村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

398.子供にも部下にも生徒にも隣近所にもとにかく一声二声かける

2015-12-16 10:34:18 | 会話
村上和隆 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見
   (新)滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)     
村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や人生談義にお越し下さい滋賀人生勉強会
村上原基今日の一言    ⇒    村上爺さんのツイッター
いろいろな支援をやっているが、それらはそれぞれ別個のようで実は密接な関連がある
人生において必要な要素が全体的、平均的に良好であり関連づけられていることが大事です
身体の健康と同様内臓・足腰・脳・目耳など全てが満遍なく健康であることが大事なのと同じです
会話についてですが、最近改めて、他人に一声二声かける効用をつくづく実感しています
基本は、
①気軽に声かける
②声かけることは些細なことでよい
③知らない人だとか気難しい人だとか意識し過ぎず声かける
④相手は最初は戸惑うが声かけてもらうことが嬉しく感じる
⑤「最大の嫌がらせ・暴力は無関心である」を認識する

とは言うものの、私もそんなにしてまで、苦虫つぶした人や無口な人に声かけて何の得があるの
と思ってしまうのではあるが・・・

現代人は都会、田舎を問わず知らぬ人に挨拶や一声かけるということはほぼない
むしろ隣人でも拘わりたくない、話したくないというのが正直なところではないでしょうか
無理もないのだが、特に若い人は私の如き高齢者に自分で一声かけず、一声かけられても反応が乏しい

学校や企業において、真っ当な具体的な会話教育というのが全くなされていないのは困ったことである
「口は災いの元」で話すほどこじれ人間関係が悪くなるなら、やめておこうとなってしまいがちなのだ

昔の日本は戦後間もなくの頃までは親密な人間関係があった
それが高度経済発展が始まった頃から人々はむしろ隣近所と拘わらないことに急反転してしまった
それは、家族の間にも持ち込まれ、家族の会話どころか挨拶や一声かけるなんてこともなくなってしまった
家族断絶、家族崩壊、引き篭もり、・・・・

私が会話支援を始めた頃、指導する立場として、見知らぬ人にも一声二声かけることを率先して行った
その結果は素晴らしいものだった、会話下手の私がそれによって会話好きになるきっかけにもなったほどだ
そのきっかけから加速度的に多弁になって行ったし、会話を楽しむようになって行ったものである
非常に良いことだらけの行為ではあるのだが・・・・

ところで18年暮らした安曇川長尾ではどうであったかというと

付近に暮らす同僚とは兄弟同様に親密な付き合いしてきた
一声どころか何声もかける間柄なのだ、山だから大した話題もないが、会話も弾むのだ
会話の内容はつまらんことで良いのに、町中の人はついつい会話の質や内容に過剰に拘ってしまう
山では役所の手はなく、何でも自分でやらないといけない、また予期せぬ事態も頻繁に起きる
共同で作業や問題処理することも多くなる、そこで必然的に付き合いが深くなるというわけだ
飲み会をする関係になる、都会だけでなく田舎でも、町中でそんな親密さはあり得るだろうか?

山は基本、原点に帰ることになるのだ、反対に町中の人は基本、原点からどんどん遠ざかってしまう
子供にも部下にも生徒にも隣近所にもとにかく一声二声かける
子供も部下も生徒もその一声二声が、ずごい救い、幸いなのであることを強く理解すべきなのだ

おはよう、元気?、寒いね、昨日どこそこに行ってきた、こんなことした・・・・・
ちょっとしたことでいいのだ、むしろ、ちょっとしたことのほうが望ましいくらいなのだ
当然顔は笑顔で、元気で明るく、おだやかな声で、は基本中の基本ですよ

  声かけるのが怖い、声かけてかえって迷惑でないか、嫌がられないか
  女の人はいいが、男の人に無視されたら、変な人に思われやしないか、会話が続くか怖い

これらはもっともな心配ですが、私の体験からは、結果的に全く無用・無駄な心配です
もし、どうしても具体的なやり方がわからないという人は実地にお教えしますよ
確かに、慣れてない人にとっては案外難しい、ハードルの高いことなのかもしれません
相手の人を選別しこの人はやめておこうなどと考えるとだんだん三日坊主になってしまいますよ

一声かけて、返事がなくても、私の経験では、もう一声・二声続ければ必ず返事が返ってくるものです
会話を大層なこと、大変なこと、難しいこと、勇気がいること・・・・
これらは大きな誤解、誤った固定観念ですが

確かに、長年他人に声かける習慣がなく、他人に拘わらぬほうがよいという人にとっては、
案外勇気がいることなんでしょうね

まあ関心のある人は安曇川の村上までお越し下さい
安曇川の田舎町の雰囲気も味わいがてら気軽にお越し下さい
何事も気軽にやることです。気重はいかんです
気重、気鬱では物事がうまく進みません
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