考えている人間に鉄槌が下っている
想定外の大きな災害にあった被災地の人間を可哀そうだなんて私は思わない
自分自身で何とかしようとせず他人任せの人があまりに多すぎる
この国も更なる災害国になり、借金は更に巨額になり消滅していくのだろう
在家であろうと、出家の心を持つのは大事なことだし
本来在家の人ほど、出家の人の生き方に学ぶべきだが、まず、やらない
部屋の断捨離のプロにも及ばないが、出家の人を学ぶのは並大抵ではない
出家と言っても、山奥で長く修行や暮してもいない糞坊主や偽坊主が多い
ので要注意であり、そんな坊さんを真似るととんでもないことになる
出家にも怪しげな出家がおり、在家にも出家に近い在家がいることも事実だ
高齢化社会になって退職後20~30年も生きる恵まれた時代において
その余生を有意義に暮すべきであり、漫然と余生を無為に過ごすべきではない
60歳以降は出家に少しでも近づく努力をして人間完成を目指したい
老いてますます自堕落な暮らしを続け「悠々自適」と収まっていては駄目
自己責任・自立・自律・自前をほぼ忘れた現代人は、依存・責任転嫁・他律
私がもう一つ思うことがある
一流スポーツ選手などが世界一になり、国民栄誉賞を貰って大騒ぎしているが
棒切れで玉撃っのが上手いとか、棒切れでボールを打ち穴に入れるの上手い
走りが速い、殴り合いが強いなんて、本当に国民栄誉賞なんですか?
高額な所得のスポーツ選手を観ていると、明らかに金儲けの手段になっている
甘い汁を吸う超有名スポーツ選手を観ていると、尊敬どころか、軽蔑の念さえ覚える
松井・イチロー・大谷・・・巨額な所得を得ている人をヒイキや尊敬したくもない
スポーツ選手なんて、一体それほど尊敬に値するものなんでしょうか?
町で汗泥まみれで安い給与で働く人に比べれば、むしろけしからん人達にしか思えない
走りの速い黒人の国だったら、その国は、国民栄誉賞だらけになってしまうだろう
オリンピックも大リーグも騒ぎ過ぎだ、あんなものを喜んだり、尊敬してはならない
スポーツに多額な金が絡むのは良くない、汚職や八百長の元で、全く観たくもない
電気やガソリンの浪費、スポーツにうつつを抜かし、スマホに依存、国家財政は大赤字
少子高齢化、自然災害や巨大地震・・・それでも自ら何もせず、平然としている
そんなことより自己を磨き・律することがその何倍も大事で有意義なことだ
禅の高僧は、国民栄誉賞の筆頭でしかるべきだが、彼等は栄誉賞など求めない
現代は自己を磨くより、つまらん娯楽や金儲けで他を押しのけ一番を目指す
そんなことして一番になったところで、人生や社会のためになることはない
一番だろうが、一体なんの益があると言うのか?金儲けのために造られたに過ぎない
ファンに仕立て上げられ、踊らされ、金をむしりとられているカモに過ぎない
スポーツは普通の人が健康維持のために適度にやって楽しむもので、深入りはいかん
ごく暇なときにスポーツ競技を観るが、日本や自分の県が勝てと全く思わない
ヒイキのチームや選手も全くいない、そして競技の内容だけを淡々と観戦する
話は違うが、スポーツ競技に限らず
テレビ映画を観てもストーリーの主人公を応援したり、展開に一喜一憂しない
心配もしないし、ドキドキもしないし、感激もしない、涙も流さない
スポーツや映画鑑賞でびくびくしながら観るのは、止めなければならない
高齢化社会を迎え、老いとは衰えを意味しているように思われているが
はたしてそうだろうか?最近の私は全くそう思ってはいない
患者が健康に年取るための治療について、医者や整体師も努力しないといけない
痛みを一時的にとるなんてことはどうでもいいことなのだ、保険の無駄使いだ
老い=衰え 老い=衰退 老い=弱体 と安易に信じ込む人があまりに多い
老いはマイナス面だけではない、それどころか、むしろプラス面が多い
物事は必ず両面があることを絶対に忘れてはならない
良さそうなものでも必ず悪い面がある、悪そうなものも必ず良い面がある
プラス面を観ずに、マイナス面だけを見つめるのは良くない
老いのプラス面を一度じっくり考え、書き出してみませんか?
敢えて私の答えを示さないので皆さん自分で考えて下さい
老いで一番良いことは人間的な成長である、若者より断然優れている
むしろ人間的な成長は老人そのもの、老い=人間成熟 老い=人間完成
※ところが多くの老人で人間的に立派になっていく人は意外にも少ない
老後は、リターイアー・引退・隠居し、抜け殻みたいな暮らしになっていく
老いとは老いるから老いなので、老いない人には老いはない事を忘れてはならない
多くの老人が大きな間違いをしてしまうのは、老い=老衰に捉えるからだ
世の中、良きにつけ、悪しきにつけ”物事をあーだこーだ決めつける”
そして事態が悪いほうに行くと、安易に悪い方に決めつけてしまう
もっと謙虚に自分や人生を一度白紙に戻し考え直すべきだ
そういう安易な決め方自身が物事を悪化させてしまう元になる
「俺なんか所詮駄目人間」「所詮何の取柄もない」なんて具合だ
励ましているのではないのだが、「励ましてくれなくてよい」と反発する
真面目にやれば、必ずや出来ると信じているのだが、忠告を完全無視する
親切な忠告が、単なる励ましに捉えられ「そんなことは出来るわけない」となる
人は衰えてくると「励ましは要らん」「忠告は要らん」と不快感を露わにする
腰痛爺さんは「腰が痛いのに、そんなこと出来るはずがない」と声高に言う
これも実に大きな間違いの一つだ、腰痛患者のやることなすこと逆なのだ
歳とるほど、ますます謙虚に他人の忠告を受け入れ自分で考えないといけない
逆のようだが、私は腰痛の老人に「もっと運動し、身体を動かそう」と言う
しかし
多くの腰痛爺さんは「腰が痛くて到底運動なんか無理だ」と拒否する
「無理して運動やストレッチをしないほうが良い」などと言われる
腰痛爺さんの身になれば当然のことなのだが、それでは腰痛は絶対に直らない
腰が痛い ⇒ 運動はできない、身体を動かせない
年取ると身体を動かさない部分があちこち多くなる、その不足を意識して
補うことが必要であり、そのために満遍なく身体を動かし続けることが必要
ところが腰痛爺さんは、
運動は出来ない、身体を動かせない ⇒ 腰痛は悪化する
物事が悪化すると原因追求するが最後は、歳のせいに結論を出すのだ
考え方は「あまり動かすと痛むので、痛む運動はしたくない」なのだ
大して効果はないのだが、いよいよ外科や整体や整骨院に治療をしてもらう
治療し腰痛は少し改善する。しかしその間、自分自身は何もしようとしない
「金で医者や整体師が直してくれる」と思っているが、現実そんなことはない
身体を動かさない ⇒ 筋肉が減り、骨も細る ⇒腰痛は決定的に悪化していく
すなわち運動や身体を動かすのは腰痛を根本から直す最良の方法なのだが
歳だからと、頭から、やることを拒絶する ⇒ 当然腰痛は確実に進行する
老いとはそういうことなのだ、老いの容認により、老いが始まり、老いが進む
老いたからと諦めるから腰痛になる、きちんと暮せば腰痛はひどくはならない
肥満や喫煙なども、何かと「・・・だから」と出来ない・しない理由をあげる
この世は進歩発展という名を借りて、結果的に悪事に走る、悪事を加速する
”最良の方法とは、その人にとって、最も難しいこと”なのかもしれない
難しいというか、多くの場合は面倒くさい・続かない・効果がすぐ出ない・・・
その人にとって難しいことをやらなければ腰痛も肥満も禁煙も出来ないのだが
人間は弱いのだ、 人の心の弱さが貧乏や腰痛の原因なのだ
運動し身体を動かし姿勢を正すということをきちんとやれば何とか悪化を防げる
お坊さんを観ていると、やることが丁寧で一つづつきちんとしているのに気づく
小笠原流というのがあるが、坊さんでなくても、きちんとしている人は他にもある
「全てにわたってきちんとすることなど不可能」と言う人に言ってあげる
「大丈夫、全てがいい加減な貴方なら、全てをきちんとすることなど朝飯前だ」と
お坊さんが入山し修行すると、アトピーや花粉症など永年の病気が直ると聞く
そんなものだろうと山暮らし20年の私も納得する、本来の正しい暮らしに戻るから
人間は、あらゆる行為をきちんと正すべきなのだ、お坊さんを参考にしましょう
花粉症を直そうと食べ物や運動などを必死にやるより山の良い環境で、
規則正しい暮らしを続けるほうが効果がある、何となく分るような気がする
ある意味無理して都会に暮らしている事そのもの自身が異常なのだと思う
出家し山中で厳しい修行を10年もすれば、それだけでも大きな効果が期待できる
・喫煙 ・飲酒 ・運動 ・姿勢
・歯磨き ・食事 ・会話 ・付き合い
・掃除 ・仕事 ・睡眠 ・謙虚
・勉強 ・質素 ・お金 ・・・・
一部ではなく、全てにわたって、満遍なくきちんと出来ていることが大事なのだ
お勧めしたいのは、
お坊さんの立ち居振る舞いを観察し、自分の場合とどこが違うか明らかにすること
昔はお祖母ちゃんや父母や伯父さんから、事あるごとに注意をされたものだ
多分、あまり多すぎて、かえって逆効果にならないかと心配だが
やれ腰痛がどうのこうのではないし、腰痛だから無理は出来ないでもない
腰痛だから無理は出来ないではない。無理であっても必要なことはやるようにする
個別に拘り個別原因を良くしようとし過ぎると、むしろ腰痛悪化の原因になる
在家の人の弱点が、問題を絞って、それだけやれば良いと思うことだ
そんなことはないのだ100のうち30やれば良好な状態を維持出来るはずがない
ところが在家の人は、30だけ必死にやるのだが、それが次々に日替わりになっていく
在家は、楽をしたがる。もし在家を卒業したければ樂することを求めないことだ
きちんと正しいことを真面目に続けることだが、在家の人はこれしきのことも出来ない
私が田舎の山の貧しい寺で真剣に修行するお坊さんに学ぶ点は
(※都会の寺には事業経営者みたいな欲得の僧侶もかなり多いので要注意)
①淡々としている ②笑顔 ③冷静 ④質素
⑤堂々 ⑥謙虚 ⑦欲張らない ⑧無・空
⑨作務 ⑩規則正しさ ⑪簡素 ⑫落ち着き
⑬信仰心(深い人生観) ⑭道徳心 ⑮自慢しない
⑯思いやり ⑰清掃 ⑱清潔 ⑲整理整頓 ⑳平常心
そういうことが生き方や暮らしや行動に出る、それを良く観て真似るようにしている
腰痛を直すのに、当然だが、誰でも、個別の原因を調べ始める。犯人捜しだ
医者も同様で、一つかせいぜい二つくらいの原因を突き止める
10の原因を全部調べずにレントゲン結果でそれほど悪くなくても
「〇〇病です」と医者が出来る治療を想定し結論を出してしまう
10の原因があるものを何故に2つに絞ってしまおうとするのだろう?
ダイエットなども10くらいの原因があるはずだが、バナナダイエットとかで誤魔化す
もし、万一効果があがっても大半が改善されていないのでぶり返す、リバウンドする
医者や整体師から10の原因を全て明らかにし、全てについての対策を言われたことはない
医者なんてそんなものなのだ、勝手に原因を決め、自分の出来る処置や投薬をするだけ
今の医者はまず血圧測り、血液とり、場合によっては超音波検査など、保険の点数稼ぎ
患者からの状況聴取は僅か、患者の生活習慣なんか事細かく聴かない、多分点数にならない
そして処方はABCのどれかを選択するだけ荒っぽい、基準オーバーはすぐに投薬か注射、
副作用は、どうでもいい、だって俺が言ってるんじゃなくて製薬会社や医師会の見解だから
だから患者毎にきめ細かい処方をばっちり言うような医者や整体師は皆無だ、無理なのだ
簡単な病気であれば、医者でなくても出来る。ちなみに最近の大工も誰でも出来るそうだ
「医者も大工も、出来るだけ自分でやるべし」が山暮らし20年の私の結論だ
腰痛爺さんの場合、少なくとも10くらいの原因があり全対策を同時実施する必要がある
ような感覚で直さないと、全然効果が出ない。その結果、
「やっはり歳のせいですね」なんていい加減な結論にしてしまうことになる
確かに長生きになったために、ある年齢になれば諦めが必要なんだろうが
80・90・100歳でも元気な老人がいる以上、100歳までは諦められない
例えば、10の原因があるのに2つだけ対策したとしよう
確かに効果はあるがあとの8つの原因に対策されていないから
8つはむしろ悪化し続けるので2つ良くなっても相殺されてしまう
悪い場合は8つの原因でかえって悪化してしまうことである
もし8つ改善しても肝心な2つが手つかずだと、悪化することがある
腰痛がなかなか良くならないのは、1~2つの原因だけを対策するからである
「木を観て森を観ず」なのである「全体を直さず、部分をいじるだけ」
腰痛は全体病・総合病なのだ、悪い原因を放置して一部だけ直しても駄目なのだ
便秘で便秘薬をもらって、たしかに一時的に便通が良くなるが
野菜食べない・運動しない・酒は飲む・暮らし不規則のままでは、また元に戻る
腰痛の場合、私の経験でもいろいろなことを次々にやってきたが
一時的な改善はあるものの、そのうち以前より悪化するの繰り返しだった
整体・マッサージ・入浴・痛み止め・シップ・注射・牽引・・・
大事なのは、樂に直す方法に頼るのではなく、面倒がらず地道な努力を続けること
すなわち、ストレッチ・運動・歩行・筋肉強化・姿勢改善・など真面目にやるのだ
しかも地道な努力を毎日続けなければならないのだ、歳だから無理なんて言い訳だ
歳だから出来ないではない。出来ないから・やらないから歳をとっていくのだ
よくこういう人を見かける
「私、毎日1万歩歩いています」
「私、毎日自転車に乗ります」
「私、毎日ストレッチしています」
「私、毎日縄跳びしています」
「私、毎日腹筋やってます」
しかし、その人の腰痛は必しも、あまり良くならない、そのうち、もっとひどくなる
年寄りの冷や水になってしまう、ある日突然、冷や水だけ始めるからそうなるのだ
なぜかというと、10の原因のうち1つだけやっているようなことになってしまう
大体、原因を探すようでは腰痛は良くならない、原因が分からなくなっているのだ
年寄りの腰痛対策は、1つだけやるのではなく、あれこれ満遍なくやることが需要なのだ
腰痛が深刻になった時に原因が一つだけなんてことはない、多くの原因が隠れている
ところが一つの原因を改善しようとするから、腰痛が長期化するのだ
腰痛が長期化してきたら、一つの原因を追究するのは意味がないし、効果は出ない
例えば、腰痛の場合、次の幾つをきちんとできていますか?
①長く座り続けない
②座る姿勢はきちんと真っすぐに
③歩く姿勢もきちんと真っすぐに
④敷布団は柔らかすぎない
⑤毎日頻繁にストレッチ、身体ひねり
⑥毎日ある程度の距離を歩く
⑦自転車に乗る
⑧毎日腹筋や筋肉つける運動
⑨逆に、腰に悪い、きつい運動は止める、減らす
⑩ヘルニアや神経痛の場合は当分無理しない
⑪ストレッチや歩き方や運動のやり方の問題を改善
⑫栄養をきちんととる、牛乳・豆腐・野菜・肉など
⑬酒減らす、禁煙、ジュース減らす
高齢者の腰痛でも12項目が全てきちんと出来ていれば、腰痛はひどくならない
ところが腰痛の高齢者がきちんとやっているのがせいぜい3つくらいなのだ
3つしか出来てないで「一向に腰痛がよくならない」とはよく言うよねー
医者や整体に行くと、つい依存して自分が日々やるべきことが疎かになる場合が多い
ちなみに参考までに、胃腸の不調や便秘なども
①規則正しい食事
②夜は6時までに食事し以降は食べない
③夜は10~11時に毎日同じ時間に寝る、夜更かし厳禁
④朝は決まった時間に起きる、日曜日に寝だめしない
⑤禁煙
⑥深酒はしない、ごく少なく
⑦減塩・減糖・減炭水化物
⑧運動・歩行・腹筋など
⑨ストレッチ
⑩但し、運動し過ぎない、夏場は特に控え目に
⑪野菜をきちんと食べる
⑫栄養は満遍なくバランスよく
⑬趣味を幾つか持つ
⑭食べ過ぎ・飲み過ぎしない
⑮気にしない・くよくよしない
⑯発酵食品をとる
⑰適度に水分とミネラルとる
⑱円満な人付き合い・会話
⑲やると決めたら続ける
⑳以上のことを全て完全に続けてやる
何か1つ2つやって便秘解消などと楽することは考えずに全面的に真剣に続けることだ
腰痛でも何でも自分の身体は本来自分で直すもので医者が直すものではないのだ
医者というのは、完璧に直せる人ではない、推測の上でやっているので
「当たるも医者、当たらぬも医者」なのだ。占い師より、やや、ましな程度なのだ
特に腰痛は自分で直す最たるものなのだ「整体にかかっても一向に良くならない」と
文句を言うのは、お門違いなのだ、医者や整体は多くの原因の一部分をやってもらうだけ
揉めば直る・指圧すれば直る・機械で治療すれば直るという保証は全くないのだ
永年腰痛に悩む腰痛爺さんを観ていて、私は「こりゃいかん」と反省した
腰痛爺さんは、誰も同じような反応をする「腰が痛くて運動どころじゃない」
しかし、出来ない=腰痛は直らない=更にひどくなる
動物である人間は痛かろうと、動かすことで直るのである、じっとして直ることはない
そうこうしている内に、私は、やっと少し、腰痛改善のコツをつかみ出した
すなわち、医者や整体師に依存過ぎずに、自前で生き方・暮らし方をきちんと正すこと
あれやり、これやりではなく、当たり前のことを全部無理せず地道に続けることだ
これは腰痛だけでなく人生全般に通じる真理なのだと確信している
基本・原点に戻ることだ、但し爺さんなので年相応にやることだ、無理は禁物
”腰痛だから腰痛が改善されない”ではない
”腰痛だから自分には直せない、医者や整体に直してもらう”でもない
⇒
腰痛は自分の生活習慣を全面的に見直し・改善し、それを続ければ良くなる
貧乏だから貧乏は改善されないではない
貧乏だから博打や上手い話で儲けようでもない
貧乏は自分の暮らしや心構えを全面的に改善し、それを続ければ良くなる
すなわち自分の生き方や暮らし方を全面的に正せということである
歳だから腰痛が直らないのではなく、腰痛を直そうとしないから歳をとる
腰痛爺さんの実態は、腰痛を直さず放置し続けるので、腰痛が悪化し、
それが歳のせいのように思えてくるのである
腰痛の原因自身は、そのまま放置しておくから、当然、腰痛は悪化し続ける
そこで私は簡単なことだが重要な結論を導き出した思いがした、
一部でなく、全部についてきちんと真面目にやることなのだ
満点な本来の自分を取り戻すことだ
しかし歳をとるほど、貧乏になるほど、人間はきちんとするより
むしろ、より、いい加減になるのである
更に、そのいい加減さを許さないのではなく、何だかんだと是認してしまうのだ
いい加減を一つ是認すると、一つの原因が生じ
やがてそれが二つ三つ四つと増えていく、そうなると歯止めが効かず、
きちんと真面目にという基本姿勢は完全に崩壊してしまっているのだ
「歳だから・・・」年齢は関係ない、真面目にきちんとするという事と無関係だ
そこに来て医者はというと、数値や画像による医学的な検査に頼るばかり
患者の克明な状況を調べようとはしない、やれる能力や時間がないからだ
何のことはない、10の原因なんか完全無視で、より医学的な症状に拘るのだ
改善対策はあくまで医学上の一般的なこと
運動して下さい・歩いて下さい・姿勢を正して下さい・入浴して下さい・・・・
そんなことが皆、出来て居れば腰痛が悪くなることはないのだが、
医者は痛みを一時的にでも取り除くことで、治療費というお金を貰おうとする
直ぐに痛みはとれなくても、根本原因が分かり、治療法を明らかにしようとは思わない
そしてかつての私のように医者や整体に行って、その時だけ良くなるで終わる
すぐに痛みが取れる処方を期待してはいけない、それよりも確実に直る処方が欲しいのだ
高いお金と時間をかけたが、結果的にどぶに捨てたみたいなってしまう
医者や整体師は、とりあえず腰の痛みを取り除こうとしてくれているだけだったのだ
根本原因は医者の力では直らないと分かっていながら、健康保険費を無駄使いするだけなのだ
医者や整体師が直せるのは、患者の一時的かつたった一つの原因によるものだけなのだ
患者の生活習慣や高齢化により複雑な原因によるものは自分でしか直せないのだ
・腰痛原因を検査するだけならよい
・しかし腰痛を直すのは自分自身でやるべきだ
・医者はA+B=Cみたいな誰にも共通的な状況をつかみ、その標準的な治療法を定め、
医者にしか出来ない処置をするだけに適している
・医者に腰痛のような個人の努力によるものを直せというのは無理なのである
・医者には出来ることと出来ないことがあるが腰痛爺さんを直すのは出来ないことだ
72歳以降、最近の私は次のようなスローガンで自前で腰痛改善を続けている
姿勢よく・立て・歩け・食べろ・動け・伸ばせ・曲げろ・負荷かけろ
無論私の長年の経験もあるので必しも誰もが上手く行くとは保証できないが
その時は私と遭って直接相談して欲しい、アドバイスをさせて戴く
本題に戻るが、この腰痛の経験を人生全部に普遍させてみた
「何事もきちんとやる習慣を身に着けるべし」ということである
「いい加減主義を止め、完璧主義に」移し替えることだ
例えば、身近なことだが
・靴を脱ぐときは、2足揃えて、足先の向きを変えて置く
・物を使え終えたら、元の場所にきちんと仕舞う
・食事したら歯を磨く、間食はしない
・水回りや冷蔵庫は毎日ないし毎週一回はきちんと清掃する
・毎日寝る時間起きる時間を決まった時間にする
・などなど・・・・・
要するに禅僧のように行いを全てにわたって丁寧にきちんとすること
焦らない・欲張らない・楽しようとしない・頑張り過ぎない・いい加減にしない・・・・
ところが一般人(在家)によくあるのは、布団は敷きっぱなし、布団は干さない、
掃除はしない、食器は流しに洗わず置きっぱなし、服もにぎっぱなし、間食する、
暴飲暴食する、部屋には物だらけ、ほこりも一杯・・・・
・きちんと出来ることの割合が低い
・きちんと出来ることにかなりの苦痛や困難を伴う
・きちんと出来ることが長く続かない
・きちんと出来るレベルが低い、すなわち自分が思っているほどきちんと出来ていない
・一言で言えば、意志が弱い 又は 出来ない病
最後にまとめると
トヨタの改善は素晴らしいと有名だが、言い替えれば、何事も問題だらけということだ
腰痛爺さんの場合は問題が多岐に亘っているが、高齢なので、全部出来ない・続かない
諦めないで、基本原点に戻り全部をきちんとし、無理せずに、続けることだ
自力で地道に直そうとしないと、腰痛は直らず、悪化し、寝たきり老人を増やすだけ
今年の夏は猛暑で外に出られない。一日エアコンかけっぱなし、更に温暖化を助長する
夏の猛暑の原因が電気石油の使い過ぎだから省エネすべきところだが、
熱中症に注意しエアコンをつけ放なしにという指示が出ている、対策が真逆なのだ?
これも腰痛爺さん同様に、反省の欠如・依存・そして悪循環から脱出出来ない例だ
水飲み、運動しないと秋に大きなつけがまわってくる、そして秋に医療保険が増大する
良いことをする人に減税し、いい加減な人に増税すべきだが、これも逆なことをやっている
消費税もあげ、医療保険負担もあげ、都会集中に増税、インバウンド収益に増税、
災害危険地域住人への災害税、いろいろ自己責任の施策を実施しないといけない
原因に対する対策が本来やるべきことの逆なことをしている⇒悪循環⇒脱出付加
私は室内で壁打ち卓球やストレッチもやっています。爺さんも自分工夫してやることです