村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

112.人生を極めるのが人生であり/昔の人間に戻りもっと真面目に生きよう

2007-10-13 07:59:01 | 人生
便利で豊かな時代、若者だけでなく大人達までも一見楽しそうに、幸せそうにしているが実は、目標を見失い、虚ろ・空虚な暮らしをしている日本人が増えている。
そういう日本や欧米先進国のような、生きがい喪失先進国を、よりによって真似せんと中国もインドもブラジル・ロシアなどが、我先にと、経済発展に国をあげて取り組んでいるのです。
本当のことを言えば、日本や先進国家は、過去の反省に立って、新たな人間のあるべき生き方や新たな国家のあるべき姿を提案しないといけないのですが。
しかし相変わらず経済発展・経済中心・世俗的欲を満たすための政治に偏っている。
国益のための政治というが、人間のための政治というものが、戦後欠落してしまった。
今こそ、失ったものをどう取り戻すか、俗世間的なものとは別の政治体制や社会体制が併存的であってもいいから、存在してもいいのではないかと思うのです。あまりにも人類は真面目さや謙虚さや人間らしさを失ってしまっている。

衆議院は俗院、参議院は清院
みたいな新たな性格付けが必要なのではないでしょうか?

参議院は「良識の府」というが、現在はあってもなくてもいい単なる衆議院のコピーに過ぎないのですが、参議院の性格を大きく変えるべき時が来たのであります。衆議院に欠けるものとして参議院がなくてはならないのです。昔はそういう趣旨だったはずですが、米穀通帳のように無意味・無用・無駄な税金泥棒の存在になっているのにそのまま放置されているのです。国会議員は情けない無力・無誠実・無能さぶりであり、彼等は選挙に勝つことが目的なのであり、国民のための政治なんてのは、その合間に申し訳程度にしかやっていないのです。

・経済や俗っぽいことのための政治、国会
・真面目な人間の生育のための政治、国会

経済や俗っぽいことのための堕落政治・堕落国会だけをこれ以上続けて、やっていれば、間違いなく地球環境も社会環境も人間自身も崩壊してしまうでしょう。
人間も生き物ですから、俗世間で生活の糧を得るために金とか名誉とか権力を得ようとする一面があってしかるべきですが、反面真面目な人間としての面も持つべきでなのです。政治、国会も指導層として、正にそうあらなければならないのです。
しかるに現実は、両院とも自分が選挙に勝つためだけの俗っぽい低俗な政治、国会運営をやっていますから、この先、先進国も後発国も、ごちゃまぜになって、ついに世界中が俗ぽい人間で全面埋め尽くされて、ペストにかかったネズミの巨大集団か、はたまたインフルエンザにかかった鶏の大集団のような状況になっていくのでしょう。
昔、しばしば世の中が乱れたときに日本においても、寺を建立し、僧侶を敬い、経を読み、国をあげて仏教がその乱れを救ったという話をよく耳にしましたよね。
世界的=グローバルに地球崩壊・人間崩壊が進む現在は、今こそ、仏教みたいなものをよりどころにして真面目な生き方に立ち戻らねば、崩壊をぎりぎり食い止めることさえ益々困難になり、人類復活・地球復活なんてことは不可能であり、世界中の人が「もう何をやっても無駄だ・駄目だ」と焼け糞になって酒やセックスや麻薬に溺れ、ここ数十年で急速に悲壮感と無力感が漂う社会に間違いなくなっていくことでしょう。
私もイチロー選手が大好きですが、現代は、金や名誉や力を得ることや人が賞賛される時代であり、よく考えてみれば、イチロー選手さえも、現代の典型・象徴の一つなんです。しかしこんな俗世間的なことを中心にドカッーと置いて、人間を続けていて良いのでしょうか?
まあ力のない私がこんなことを一生懸命・真剣に説いたところで、何ほどの効果もないのですが、この60億人近い世界の人間の中で、例え、たった一人でも二人でも真っ当に生きることを目指す人がいて欲しいというのが今現在の偽らざる私の心境です。
まあ世の中が今以上に欧米流の考え方で、グローバルに発展し、グローバルに加速度的に乱れて行ってますから、キリスト様でもマホメット様でも仏様でも観音様でも、修復は到底無理なことでありましょう。
修復は無理だから、俗っぽくこのまま人生を生きて行こうとするのではなく、せめて自分だけでも俗っぽさを捨て去って、残された人生を真面目に生きて行きたい、そして清清しくあの世に旅立ちたいとは思いませんか?

人生とは
 ・豊かさを得ること
 ・楽しさを得ること
 ・名誉、名声を得ること
 ・権力を握って人を支配すること
 ・金や財産を得ること
 ・裕福な家庭を持つこと
 ・見目美しい奥様やだんな様をもらうこと
 ・・・・・・・・ではありません。

「人生を極めることだけが人生」それを孫子に受け継ぐことなのであります。

こういう大事なことを忘れた人間はどこかに捨てられる運命であり、捨てられてもいたしかたないと思うのです。
人類は、つい5百年前は5億人くらいであったのですが、今は10倍の60億人近くにもなっています。真面目な人間が1億人2億人の昔の時代と、俗っぽい人間ばかり60億人の現代とでは、世の中どちらが崩壊するか言うまでもなくおわかりでしょ。

今後俗っぽい親が更に俗っぽい子供を生み育て、その子が更に俗っぽい孫を作って、近い将来そういうくだらん人間が100億人にも膨れ上がるというのです。
ここ100年くらいの間に人類がしでかした取り返しのつかない愚かな行為に気づき・反省し・悔い改めるべきなんです。人間は誰でも過ちを犯すものですが、その過ちを直すことができるかどうかが重要なポイントなんです。

ここ20年後、30年後の惨澹たる状況というか結果は、言わなくてもわかりますね。そういう時代の中で「自分自身も、百億人という多くの俗っぽい人間の一人であった」というのでは、いかにも情けないではありませんか?

残された20年~30年の余生を、微力ながら努めて真面目に「人生を極める」の心境で生き抜くつもりです。
「真面目に生きることが楽しい」というようなことにならなんといけないのです。そういう認識や感覚をまず持つことが第一ステップ(最初の一歩)なんです。その第一ステップを踏み出せない・踏み込めない・踏み越えられなず、安易な生き方を選び、そこから抜け出ようとしない者が真の幸せなんか永遠に理解できるわけがないのだと思います。
http://www.meico.org/zayuunomei.html

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