村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

227.現代人は、”日々きちんとする”という人間本来なすべきことができなくなっている

2012-01-10 09:52:35 | 人生

村上和隆 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
   滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10

村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設

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村上原基健康体操塾

「近頃の若い者は・・・・」というのはいつ時代も大人の口から出る科白です。
世の中は見かけだけは進歩をしていますが、便利で豊で平和になるほど人は堕落しているのです。

現代人は、進歩するだけ又はそれ以上に堕落・崩壊して行くことを認識しておかないと落とし穴にズボッ。

進歩発展の副作用として「近頃の若い者は・・・・」というのは、いつの時代も正当性を持っているのです。
世の中は大津波のように古びた価値観をぶち壊してしまうのです、あたかもそれが良いことのように、
大人の古びた観念は新しい時代には無用なんだ、ばっさりと切り捨て御免なんです。
若者の「ナウい話」なんてのは、私にとってはうんざりもいいところ、「いい加減にせい!」なんです。

”何かを得る=大事なものを捨てる”ということを理解しないと、大事なものが根こそぎ欠落していく。
便利さを得れば当然人間は汗水たらして働くことは減りますから身体は確実に退化していくのです。
運動不足になれば体力は落ち、長い年月を経て手足足腰そして精神さえも退化していくのです。

昔私の勤めていた頃の会社の仕事と今の会社の仕事ぶりはあまりにも大きく変わりました。
一日中動き回り、多くの人と言い争い、電話は鳴り続け、出張も度々・・・でしたが、
今、多くの従業員は机に座り、パソコンと電話に向かう姿に大きく変身してしまったのです。
その結果、エアコンのきいた部屋で一日ほとんど動くことなく暮らす鶏のようになっているのです。
当然基礎代謝が減り、体力だけでなく気力も生きがいも人間関係も希薄になっていくばかりです。
家に帰ると、更に、エアコンつけて、家に引き篭もりインターネットやテレビやゲームに興じるのです。

足腰が退化した人間や直接的人間関係を持たない人間が家に引き篭もり、自動車や繁華街が減る
大災害が起きる時だけ「絆が大事よね」「助け合いしましょう」なんてインターネットで言って慰めあう
インターネットや高度技術によって人間は結局、パソコン操作者になり下がっていくのだろう・・・
エアコン・パソコン・テレビ・ゲーム機・机と椅子とベッド・電化製品・薬・・・個室に閉じ篭る人人人

昔の人は一日中立ち作業をしていました、ぎっしり詰まった身体を動かす日課があったのです。
昔の主婦はガスで炊事・手で洗濯・一日2回の掃除・遠くまで買い物・・・休む暇もなっかたのです。
そして、それぞれにルールや習慣が決まっていて、忠実にそれを毎日守っていたのです。
子供や生徒や部下がそれらのルールや習慣を守らないとすぐさま親や先生や上司にどなられたものです。

しかし現代は全くそういうことがなくなった。勝手気儘、ルールも習慣もあまりない、あっても守らない。
どちらかというとルールを嫌う・避ける・拒否するという飽きれぶり・放蕩ぶりなんです。
そういうルールや習慣に縛られない暮らしをしていると人間は、ルールを作る能力自身も失ってしまう。
掃除・洗濯・掃除・片付け・作業・運動・人間付き合い・・・というものが習慣化されなくなるのです。
習慣と言えば、パソコンを立ち上げ、テレビ、ゲーム、コンビニに買い物、レトルト食品を温めるくらい。
そんな事にさしたる厳格なルールなんか要らない、そうこうするうちに人間はどんどん退化し堕落していく。
きちんとしたルールなんて全く必要性を感じていない。日々堕落という川を流れにまかせて下っている。

私は毎朝7時から独自の健康体操をする。
自分自身でも「まあ何がよくてよくも続くもんだ」「いっそ止めようなかな?」とか思うこともあるのです
近所の人は「村上さんよく頑張りますね、毎日続きますね」と言われるが、
まあ禅の超厳しい修業に比べたら屁みたいな物だと言い聞かせている。厳しさのない人生や日々は空しい。
4時早朝ラジオを聴く6:50起床、食事の準備、そして外で30分のゴミ拾いと健康体操が早朝の日課、
自分のルールに基づいて毎日、時間どおりきちんとできている人は、人間として退化も堕落もしていない。

自分に厳しさを課さない、続けない現代人は、いざとなると弱くて脆い、そして鬱病になり、自殺する。
本当の意味で人間的に進歩・成長する人は次々に自分に新たなルールを作り実践するものなのだ。

私が毎朝体操をしながら見る光景は
忙しそうに肩を丸め、危なっかしい足つきでよたよた会社へ急ぐ、苦難を背負う亡霊のような現代人の姿だ
時間ぎりぎりに飛び起きて、余裕もなく、家を飛び出て、周囲の景色や私に目もくれずに、すごくあわて、
ゆとりもない、気力もない、明るさもない、なにか物憂げな元気ない姿の若者・老人・子供達が気にかかる

特に朝の体操なんかはやらない人がほとんどだNHKの朝のラジオ体操やっている人は、一部の高齢者。
運動しなかったり歩かない人は多い、起きる時間もまちまち、食事も食べたり食べなかったり。
朝から定期的に水を飲む・毎食後と就寝前に丁寧な歯みがき・ストレッチ等やっていない人も多い。
歯みがきだってひどい人は、朝起きて30秒くらい無意味に磨いてあとは一日磨かない。
布団なんか何年も干したことはない。一日1万歩歩くなんてのもルールを決め守っいる人は少ない。
ゴミの処理や片付けも毎日とか数日おきにきちんとやる人も少なくなった、ひどい人は1月1年もやらない。

   ・きちんとやる     ということができなくなった時代
   ・きちんとやるためにルールを       決めなくなった時代
   ・ルールを作るが     守らなくなった時代

まあ現代はゴミ屋敷の老人のような人ばかりになっているのだ、横着・怠惰・惰性・無気力・怠慢・・・
そういうだらけきった人は一部の若い人だけではない、大人も親も上司も先生も政治家までも蝕んでいる。
「きちんとルールを決めてきちんと守っていますか?」という質問をしてみると現代人は悲劇的な状況だ。
まあ昔は多くの人が「やっています」と答えたはずだ、今は「やっていません」という人が大半でしょう。
やっていてもほんの一部しかやっていなかったり、やり方が極めていい加減でしかないがそれも問題だ。

禅の修業僧を見習うべきです。彼らの修行や暮らしはきちんとした規則を守ることが基本です。
神仏や僧侶は拝むためにあるのではない、見習う又は近づくべき手本とすべきなんです。
ルールを守る、そんなことすらできない人が偉い僧侶になったり素晴らしい人生を送れるわけがないのです。
「神仏や高僧になりたくないからルール等作らないし守らない」というのは人間否定・自己否定でしかない。

どうですか一つでもいいですから、厳しいルールを課して毎日きちんと実践してみたら。
まあ三日坊主はまだ良いほうで、一日坊主ですかね。
それができない人は改めて”弱さ””自分の計り知れない堕落””人間失格”を認識すべきですね。
マネジメントの基本はルールを定め・守ること、そしてルールを見直し、不断に改善していくことなんです。
ルールを決めて守り続けるというのは人間が人間である証ですが、現代人はあっさり捨てようとしている。

それと大事なことを最後に一言
・自分の習慣やルールが本当に的確適正なものか一度総点検してみること
・自分の習慣を一度きちんと整理整頓し文書化してみること
・そして厳しいルールを自らに課すこと、それを守り続けること

そうすることで、自分がやっと、どうやら人間になれることを実感して欲しい
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