村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

111.なぜ、人間は「ゆっくり」を味わえないのか?楽しめないのか?

2007-10-03 10:30:02 | 人生
私は、幼い時からずーと「せっかち」が癖でした。良い面もありますが、悪い面も同じ位あるのです。
自分の特徴でもありますが、大いなる欠点・欠陥という意識をづーと持ち続けてきましたが、長いこと結論は出ませんでした。
「直さなくては」と思いながら、直るどころか、むしろどんどんエスカレートして行ったように思います。
”せっかち”というのは、良い結果になる時は「やったー」となるのですが、結果が大失敗になることも多くて、そういう場合は、つくづく落ち込み、反省したものです。
その都度「もう少し落ち着こう」「ゆくりしよう」と思うのですが、あくる日から、せっかちに行動している自分を発見するのです。二日酔いと似ています、もう酒は止めようと思うが止められません。
”せっかち”も絶対に止まることはありません。それどころか64歳になっても未だに元祖せっかちで「せっかち」の癖は抜けません。
どうも”せっかち”そのものを止めるのは不可能のようですし、結果も良くなさそうなんです。そこで無理やり”せっかちそのもの”を無くそうとせずに、とりあえず、そのままにしておいて”ゆっくり”する時を少しづつ増やそうと気づき始めました。
今思うと、親や先生や友人や上司から、過去「せっかちを直せ」と何度も言われたのですが、「せっかちは君の長所でもあり、そのままでいいから、ゆっくりする機会を持て」と言う人は皆無でしたね。
毒を取り去るのではなく、毒には別の毒をみたいなことでしょうか?
そうすると「この64年思い悩んできた”せっかちを直さなくては”という責め苦からひとまず開放されてきました。
そこで64歳の今、少しづつ始めたことが、ゆっくり=スローなことを幾つかやってみようということです。
そうすると、意外なことに、せっかちな自分にも”ゆっくりすることは”ある程度できましたし、案外楽しいこともわかってきたのです。まあ64歳ですから、慌てる必要がなくなったことも追い風なんですがね。若い頃には無理だったかもしれませんね。

「64歳急ぐことは全くないんだ」

例えば、「新幹線で京都から東京へ行く必要なんかない、バスでもJRの鈍行でもいいのだ」というような感じですね。
     「エスカレーターなんか乗る必要はない、ゆっくり歩いて上ればいいじゃないか」
     「マイカーなんかいらない、自転車や電車でいいじゃないか」
     「今日やらなくても、明日やればいいじゃないか」

重要なポイントは,”ゆっくり”を少しづつやりながら「今更、急ぐ必要は全くないじゃないの」ということをまず実感し、そういう意識を強く持てるようにしていくことなんです。昔私が禁煙した時、ジュギングやテニスをやることで、少しづつタバコの弊害を身をもって実感できていったことを思い出します。

”ゆっくり”を少しでもやっていくと「急ぐ必要がないのに急いでいる」ということが少しづつ実感できてきます。そういうことに気づくというか強く認識することからが出発点だということにも気づき出したのです。
私の場合、理由はわかりませんが、幼少の時から、どんな場合でも「急がねば」と急ぐ意識が身体に根深く滲みこんでいたのです。
こういう傾向は、案外どんな人間でも、あるように思います。例えば、次のようなことです。

 ・何でこの人、偉そうにするんだろう?
 ・何でこの人、すぐに怒るんだろう?
 ・何でこの人、大人しいんだろう?
 ・何でこの人、のろまなんだろう?
 ・何でこの人、ごみをあちこち捨てるんだろう?
 ・何でこの人、つーんとすましているんだろう?
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そういう人は、私同様に、幼い頃から何故か、そういう脅迫観念みたいなものが身体に滲みこんでしまっていたのでしょう。
そして、本人も多分悪い癖を直そうとするのですが、一向に直らないんだろうと思います。
そういう方は、私同様に、直そうとせず、反対の状況を少しでいいから、取り入れてやってみることだと思うのです。
そうする結果的に、二次的効果として、元々の悪い癖が良い方向へ是正されていくような感じがします。

日本人は、世界一几帳面で待ち合わせの時間に遅れることをひどく嫌ったり、非難します。ほとんどの人が時間を守り、もし1分でも遅れると真顔で、人生論や倫理なんか持ち出して、「時間を守らない人は駄目な人間だ」みたいなことを言い出すのです。それを聞いている多くの人達も、そうだそのとおりだと、大きくうなずくという「一種の時間厳守の狂気集団」なんです。そういう時間厳守の日本人が世界では、特殊な人種であるとは絶対に思わないのです。多くの他の国では、少しくらい遅れるのは当り前であり、人間性を問われることもないし、非難の対象でもないのです。
事ほど左様に、人間の悪い癖というのは強い思い込みが根本原因なんです。
たかだか10mくらいのバンジージャンプでも飛び込めない人が多いのですが、丈夫なゴムの命綱がついているので、全く危険ではないのですが、自分で勝手に”すごく危険だと思い込んでいる”から飛びこめないだけなんです。ところが思い切って飛んでみると、案外どってことはないのです。
鳥など獣にも”刷り込み”という現象があるようです。例えば、子猿が生まれた時に、たまたま犬がそばにいると、その犬を親と強く信じてしまうらしいのです。
まあ人間も動物ですから”刷り込み”という影響を受けてしまうようで、この”刷り込み”は想像以上に強いものですから、無理やりそれを治そうと思っても無理なようです。教育というのは重要ですが、やり方によっては、危険極まりないものであることは、歴史も証明済みです。
だからそのものを治すのでなく、その反対のことを少しづつやって慣れていくことのほうが効果的であるというのが私の結論です。

例で話ましょう。
貴方がもし、すぐに怒るタイプの人だったとします。周囲の人は「お前な、すぐに怒るけど、あれ止めろよ」なんて言うでしょうが、多分そんなことで治るものではないはずです。むしろ逆効果で、切れて、喧嘩になってしまうかもしれません。
禁煙なんて張り紙を部屋中に貼っても禁煙など成功することはありえないのです。どだい無茶な話なんです。会社や学校や家庭ではそういう指導方法が当然のようにやられています。しかし実際の効果はごく少しなんです。
最近の私だったら、「結構すぐに怒るけど、貴方は正義感が強いみたいですね、でも時々10回に1回でいいから、人に優しくしてみたらどうですか」と言うようにしています。というのはその人には”強い刷り込み”があるから、怒りっぽいから直せなんて言っても、他人の一言で治るなんてのは、無理だからです。禁煙しようとすることだけでなく、コーヒーや緑茶や軽い体操や散歩やお菓子などをやってみることです。

ところで、私のそういう変化によって、わかってきたもう一つのことは、左程せっかちでない人でも、結構人間は”ゆっくり”という無上の素晴らしきものを味わい切れていないということに気づきはじめたことです。
特に多くの日本人は、”ゆったり文化”ではなく”せっかち文化”なんです。
 「とにかく忙しくてね、今一番欲しいのは暇だよ」なんて言う人は多いのですが、
 実は、そうではなく、暇になると「退屈で退屈で、つまらねー」なんて言う人がほとんどなんです。
 スーパーのレジで1分でも並ぶのが苦痛なんです。電車に乗ってじっとしているのが苦痛なんです、エスカレーターも走って上るんですが、馬鹿じゃない。家で暇もてあまし、ごろごろしている老人わざわざ新幹線のぞみで家に帰るんですが、鈍行で、弁当食べて、ゆっくり景色でも見ながら帰ればいいじゃないか。
 暇に慣れていなんです。少しづつでいいから暇に慣れ・暇を味わう習慣を持ちなされ。そういうことを続けると”ゆっくり”の感じが理解できてくるはずなんです。”ゆっくり”の楽しさや素晴らしさが少しは理解できてくるはずなんです。

まだ私も、偉そうなことは言えませんが、”せっかち”という刷り込みから脱皮し、日本人に欠落している”ゆったり”を心から味わえるように進化・成長することを実行しつつあります

・男は女をやってみ
・金持ちは貧乏やってみ
・関東人は関西人やってみ
・社員や社長やってみ
・議員は国民やってみ
・都会人は田舎暮らしやってみ
・引きこもりは旅してみ
・日本人は外人やってみ
・親は子供やってみ
・恥ずかしい人はどんどん恥じかいてみ
・老人は若者やってみ
・美人はぶすやってみ
・二枚目は三枚目やってみ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして刷り込みを解消して下さいね

◎悪い癖を直そうと思ったら、そのもの自体を止めさそうとしても駄目・無駄ですよ!反対側に少しづつでいいから導いていくことです。(彼岸に渡らすこと)

例えば、東京人は関西に暮らすと東京のいろいろなことが見えてくる。
製造の人間を営業させてみる・営業の人間を製造させてみる・金持ちの子供は貧乏な家庭で預かってもらう・平社員に課長やらす・・・・・・

昔から「可愛い子には旅をさせろ」と言いますでしょ!旅というのはそういうこと(彼岸)ですよ。
人生(http://www.meico.org/p14.html)
明るく生きる(http://www.meico.org/p19.html)
老後の生き方(http://www.meico.org/kokoronowakasa.html)
座右の銘(http://www.meico.org/zayuunomei.html)






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