村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

461.最近のスポーツ競技及び怪しげな協会に思う

2018-08-30 20:48:40 | 人生
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
講演例
  ・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達  ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・

   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク⇒人生勉強会

出来た・出来ます
テーマ:スポーツ競技は虚業・嘘誤魔化しに堕落

・スポーツが巨大化し
・国家や役所やファンが膨大な組織を支えてしまう
・巨額なお金がからみ、利権を餌に横暴や搾取が横行する
・巨大な税金の無駄使い
・膨大なスポーツ施設建設・維持費
・怪しげなスポーツ団体
・パワハラが横行し
・金メダル第一主義
・あまりに高度で過剰な競争(例えば1/100秒の勝負)
・国民栄誉賞の安売り(ふざけるな)
・争いスポーツ優遇し、一般市民の健康目的のスポーツはおきざり

もういい加減にして欲しい?スポーツは争いやメダルが目的ではない
私は、すでに相撲や野球の八百長以降、スポーツ離れを果たしている
私には、勝ち負けはないし、興味も関心もない、皆さんそうあって欲しい
皆さんもスポーツをもっと冷静に楽しみ、熱狂や加熱は止めて欲しい

スポーツ協会や団体なんて予想以上に、ひどく汚いものである
そんな競技会や著名選手に自分も踊らされ毒されないで欲しい
こんな例を出して良いか分からないが、芸能人や芸術家や勝負師や先生などは
大方汚い人間どもばかり、そんな者「私は絶対に安易に尊敬もヒイキもしない」
信長・秀吉・家康、リーダー・権力者は「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
 「泣くまで待つ」なんてリーダーはいない
実態は想像以上に目を覆いたくなるようなもので、絶対に騙されてはいけない

「本日は金メダル3個とれました」
「池江選手が金メダル5個獲得、快挙」
「金メダル何個は中国に続き2位」
「1/100秒差で金メダル」
・・・
第二次戦争中に前戦からの戦勝報告のような嫌な感じがする
一体それだから何だと言うのか?

争う・勝つ・ほんの僅かな差で一位になる・・・一体どんな意味があるのか?
1点差・1/100秒差・1㎝差でもメダルとれる・とれないの差になるが
私にとっては意味は全くなく、むしろ実にバカげた争いだと思う
争うことに、どれだけ価値があるというのか?実に愚かしい
「オリンピックは参加することに意味がある」ということは全く忘られている

日本のかつて高度成長やバブル崩壊の反省同様、冷静さを取り戻してほしい
金・金・金・名を売る・名を売る・名を売る・・・だけ、とにかく汚い世界なのだ
スポーツという虚業があまりに一大産業となって良くも悪くも賑わっている
選手のサインや着古したシャツや道具が高額で取引される
人々は競って選手のサインを欲しがる、全く価値もないのに
次々に虚業のネタを作り上げて価格をつけ、価格をつり上げていく、愚かしい

スポーツ競技でやれ成果だとか高い評価だなどと軽々しく言うべきではない
スポーツ競技は、あくまで遊びである、行き過ぎた賛辞はどうかと思う
国民は自国の選手が金メダルを採ると狂喜するが、私は全く冷静だ
テレビ局や新聞が歓喜を先導するなど著しく気違いじみて疎ましい
戦時中の軍部放送や新聞みたいで、危険な雰囲気さえ感じる
自国の選手が一位になることだけのために観戦することは弊害が大きい
熱狂的阪神ファン(気違い)などという人達がいるが実に愚かしい
ファンというと聞こえは良いが、異常偏愛者、危険分子、暴徒になりかねない


多くの国民が汗水たらし、安い給料で真面目に仕事し税金まで払っているのに
税金を無駄使いして、スポーツ競技という遊びに耽る沢山の若者
もっときちんとした社会の役に立つ仕事をして欲しい
しかも異常に頑張る、およそ普通の人間の出来る限界を遥かに超えている
3歳くらいから卓球選手の親が子供を鍛え、無責任に競技・争いに染まらせる
「人生の目標はオリンピックで金メダル」なんてつまらんことを堂々と言う
オリンピックとか金メダルということが人間を功利主義に走らすのだ
  原点に戻り、オリンピックはメダル廃止が必要ではないだろうか?

自分のお金でやるならともかく、怪しげに多額な税金が使われる
まるで北朝鮮のようなピラミッドな利益収奪組織が肥大化する
元メダル獲得者が理事長など上層部を独占し、北朝鮮さながらに強面だ

弱い選手でも、多くの選手団を税金で海外に派遣する
本当に喜ぶのはスポーツ選手と家族と関係者だけだ

経済や生産技術は中国や欧米にどんどん追い越され、じり貧になっているのに
スポーツに浮かれるようでは、国家自体を滅ぼしかねない
スポーツ省なんかが肥大化し虚業を促進するのは危険極まりない

・ロシアは国家あげてドーピング
・八百長相撲(儲けるためには分からないように何でもやっている)
・日本のボクシング会長がパワハラインチキ判定
・国家あげて選手に多額な支援、コーチ監督が特定選手にパワハラ虐め、
・体操のコーチについて、むしろ体操協会のパワハラ関与疑惑
 ここも例外なく元選手の塚原夫婦が協会を牛耳って、やり放題だ
・特定国に不利なルールの改正など・・・インチキな国家や監督や選手が横行する
まあ出るは出るは、多分大半の協会が怪しげな利権団体化している
まだテレビや新聞沙汰にはなっていないが、パワハラ協会は沢山あるはずだ

かつて一流企業でパワハラを受けた私の経験では、多くの企業でもほとんどが
パワハラしているのだから、スポーツ界は、更にもっとひどいと推察できる
スポーツなんて汚い世界なのだ、協会理事長は自分の利権を守る汚い人間が多い
多額の税金や興行収入が動いているから、あまりに美味しい話に蛆虫が群がる
選手は子供や若年で、それを食い物にして自分達は甘い汁を吸う吸血鬼なのだ
羊の皮を被った狼どもが協会のトップ人の姿なのだ


スポーツ競技重視主義を根本から打破すべきで、税金投入も大幅削減すべきだ
政界や役所や協会みたいなものは腐敗しやすい悪質な組織なのだ
意外にも宗教界や警察関係や学校の先生関係も安易に信じてはならない
案外汚い組織を内在しており、とんでもなく腐敗した組織であることも多い
金・利権・権力・うまい話のあるところは、いかにも綺麗そうだが、汚れた人が必ずいる
政治や企業や宗教団体などは上辺綺麗・中身汚染の典型なのだ
私の嘗ての東証一部上場会社で受けたパワハラも悪質で信じ難いものだった
同様なことが多くの東証一部上場会社でもやられていると知り、驚愕した
企業も、権力と金の典型的な組織であれば、当然パワハラのメッカだ

スポーツもロボット化したらどうだろうか?
不正も出来ない、病気も怪我もしないロボット選手の
プロリーグのほうが不正な金は動かず、ずーっと良いかもしれない?
競技のロボット化。もうすでに人でやる限界を超えている100m8秒台も可能だ

ボクシングやレスリングなど犯罪すれすれの暴力スポーツが平然と実施されている
あらゆるスポーツが高度化・激化しており、大怪我する人が多く出ている
スポーツとは元々、健康増進や融和や楽しむものであったはず、
少なくともスポーツと国威発揚を結び付けてはならない。
また、何でもかんでもお金に結び付けるのも望ましいことではない。
そこには必ず利権が生じて影で悪いことをする組織がのさばることになる

 一位・金メダルとは
 言ってみれば「俺が世界一・お山の大将我一人」みたいなことだけ
 一選手だけの満足で、国民として何も得ることはない、むしろ失うばかり
 私の人生論ではスポーツなどの虚業やメダルや一位なんかは求めない
 ある立派な人が「競争がないと強くならない」と言ったが
 強い・弱いという観念こそが怪しいのだ、そんなもの何の意義もない
 そんなことはない
 「争いが自分を強くする」なんてことは、嘘誤魔化しにすぎない
  争いは紛争を引き起こし、憎み合い、殺し合い、際限がない 


一位になったとして一位を維持するのは非常に困難で、ほんの一時だ
二位でも三位でもいい、二位や三位も十分立派に好成績なのだ
「金銀銅はいいが四位以下は駄目」だなんてことも全くない
自然界には一位も二位もない、食える・寒さ暑さをしのぐ・寝れれば良いのだ
何億の中の一位だなんて何の価値もない、一位でも食べられてしまうかもしれない

金メダルとった人間が社会で優れている保証はない、むしろお粗末な人も多い
麻生大臣・鳩山元首相や福田元首相なんてお粗末リーダーがその例だ
国家を最悪な方向に導き退職後もいろいろ迷惑なことをしでかしている
ちなみに政治は昔から四流以下のままだし、かつて一位の経済も低下している
企業活動ならいざ知らず、たかがスポーツや芸術という遊びには本質的な価値はない
争う相手を打ち負かして自分がのさばる、そんなことを続けて何の意味があるのか

オリンピックや大競技会で金メダルをとり合う:もうやめませんか?
結果的にとれてしまうのは良いが、身体を極限まで擦り減らしてやることではない
競争に参加した多くの選手達は、心も身体もボロボロだ
相手を負かせて得意満面になるようなことが、そんなに良いことなのか?

パラリンピックに至っては、私の理解の限界を超える
「身体障害者に争わせメダル競争」なんて更にやってはならない
高齢者の老人競技会も同様だ、高齢者も障害者も無理して競うべきではない
何故競う・争うという発想になるのだろう?

音楽競技会、絵画競技会、料理競技会・・・やれ大臣賞だのと採点する
一秒百分の一秒を競ってどんな意味があるのだろうか?むしろ弊害ばかりだ
「日本選手も9秒台で世界のレベルに到達」一体それが何だと言いたい
100mを9秒台で走ると、どうなると言うのでしょうか?

そんなことに多額な税金を使って何の利益があるのだ
スポーツや芸術などで例え一位になっても本質的な価値はない
何しろ税金の無駄使いだけは止めて欲しい
天皇陛下などが被災地見舞いなど地方旅行などすれば数千万~億単位の金がかかる
国民は喜んでいるが、多額な税金の無駄使いで実質大迷惑なのだ
世界的な会議を日本に招聘すると百億単位の金がかかる。
一体何の意味があるのか?もっと警備しやすい専用の島などでやればよいのだ
指導者の金の意識は我々とは桁が違い、億単位の金使いでも完全に麻痺している
税金だから「使い放題」なのだ、指導者とは無責任で、そんなものだ

芸術や料理も争うものではない。そんなものの優劣はつけられない
私など絵は絵そのもの、音楽も音楽そのものを淡々と味わうだけだ
これはあれより上だの下だの、高い絵だなどと考えたこともない
一般人が見分け・聞き分けできないレベルを高いお金を出して求めることもない
芸術も料理も、時により、状況により良しあしは変化する

私は有名欧米画家の絵が好きではない、下手でも自分が描いた絵のほうが好きだ
音楽会に行ってもどちらがどれだけ良い演奏だなんて聞き分けが出来ない
料理も酒もよほど不味いもの以外は、優劣はつけ難いものだ
野球なんかも10億円の年俸の選手の試合が格別素晴らしいとは思えない
年俸3~400万円の並みの選手の試合や高校や大学野球の試合で十分、
異常に高いコストの試合なんか何故観たいのか?

スポーツで他人の金メダルのことより、もっと自分自身のことを磨け
スポーツ競技をみて「日本勝て」だけで観戦する人の卑しさ・情けなさ
勝ったと満面の笑み、負けたといって泣く、なんとつまらんことか
私は全ての競技や他の何事においても心を白紙にして観戦する
「日本勝て」「こうなれ」「あーなれ」と思ってはいない
日本頑張れだけでなく相手国にも「頑張れ」と言うのが本来の人間なのだ

かつて、日本の武士道精神は、相手にも尊敬とエールを送ったものだ
競技の内容自体や例えばドラマの筋や内容自体、芸術も淡々と観る
最近の日本を観ていると、毎日謝るトップの映像がなんとも嘆かわしい
こんな時代にはスポーツや芸術やあらゆるものが信用できないし
私は全て信用していない。スポーツも芸術も頭ごなしに賞賛しない

・スポーツ競技を観て自分のヒイキが負けているとイライラするなんて馬鹿げている
・テレビドラマで主人公と同じように自分も一緒に心配し悩むのも馬鹿げている
 ドラマの主人公が虐められたり、不幸な場面にヒヤヒヤ・ドキドキ
 深刻に心配したり、悩みながらドラマを観ている人は多い、愚かしい
・多くの虚業(嘘誤魔化し業)が盛んだが、のめり込まず一線を画すべきだ



スポーツ競技もドラマも淡々と静かに、冷静に観ているのが望ましい
スポーツもドラマも作られたもの、架空・虚偽なものということを忘れてはならない
架空のものをやたらに信奉するのは絶対によくない、私は絶対にしない
戦時中に天皇陛下を信奉した結果どうなったか、ご存じですよね
戦争とは、国家を愛する、怪しげな指導者を信じることで悲惨な運命をたどる
私は、スポーツ選手、俳優、歌手、小説家などを軽々しく信じ好きになることはない

人は何事においても嘘誤魔化しや架空を必死に信じて自分に悪影響を与えようとする
人々には、なぜか、何かを盲目的に愛し・尊敬し・ヒイキする癖があるのだ
「止めろ」と言ってもなかなか止めようとしない
日常的なことでも、安易に間違ったことを信じ切っている場合が多い
嘘誤魔化しをあたかも素晴らしいことのように信じるのは是非卒業して欲しい
例をあげろと言われても、例なんか挙げる必要がないほど
嘘誤魔化しは、身の回りに沢山ある。在家と出家の違いがそこにある。
つまらんことを、安易に尊敬したり、信じたりするのが在家の人の特徴だ

それは、日常生活で他人と付き合う場合も全く変わらない
ヒイキもしない、嫌いもしない、批判もしない、心配や悩みもしない
相手に勝った負けたも全くない(でも案外人は勝ち負けを意識する)
第二次大戦のように「天皇陛下様万歳」みたいなことに結び付いていく
何かを無意味にやたらに好きになるな、熱狂的阪神ファン現象は危険だ

ヒイキ・差別をせず、誰とも話・誰とも楽しむ・誰とも一緒に頑張る
勝ち負け。相手を負かす・俺様が勝ちなどと思うことは微塵もない
勝つ・負けるを意識して人と付き合うのは何とあさましい・愚かしいことか

スポーツ競技を勝ち負けばかり意識して観ている人の心は穏やかでない

多くの人が人との付き合いにおいても勝ち負けを意識する
もっと自分の弱さ・愚かさも含めて全てをさらけ出せば会話も弾む
「相手がこう言った」だから「私はこう言ってやった」
こんな争い事みたいな会話や付き合いは全く楽しくもない

私は、アジア大会も夏の高校野球大会もオリンピックもあまり好きではない
オリンピックも当初の清廉な目標を忘れ争い事や金儲けに堕落している
高校生や若者を食い物にして多額な金が協会や組織に落ちるのだが、
その巨額な金が誰の懐に入るのやら、怪しいものである


地方の小競技場や学校の体育館で争いや勝負は二の次の身近な催しを歓迎する
・100mを9秒台で走るとか、0.01病短縮なんてどうでもよい
・すばらしい交響楽団なんてどうでもいい
・有名画家の高い絵画なんかもどうでもいい
あたかも「最高のものが素晴らしい」なんて言う人がいるが

私はそんなのは、疲れるだけ、つらいだけ、難しすぎる
一流は私の肌に合わない、一流は企業活動だけでよい
一流の、例えばイチロー選手や金メダル獲得選手なんか友達にしたくない
ほんの一握りの彼らは、億万長者だ、あんな棒振り・玉とり・駆け足ふぜいが
私は、一流の人は苦手であり、多分多くは嫌いである

人間自身・自分自身だけでよい
あくまで一流・一位なんてのは遠い目的・目標であって、とりあえずは
自身の小さな目標達成に地道に取り組んでいけばよいのではないだろうか?
一流・一位・金メダル主義反対・・・

私のスポーツや芸術やドラマを観る場合の心構え
 ・スポーツ競技で一方の選手を応援しない
 ・勝ち負けを一切気にしない
 ・ヒイキ選手やチームを造らない
 ・選手のサインなんかを求めない
 ・選手関連グッズなどに価格をつけない
 ・有名芸術作品よりも下手でも自分の作った作品を愛する
 ・スポーツ選手や芸能人や芸術家や小説家を必しも尊敬しない


スポーツ・ドラマ・音楽・芸術・勝負ごと・小説・・・美名の元に
こういった虚業が隆盛し人々を嘘誤魔化しに導くリスクを避けるようにすべきだ
麻薬みたいなもので案外難しいが、日本がんばれでなく、あまり熱くならずに
私のように過剰な熱狂はせずに冷静に内容そのものを楽しむことだ

最近あまり好きではないが釣りをやった、場所は琵琶湖のマキノの小さな川
素人でも、小鮎がただで大量に取れる、それを唐揚げで食べる、美味しい
自然の恵み、春は山菜、秋は果物、夏はアユ、滋賀・安曇川万歳だ
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