指導や講演を依頼出来ます 村上原基
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
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JR安曇川駅集合9時、村上同乗
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メイル
テーマ
ミニ悟り(一般人が自分なりに望ましい境地を開いた状態)の結果的・具体的な状況
概要
1.世間の状況 世の中は平和で、便利で豊になったが、人は堕落、油断大敵
坊さんというのはさすが、姿勢も真っすぐに威風堂々として落ち着いていていつも感心する
逆に一般人は姿勢は悪く、おどおど、自信もなく、言う事・やる事もお粗末、卑しい
自分はどうかと反省し、坊さん迄行かなくても、ミニ悟りでもいいから目指そうとする人は少ない
2.問題点 心のことを忘れている、放たらかし
便利で豊な時代で、都会に住む頭でっかちな人が増え、悟り自体がどんどん遠ざかっていく
温厚な人はいるが、中途半端では悟りからは、ほど遠く、むしろ我慢ばかりで本人はつらい
「悟ったからって、一体どうだって言うんだ」みたいに、悟ということの価値観が廃れている
ミニ悟りでもよいが、一般人を対象にした教育の機会や指導者が少ない
うつ病やアルツハイマーや苛めなど現実のマイナスの問題の解決がメインになっている
3.私はどうしたのか、何をしたのか あくまで偶然、先生は山の自然、自己流
私は全くの偶然で55歳で山に篭って暮らし続けたことで知らぬ間に心境の変化を来した
悟りや仏教やいろいろ座学の勉強も大切だが、それだけではミニ悟りですら難しい
座禅同様に、ひたすら座るような修養が必要であり、急がば廻れだと理解できた
「座禅とか山に篭るなんて事で悟れるわけがない、しんどい」と思う気持ちもあるだろう
4.私はどうなったのか 今は山を下り、貧乏だが田舎町で楽しく暮している
私のような人間が、山に篭る暮らしがよく続けられたと、今になって不思議だなーと振り返る
東京から大阪京都を経て、偶然に滋賀の安曇川の長尾山中に来たのは摩訶不思議な出会いだ
これまた不思議なことだが、今思うと、それ以前に諸準備を自分は長年やってきたように思う
かつて私が東京工業大学に合格したとき凄く喜んだが、入学後にすごく落ち込んだのを思い出す
人間の心というのはラッキーなこと幸せが幾ら続いても満足しないし、悟れない、むしろ逆だ
かく言う私も、さしたる目標も計画もなく、偶然なのだから偉そうなことは言えない
しかし、例え偶然でも、私の心に、長い事ずーと、求める意志があったのは確かだ
買わない宝くじは当たらない、宝くじを買い続けてきたから偶然でも当たったのだ
5.一体なにが原因で出来ないのか やろうとしない・きっかけをつけない・やる気がない
心に焦点を当てて自分を更に成長させようとすることを諦めている、断念している
悟りの本家である僧侶などが自分達のことで目一杯であり、一般人に向かっていない
政治も役所も財政難、山は限界集落化し、山の別荘地もどんどん荒廃が進んで消滅寸前だ
山の暮らしと都会の暮らしに大きなギャップがあるので、ますます山暮らしは敬遠されている
6.提言 やってみなはれ、いいもんでっせ、参考になるか知らんが・・・
別に悟らなければいけないということもないが、せっかく戴いた人生、是非目指して欲しい
目下73歳、山の麓の田中という田舎町の平屋に移り住み、平静な心で老後を暮らしている
今の状況や心境を整理してみたので、下に掲載する
但し、この表のように直接的になろうと努力したり、無理して頑張るのは悟りから遠ざかるだけ

私の体験では、悟りそのものを求めては達成できない、むしろ悟ることさえも忘れて修養
多分、理解し難いと思うが、こればかりは頭で考えても分かることではない
私も仏教や禅は初心者以下であり、私の今の状況をお伝えするのが下手なので申し訳ない
結果的には今の私の心境が下に示したとように明らかに変わったことをお伝えするしかない
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