指導や講演を依頼出来ます 村上原基
講演例
・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達 ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
出来た・出来ます
物事には元々原点や基本があるのだが、そんなことは全く忘れている
世の中が成長・発展するにつれ原点・基本から遠く離れて行く
微塵も嘘誤魔化しがなく生まれても、間もなく嘘誤魔化しだらけになってしまう
嘘誤魔化しだらけの社会では、嘘誤魔化しと正しいことが混在し
白と黒とが元々別々だったものが灰色になり、元に戻らなくなる
やがて黒の量が増えて、どす黒い灰色に変わって行くことになる
どぶ川・灰色高官・ダメ親・ブラック企業・ゴミ屋敷・・・
元々の人間としての真っ白だった自分を忘れ、再現さえ出来ない
おギャーと生まれた時の自分を思い出すことなんか不可能だ
生まれた途端から灰色に染まって行く、そして加速度的に灰色度は増す
灰色がノーマルという認識になって行く
黒は駄目は当然のこととして、「白はダサい・つまらん」ということになる
清い川なんてありえない、灰色に濁った川が当たり前になってしまう
そこに更に汚水を平気でじゃんじゃん流し込む
灰色が文化になっている、俺の灰色より他の人の灰色はもっとひどい
白と黒、清と濁の争いではなく灰色同士の争いになって行く
灰色文化社会なのだ、更にどんどん灰色度は増し、どす黒くなっている
水素爆弾のように嘘誤魔化しは核分裂し拡散しかねない
水質汚濁と違うのは浄化作用が働かないことだ灰色が白くなることはない
最近少子高齢化・経済の停滞するにしたがって社会にも思いもよらぬ
人の生き方・暮らし方の問題が噴出している
同じ所に長年暮らすと地域の考え方が染み込み、正しいと思い込んで行く
人は身近なものに染まる、それこそが固定的な嘘誤魔化しになって行く
物事は深く理解していないで表面的に知ったかぶりをしていると
それも嘘誤魔化しになってしまう。しかも質が悪い嘘誤魔化しになる
人は経験できる可能性あることの万分の一くらいしか体験しない
だから知ったかぶりしている人でも何も分かっていない、そんな奴と
付き合い、言うことを信じたら大変だが、それも嘘誤魔化しだ
嘘誤魔化しとは「自分で嘘誤魔化しした」という自覚のあるものより
自覚がないが嘘誤魔化しをしている”隠れ嘘誤魔化し”が実に多い
そこらへんまで自覚しないと、嘘誤魔化しのない本物の自分の実現は、
かなり難しいことであると認識すべきである
世の中には手変え品変え嘘誤魔化しがカビやダニのように蔓延っている
すなわち自分は人間というより嘘誤魔化しの固形物に過ぎないくらいに
思っていた方がよい
私のように東京浅草から大阪そして京都伏見更に安曇川の山中
や安曇川の田舎町に住まいを変えてきた人間は、土地土地や会社により
その都度文化や暮らし方や生き方まで修正を余儀なくされてきた
また大企業・零細企業・ベンチャー企業・自営と変えてくると、
企業で何が正しいか何が間違っているかもそれぞれ見えてくる
すなわち、自分がそれ迄正しいと思っていることは場所や会社や時により
必しも正しくはないことが理解できてくる
大都会と田舎は違う、山と田舎でも大きく違う
大企業と零細企業も全く違う、これは体験した者でないうと分からない
大国は言いなりになると小国はたまったもんではない
・・・・
大企業の人は正しいと思っていることが中小企業では嘘誤魔化しになる
嘘誤魔化(ヘドロ)社会の底流に堆積していく
嘘誤魔化しは根深い
それでは、一体何が正しいのか?
私は、それが原点や基本だ、原点や基本に戻れと考え方を修整して来た
そこで人生論を語る時の名前も、村上和隆を村上原基としたのだった
迷ったらいつも原点・基本に戻れ
でも現実は原点や基本に戻ることは凄まじく難しいのだが
ところで世界は、さほど望みもしない技術開発が勝手に進展し続ける
もっと人間として原点や基本を学ぶべきじゃないですか?と言いたい
人々はすでにもうこれ以上要らないものが闇雲に開発されつつある
そしてグローバルという名のもとに資源獲得や経済争いが勃発する
よくあることだが、グローバルということを悪く履き違えている
例えば
宇宙開発・空飛ぶ車・超高速列車・・・・
そんなものが無用又は適度なレベルの世界を目指すべきだと私は思う
大国の主導権争いのために多額の税金をかけて開発にしのぎを削る
科学技術進歩=豊な人生 だとは思はない
ゴミが出ない・遠くに移動しなくてもよい・自給自足に近い暮らし
仁の基本でもある質素倹約・礼儀正しさ・謙虚さなどは薄れていく
仁という言葉が死語になっているのは悲しい
指導者をはじめ誰の辞書にも仁という字はない時代なのだ
私は、残念ながら、一人として仁のある人には出会ったことはない
”おもてなし日本”などと威張っているのは悲しい現実である
膨らみ切ったバブルがいつか、はじけるように
世の中は永遠に豊で便利で平和であり続けることはないのだが
人間は愚かなので、物や快適さのあくなき成長や発展を追求してしまう
程よい、足るを知る、中庸などが望ましい姿なのだが
そういう姿は人が目指す理想だが、実はそれほど簡単ではない
世の中には仁者は少ない、偉そうなことを言う人は多いが、行いが伴わない
政治家、経営者・先生・有識者・役人はむしろ嘘誤魔化しの達人ばかり
本人達は嘘誤魔化しの意識はなくても、大きな嘘誤魔化しを生じてしまう
「大器晩成」と言うが、大器とは嘘誤魔化しのない仁者になることだ
金持ちや地位や権力者や金メダル者や知識人や有名人になることではない
世の中は嘘誤魔化しの人で埋め尽くされ
”嘘誤魔化しには嘘誤魔化し”
世の中は平和で民主的で公明正大なようで実は、嘘誤魔化しで満ちている
正直で誠実なはずの政治家・警察官・先生が法律を犯し、嘘誤魔化しをする
今や世界中の政治指導者は堂々と恥じることなく嘘誤魔化しをつき合う
明かにやったはずのことでも「知らない・やってない」と断定するのだ
韓国や北朝鮮の政治指導者もその例だし、日本の低俗悪徳議員も同様である
どちらかと言うと政治指導者より国民のほうがむしろ正直で誠実である
先生や親や政治家や社長の模範的に正しい行いは、百の指摘より効果がある
「勝手な嘘誤魔化しの指摘やお小言は止めよ」と私は思う
ところが実態は逆だ先生や親や政治家や社長も嘘誤魔化しやっているから
私も少々の法を犯し嘘誤魔化しは構わない、当たり前と思っていた
「少しぐらい」の嘘誤魔化しも許すようでは、嘘つきと言われても仕方ない
山に20年暮らし、嘘誤魔化しと縁切りしたはずの私でも、町に住めば
対人については、社会や相手の嘘誤魔化しにある程度合わせざるをえない
世の中は嘘誤魔化しで充満しているから、簡単に抗うことは出来ない
「多勢に無勢」で”私は正しい道しか走れません”は通用しない
そこで、ついつい元の嘘誤魔化しをつく生き方に戻りかねない
自分だけなら何とか嘘誤魔化しを捨てられるが、人に交わると難しくなって来る
糖尿病とか血圧高とか虫歯とか喫煙癖などで悩みを持つ人が多い
正しい生活習慣をモットーにしている私ですので、
私なりに正しい方法を助言してあげるが、相手の人が完全に納得するか
というとそうはいかない。人を導くというのはかなり難しいことなのだ
本人は困って直したいのだが、教てもらってもきちんとやる人は少ない
人の導き方として
1)良いやり方を助言する
・やれば その後の効果を確認する
・やらなければ 様子を見て
再度の助言をするが 大抵の場合それでもやろうとしない
そういうことを数回やるが いよいよとなると
ついにきっぱりと断定的な言葉を投げかけるしかない
・貴方は、糠に釘で効き目がない
・絶対に直そうとしないので、トコトン困るまで待つ
すなわち一度地獄に落ちさせて、地獄を味わせる
・地獄に落ちるのがもっとも近道だというのは真実である
・地獄に落ちなさい、本当の苦しみを味わうまでは貴方は絶対懲りない
それでもそこで「ハッと」気づく人は僅か、助言する人が仁者であれば、
効果は覿面だろうが、私ごときが言っても効き目は少ないのだろう
嘘誤魔化しから抜け出るのは簡単そうで、そんなに簡単なことではない
しかし、せめて意識だけでもある人は、まだまだ、ましだと私は思う
ことほど左様に嘘誤魔化しからは簡単に抜け出せない
・何だかんだと理屈をつけて嘘をつき続ける
・正しいことは面倒で、ひどく苦痛に感じる
・面倒を喜んで受け入れる人でなければならないがそうはならない
正しいこと正しいこと・・・ひたすら正しいことを追求し面倒を厭わない
華々しいことはしてないが、地道にひたすら正しいことを求めている人
そういう人に出会うことが少なくなったというか、もはや無くなった
成せばなる、成さねばならぬ何事も、成さぬは人の成さぬなりけり
例えば歯磨きだがいろいろ教育などが行われているのに虫歯や歯周病の人は多い
原因は、当たり前のこと基本的なことが出来ていない
・歯を磨いたら食べない、食べたら歯を磨く
・食後に歯を丁寧に磨いた人が間食をすれば、ばい菌が繁殖する
・フッ素の入った歯磨きは洗い流しては効き目がない
・食物かす・歯垢・歯間へのつまり・虫歯菌皆取り除く
歯磨きの講習会に参加して感じることは、教えていることが正しいやり方と
違うことだ、歯磨きすらそんな状態なのだ、そして歯磨きに限らず多くの
ことが間違った:嘘誤魔化しの方法で平然と教えられ、やられている
昔正しいと教わったことが最近全くの嘘だと分かったことも多い
教える講師は、正しい方法を完璧に理解した上で講義に臨んでいない
その理由は、正しいやり方というものは一般的にかなり面倒でもあるのだ
例えば次にような例がある
なかなか家の片づけが出来ない
会話が下手・付き合いが下手
近所とのトラブル
腰痛・歩行困難がなかなか治らない
お金がぎりぎりで、いつもピーピーしている
退職後暇を持て余す
家族の中で阻害され孤立している・・・・
そういう問題に対して、正しい方法を真剣に考えて努力・実践しようとはせず
逃げ込む、国の超膨大な借金でも減らそうとはしない、
こういう先延ばしで誤魔化すのは、国だけのことでない
例えば卑近な例で、私は、貧乏と言いながら無駄使いしている人は多い
お金のことだが私の節約の例をあげるが、節約方法はこれ以外にも沢山ある
田舎で都会より破格に安い家に住む・新聞とらない・固定電話廃止・
散髪は自分で・自動車はバイクか自転車に・旅行はしない・本は借りる
携帯はガラ軽・インターネットは格安のwifi・大工は自分でやる
生活用品や食物以外はほぼ買わない・草花は挿し木や人からもらう
衣服などは基本1~3着まで、買うのは捨てる時・水道光熱も最低限
流行に振り回されない・人目を気にしない・捨てずに何度も使う
嘘誤魔化しのひどさを認識した私は、あれこれ180度変えてきた
過去の村上は、はるか彼方に捨てられようとしている嘘誤魔化しを捨てる
それ迄嘘誤魔化しを盛んにしていた私が、嘘誤魔化しに興味がなくなった
その結果そして、他人の嘘誤魔化しがはっきり見えるようになってきた
自分と他人のギャップに当初は戸惑ったが、今は完全に落ち着いてきた
そして一切の嘘誤魔化しを自分自身に近づけることも許してはならない
”女人禁制””葷酒山門に入るを許さじ”のごとく”嘘誤魔化し禁制”である
小ぽけなことでも嘘誤魔化しは自分の行動に、やたらとまとわりついている
その結果いろいろな事件・事故・災難や嫌な思いをすることになる
嘘誤魔化しをなくすことは
・格別なことではない、ごく日常的な行いだ
・面倒だが、守り続ける決意が固ければ、さほどのことはない
・平凡なことのようで非凡でもある
・簡単なようですごく難しい
・だが「他人に嘘誤魔化しをするな」とは到底言えるほどの自分ではない
自動車がないと駅近くのスーパーに買い物をするのに不便ですが
高齢者の自動車事故増加もあり、軽自動車を売却しました:0円
駅までは友人の車に便乗・バイク・自転車に変えました
節約は年額▲15~30万円駐車スペースは外の居間に活用してエンジョイ
講演例
・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達 ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
出来た・出来ます
物事には元々原点や基本があるのだが、そんなことは全く忘れている
世の中が成長・発展するにつれ原点・基本から遠く離れて行く
微塵も嘘誤魔化しがなく生まれても、間もなく嘘誤魔化しだらけになってしまう
嘘誤魔化しだらけの社会では、嘘誤魔化しと正しいことが混在し
白と黒とが元々別々だったものが灰色になり、元に戻らなくなる
やがて黒の量が増えて、どす黒い灰色に変わって行くことになる
どぶ川・灰色高官・ダメ親・ブラック企業・ゴミ屋敷・・・
元々の人間としての真っ白だった自分を忘れ、再現さえ出来ない
おギャーと生まれた時の自分を思い出すことなんか不可能だ
生まれた途端から灰色に染まって行く、そして加速度的に灰色度は増す
灰色がノーマルという認識になって行く
黒は駄目は当然のこととして、「白はダサい・つまらん」ということになる
清い川なんてありえない、灰色に濁った川が当たり前になってしまう
そこに更に汚水を平気でじゃんじゃん流し込む
灰色が文化になっている、俺の灰色より他の人の灰色はもっとひどい
白と黒、清と濁の争いではなく灰色同士の争いになって行く
灰色文化社会なのだ、更にどんどん灰色度は増し、どす黒くなっている
水素爆弾のように嘘誤魔化しは核分裂し拡散しかねない
水質汚濁と違うのは浄化作用が働かないことだ灰色が白くなることはない
最近少子高齢化・経済の停滞するにしたがって社会にも思いもよらぬ
人の生き方・暮らし方の問題が噴出している
同じ所に長年暮らすと地域の考え方が染み込み、正しいと思い込んで行く
人は身近なものに染まる、それこそが固定的な嘘誤魔化しになって行く
物事は深く理解していないで表面的に知ったかぶりをしていると
それも嘘誤魔化しになってしまう。しかも質が悪い嘘誤魔化しになる
人は経験できる可能性あることの万分の一くらいしか体験しない
だから知ったかぶりしている人でも何も分かっていない、そんな奴と
付き合い、言うことを信じたら大変だが、それも嘘誤魔化しだ
嘘誤魔化しとは「自分で嘘誤魔化しした」という自覚のあるものより
自覚がないが嘘誤魔化しをしている”隠れ嘘誤魔化し”が実に多い
そこらへんまで自覚しないと、嘘誤魔化しのない本物の自分の実現は、
かなり難しいことであると認識すべきである
世の中には手変え品変え嘘誤魔化しがカビやダニのように蔓延っている
すなわち自分は人間というより嘘誤魔化しの固形物に過ぎないくらいに
思っていた方がよい
私のように東京浅草から大阪そして京都伏見更に安曇川の山中
や安曇川の田舎町に住まいを変えてきた人間は、土地土地や会社により
その都度文化や暮らし方や生き方まで修正を余儀なくされてきた
また大企業・零細企業・ベンチャー企業・自営と変えてくると、
企業で何が正しいか何が間違っているかもそれぞれ見えてくる
すなわち、自分がそれ迄正しいと思っていることは場所や会社や時により
必しも正しくはないことが理解できてくる
大都会と田舎は違う、山と田舎でも大きく違う
大企業と零細企業も全く違う、これは体験した者でないうと分からない
大国は言いなりになると小国はたまったもんではない
・・・・
大企業の人は正しいと思っていることが中小企業では嘘誤魔化しになる
嘘誤魔化(ヘドロ)社会の底流に堆積していく
嘘誤魔化しは根深い
それでは、一体何が正しいのか?
私は、それが原点や基本だ、原点や基本に戻れと考え方を修整して来た
そこで人生論を語る時の名前も、村上和隆を村上原基としたのだった
迷ったらいつも原点・基本に戻れ
でも現実は原点や基本に戻ることは凄まじく難しいのだが
ところで世界は、さほど望みもしない技術開発が勝手に進展し続ける
もっと人間として原点や基本を学ぶべきじゃないですか?と言いたい
人々はすでにもうこれ以上要らないものが闇雲に開発されつつある
そしてグローバルという名のもとに資源獲得や経済争いが勃発する
よくあることだが、グローバルということを悪く履き違えている
例えば
宇宙開発・空飛ぶ車・超高速列車・・・・
そんなものが無用又は適度なレベルの世界を目指すべきだと私は思う
大国の主導権争いのために多額の税金をかけて開発にしのぎを削る
科学技術進歩=豊な人生 だとは思はない
ゴミが出ない・遠くに移動しなくてもよい・自給自足に近い暮らし
仁の基本でもある質素倹約・礼儀正しさ・謙虚さなどは薄れていく
仁という言葉が死語になっているのは悲しい
指導者をはじめ誰の辞書にも仁という字はない時代なのだ
私は、残念ながら、一人として仁のある人には出会ったことはない
”おもてなし日本”などと威張っているのは悲しい現実である
膨らみ切ったバブルがいつか、はじけるように
世の中は永遠に豊で便利で平和であり続けることはないのだが
人間は愚かなので、物や快適さのあくなき成長や発展を追求してしまう
程よい、足るを知る、中庸などが望ましい姿なのだが
そういう姿は人が目指す理想だが、実はそれほど簡単ではない
世の中には仁者は少ない、偉そうなことを言う人は多いが、行いが伴わない
政治家、経営者・先生・有識者・役人はむしろ嘘誤魔化しの達人ばかり
本人達は嘘誤魔化しの意識はなくても、大きな嘘誤魔化しを生じてしまう
「大器晩成」と言うが、大器とは嘘誤魔化しのない仁者になることだ
金持ちや地位や権力者や金メダル者や知識人や有名人になることではない
世の中は嘘誤魔化しの人で埋め尽くされ
”嘘誤魔化しには嘘誤魔化し”
世の中は平和で民主的で公明正大なようで実は、嘘誤魔化しで満ちている
正直で誠実なはずの政治家・警察官・先生が法律を犯し、嘘誤魔化しをする
今や世界中の政治指導者は堂々と恥じることなく嘘誤魔化しをつき合う
明かにやったはずのことでも「知らない・やってない」と断定するのだ
韓国や北朝鮮の政治指導者もその例だし、日本の低俗悪徳議員も同様である
どちらかと言うと政治指導者より国民のほうがむしろ正直で誠実である
先生や親や政治家や社長の模範的に正しい行いは、百の指摘より効果がある
「勝手な嘘誤魔化しの指摘やお小言は止めよ」と私は思う
ところが実態は逆だ先生や親や政治家や社長も嘘誤魔化しやっているから
私も少々の法を犯し嘘誤魔化しは構わない、当たり前と思っていた
「少しぐらい」の嘘誤魔化しも許すようでは、嘘つきと言われても仕方ない
山に20年暮らし、嘘誤魔化しと縁切りしたはずの私でも、町に住めば
対人については、社会や相手の嘘誤魔化しにある程度合わせざるをえない
世の中は嘘誤魔化しで充満しているから、簡単に抗うことは出来ない
「多勢に無勢」で”私は正しい道しか走れません”は通用しない
そこで、ついつい元の嘘誤魔化しをつく生き方に戻りかねない
自分だけなら何とか嘘誤魔化しを捨てられるが、人に交わると難しくなって来る
糖尿病とか血圧高とか虫歯とか喫煙癖などで悩みを持つ人が多い
正しい生活習慣をモットーにしている私ですので、
私なりに正しい方法を助言してあげるが、相手の人が完全に納得するか
というとそうはいかない。人を導くというのはかなり難しいことなのだ
本人は困って直したいのだが、教てもらってもきちんとやる人は少ない
人の導き方として
1)良いやり方を助言する
・やれば その後の効果を確認する
・やらなければ 様子を見て
再度の助言をするが 大抵の場合それでもやろうとしない
そういうことを数回やるが いよいよとなると
ついにきっぱりと断定的な言葉を投げかけるしかない
・貴方は、糠に釘で効き目がない
・絶対に直そうとしないので、トコトン困るまで待つ
すなわち一度地獄に落ちさせて、地獄を味わせる
・地獄に落ちるのがもっとも近道だというのは真実である
・地獄に落ちなさい、本当の苦しみを味わうまでは貴方は絶対懲りない
それでもそこで「ハッと」気づく人は僅か、助言する人が仁者であれば、
効果は覿面だろうが、私ごときが言っても効き目は少ないのだろう
嘘誤魔化しから抜け出るのは簡単そうで、そんなに簡単なことではない
しかし、せめて意識だけでもある人は、まだまだ、ましだと私は思う
ことほど左様に嘘誤魔化しからは簡単に抜け出せない
・何だかんだと理屈をつけて嘘をつき続ける
・正しいことは面倒で、ひどく苦痛に感じる
・面倒を喜んで受け入れる人でなければならないがそうはならない
正しいこと正しいこと・・・ひたすら正しいことを追求し面倒を厭わない
華々しいことはしてないが、地道にひたすら正しいことを求めている人
そういう人に出会うことが少なくなったというか、もはや無くなった
成せばなる、成さねばならぬ何事も、成さぬは人の成さぬなりけり
例えば歯磨きだがいろいろ教育などが行われているのに虫歯や歯周病の人は多い
原因は、当たり前のこと基本的なことが出来ていない
・歯を磨いたら食べない、食べたら歯を磨く
・食後に歯を丁寧に磨いた人が間食をすれば、ばい菌が繁殖する
・フッ素の入った歯磨きは洗い流しては効き目がない
・食物かす・歯垢・歯間へのつまり・虫歯菌皆取り除く
歯磨きの講習会に参加して感じることは、教えていることが正しいやり方と
違うことだ、歯磨きすらそんな状態なのだ、そして歯磨きに限らず多くの
ことが間違った:嘘誤魔化しの方法で平然と教えられ、やられている
昔正しいと教わったことが最近全くの嘘だと分かったことも多い
教える講師は、正しい方法を完璧に理解した上で講義に臨んでいない
その理由は、正しいやり方というものは一般的にかなり面倒でもあるのだ
例えば次にような例がある
なかなか家の片づけが出来ない
会話が下手・付き合いが下手
近所とのトラブル
腰痛・歩行困難がなかなか治らない
お金がぎりぎりで、いつもピーピーしている
退職後暇を持て余す
家族の中で阻害され孤立している・・・・
そういう問題に対して、正しい方法を真剣に考えて努力・実践しようとはせず
逃げ込む、国の超膨大な借金でも減らそうとはしない、
こういう先延ばしで誤魔化すのは、国だけのことでない
例えば卑近な例で、私は、貧乏と言いながら無駄使いしている人は多い
お金のことだが私の節約の例をあげるが、節約方法はこれ以外にも沢山ある
田舎で都会より破格に安い家に住む・新聞とらない・固定電話廃止・
散髪は自分で・自動車はバイクか自転車に・旅行はしない・本は借りる
携帯はガラ軽・インターネットは格安のwifi・大工は自分でやる
生活用品や食物以外はほぼ買わない・草花は挿し木や人からもらう
衣服などは基本1~3着まで、買うのは捨てる時・水道光熱も最低限
流行に振り回されない・人目を気にしない・捨てずに何度も使う
嘘誤魔化しのひどさを認識した私は、あれこれ180度変えてきた
過去の村上は、はるか彼方に捨てられようとしている嘘誤魔化しを捨てる
それ迄嘘誤魔化しを盛んにしていた私が、嘘誤魔化しに興味がなくなった
その結果そして、他人の嘘誤魔化しがはっきり見えるようになってきた
自分と他人のギャップに当初は戸惑ったが、今は完全に落ち着いてきた
そして一切の嘘誤魔化しを自分自身に近づけることも許してはならない
”女人禁制””葷酒山門に入るを許さじ”のごとく”嘘誤魔化し禁制”である
小ぽけなことでも嘘誤魔化しは自分の行動に、やたらとまとわりついている
その結果いろいろな事件・事故・災難や嫌な思いをすることになる
嘘誤魔化しをなくすことは
・格別なことではない、ごく日常的な行いだ
・面倒だが、守り続ける決意が固ければ、さほどのことはない
・平凡なことのようで非凡でもある
・簡単なようですごく難しい
・だが「他人に嘘誤魔化しをするな」とは到底言えるほどの自分ではない
自動車がないと駅近くのスーパーに買い物をするのに不便ですが
高齢者の自動車事故増加もあり、軽自動車を売却しました:0円
駅までは友人の車に便乗・バイク・自転車に変えました
節約は年額▲15~30万円駐車スペースは外の居間に活用してエンジョイ
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