村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

246.あまり真面目腐って、仏門に入って悟りを開くなんて、あまり無理はしたくはない

2012-06-02 09:57:50 | 人生
村上和隆 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
   滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10

村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設

お久しぶりです、目下人生勉強会立ち上げに取り組んでいます
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村上原基健康体操塾 

若いうちは、嫌なことを嫌というほど沢山経験する
ところが、そうこうするうちに、良いも悪いもやがて
歳をとる

自分自身がゴミ同様になって、だんだんあの世も近くなる
そうなると大して努力せずに、当たり前に、次々に煩悩やら何やらかんやら捨てていく
捨てた山のような煩悩などは、ゴミのように捨てられ埋められ・燃やされていく

いつしか気づくと、身体も細り、自分自身の心も、ふーっと軽くなっている
他人のやることに怒りを覚えるなんて事も、だんだん感じなくなる
人の煩悩や欲が減れば、いつしか資源の無駄使いや地球の汚染も減るというものだ

貴方はまだしっかりお若い(お若いと言ってもかなりだが)

仏門なんかに入るというような人は、死ぬまで捨てきれんほどの沢山の苦悩や煩悩をかかえて
あたかもゴミ屋敷の住人のような探究心の塊のような人がやるものだと思えばよい
そういう人は、えてして老いても仏門に入るだけの気力も体力も有り余っていると見える

私なんかは気力も体力もないから、せいぜい禅僧の暮らしを少しだけ真似るくらいのものしかできない
まあ凡人のまま健康に老いていけば、仏門なんかにわざわざ入る必要もない
清く・正しく・つつましく・健康であればと思う私でございます。

煩悩と言えば
質素な食事を三度三度食べられること、老いた身体を動かすこと、テレビやネットを見るくらいのもの
時々ごくごく小さな贅沢をすること(大福を一個喰う程度の)あれこれ人生について考えることぐらいかな
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