村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

464.他人の意見に耳を傾けず、意見を受け入れない人々

2018-10-06 08:47:13 | 会話
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講演例
  ・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達  ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・

   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設

出来た・出来ます
テーマ:他人の意見に耳を傾けず、意見を受け入れない人々

こういうことありませんか?
自分がある人に「こういうことしたら、すごくいいと思う」と言うことがある
しかし、それを聴いた相手は全く意に介せず、関心もやる気も全く示さない
まあ、いつものことで、言った本人自身も特に驚かないし、意に介さない

そういうことの連続で、いつも自分の意見を聴かない相手に慣れっこになっている
私もその一人、私は元々経営コンサルタントだったのでアドバイスは得意だが
私のアドバイスを活かした人をあまり知らない
「もうそんな人と付き合ってもしかたない」「時間やお金の無駄」なのだ

それが反省になって、
私は他人の意見やアドバイスを何とか受け入れようとするようになった
そして受け入れてみると、良い結果を得られることが分かってきた
それからというもの、相手から何か得ようとする姿勢が強くなって行った
これは、すごい変化であり、私にとって大きなプラスとなっている
相手のアドバイスを受け入れようという提案も他人には受け入れられない

「他人のことを聴いていない」と私は言われるが、実は、私が一番聞いているのだ
   ”聴いている=相手の意見を受け入れる”ことだと私は思っている
もし相手の意見を何も役立てていないのなら本当に聴いていることにはならない
ゆったり聞いていることより、相手の言うことに絡むくらいがのぞましいのだが
そういう絡む態度を「村上さんは他人の言うことを聴いていない」と勘違いするのだ
無論、私はそういう見かけの聞いていない感じを反省して直しているのだが

私には出来たことが、その人には何らかの個人的な理由で出来ないのだ
またはやる気がないのだ
その原因を考えると、相手のアドバイスを受け入れない理由は
 ①関心がない
 ②興味がない
 ③やる気がない
 ④他人を受け入れない
 ⑤面倒くさがり
 ⑥分かる努力を惜しむ
 ⑦苦手意識
 ⑧続かない
 ⑨レベルが低い
 ⑩直ぐには出来ない
 ⑪元からそういう意識が欠如している
 ⑫受け入れるだけの素養がない


タバコの禁煙や甘い菓子を止めることを考えれば容易に理解できることでしょう
他人の意見やアドバイスくらい素晴らしいものはないのだが
あまりに核心をついているアドバイスなので、かえって出来ないのだろう

何度付き合っても、私の意見を一切聴かない、意見が役立ったという話もない
それでは、真の友人とは言えないし、付き合う意味もない
友人とは、互いに影響を与える関係でなくては価値がないことを認識すべきだ
私が参考になるのは、相手の欠陥ばかり、反面教師としてだけ役立っている
そんな友人関係は悲しいものだが、それでも、少しは役立っていると思うしかない

 1)あまりに親しい友人
 2)親子
 3)夫婦
 4)恋人同士
 5)上司部下
あまりに慣れてしまい、所謂”上の空という状態”になっている

意外なことは、それが、かなり親しい人同士の場合に多く起きていることである
マンネリとか慣れとか言う状態だ
人との付き合いとは、ある意味互いに緊張状態のほうが望ましいというものだ

親しくなるほど、例えば、家族、夫婦、親子などのほうが
相手を尊敬せず、相手の意見を受け入れない関係になりがちなのである

無関心は最も悪い関係なのだ、むしろ対立するほうがずーっとましなのだ
最も望ましい関係とは、愛し合う二人と思い込むと大間違い
愛し合う関係はそのうちマンネリになり無関心になり、最後は鬱陶しくなる
そういう意味では愛し合う瞬間から別れが始まるのだ

本当の愛人や友人とは、互いに影響を及ぼし続ける関係でなくてはならない
互いに影響を及ぼす関係が鬱陶しくなったら、
その愛や友人関係も終わりに近づいていると知るべきなのだ
友人とは慣れの典型で当初のドキドキ感やワクワク感が薄れていく

人は飽きるのだ、「逢うは、別れーのはじめ」なのである
はやく別れが来るか、ゆっくり来るかの違いくらいのものなので
友人とか恋人なんてのは意外に儚いもので、
無関心も別れも、意外にすぐにやって来るものである

友人のようで友人にならない、恋人のようで恋人にならない
そういう関係が一番深い良い関係長持ちするということなのだ

 ・友人とは互いに影響を及ぼす関係なのか
 ・友人とは互いに遠慮なく、大して影響を及ぼすこともなく、空気のような存在なのか
    どちらかに一方に偏り過ぎてはいけない

夫婦や家族がその点一番別れが早く、かつ絶望的だ
だから子供も早く親元から独立させるべきなのだろう
親から距離的に離すことは、精神的には離れない良い方法なのだ

「ご結婚おめでとう」ではない「ご結婚残念でした」なんです
本当は結婚なんかしない、同じ屋根の下に住まない、友人なんかにならない
友人になるのも良いがあまり親密にならないほうがよい
一体親密(慣れ)とはどういうことか考えたことがありますか?

 ・親密とは慣れと裏腹
 ・相手の意識が薄れる
 ・やがて確実に新鮮さが欠如する
 ・相手への尊敬の念も薄れていく
 ・相手を人と意識しなくなる同化してしまう、同化させてしまう
 ・親子や夫婦の場合が最も顕著だが、親子や夫婦の意識が全くなくなる


そういうことが親密の恐ろしさである、そんなのは親子関係でも夫婦関係でも
友人関係でもない

だから家族は離れて暮らせ夫婦も離れて暮らせなのである
私は、55歳から家族と離れ、一人山で暮してきた
それが良い結果を招いたような印象を持っている、慣れ合いはいかん
今思うのだが都会に暮らしていると、都会暮らしに慣れてしまうのだ
慣れてしまう=堕落、マンネリであり私の考える友人の資格を失うのだ
真の友人とは異質なものを持つ者同士でなくてはいけない
なぜかというと、真の友人ではなくなり、”同じ穴のムジナ”になってしまうからである

今の日本の世の中の構造は戦後や戦前の日本とは大きく変質している
あまりになんだかんだ便利さに親しむあまり、人間が人間でなくなっている
便利さに親しむことも親子や夫婦や友人と同様に、ある意味で人を蝕んでいるのだ
便利さ以外にも次のようなものがある、慣れが怖いものである
 贅沢
 安全
 平和
 快適
 健康
 長生き
 携帯・インターネット・テレビ
 カード

こういうことが進んでいる国は先進国のように思われているが
私は、そうではないと思う、そういうものに慣れっこになっていることは
やがて、無意志になり無批判になり無関心・無感動になっていく

 ・日本人になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない
 ・都会人になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない
 ・家族員になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない
 ・妻や夫になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない
 ・現代人になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない
 ・有名人になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない
 ・偉い人になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない
 ・幸福人になりきって、それに慣れ過ぎてはいけない


古い人間は、携帯やテレビやカードが昔は存在しなかったことを知っている
古い人間はテレビや自動車や洗濯機がない時代を知っている
しかし最近の人は、それらが当たり前にある、永遠にあると信じ切っている
好景気は良いことのように思っているが、実は好景気は永遠に続くわけではない
平和もそうだ、いつまでも続かない、最近の人は戦争体験が全くない
ある意味平和が続くと平和に慣れっこになって、争い事が起こって来るものだ
大災害の体験もない、大不況の経験もない、食料危機の経験もない

”あって当たり前”の人が多くなていることは大きなリスクなのだ
火山噴火や巨大地震のように確実にマグマや歪みは溜まっていく
水も電気もガスも出て当たり前ではない、もし、それらがでなくなったら
昔の人はともかく、最近の人はびっくりしてパニックになってしまう
慣れてはいけないのだ、当たり前ではいけないのだ
また、調子が良いから、更に”行け行けどんどん”もやってはならない
  控え目・節度・謙虚・間・冷静・沈着・原点基本が大事なのだ

ここ田中も空地が多い、そのことはむしろ暮らし易さでもあるが、土地価格が下がり
その空地が放置されている、草ぼうぼうは良くない、私は転入時から
前の空き地を綺麗に維持管理している。こんなことも真似る人は少ない
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