村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

第29号 村上和隆の人生塾「一言」     多くの物・人・仕事・贅沢に浸っている都会の暮らし

2008-05-16 05:38:43 | 人生
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表村上和隆:東京出身-大阪赴任-京都事務所-滋賀田舎暮し (東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表)

※お知らせ:今後4~11月は事務所が滋賀の山中になるため毎日掲載できなくなります、やや日があきますが了解下さい

29.多くの物・多くの人・多くの仕事・多くの贅沢・多くの趣味に浸っている都会の暮らしが極上の暮らしなのか?

私は滋賀県安曇川の山中でここ10年、文字通り一人静かにくらしています。
時々都会である京都に出ますが、私にとっては「都会は非日常の世界」なんですが、都会の人にとっては、その都会的な暮らしが正に、日常そのものであって、都会には多くの楽しみがあると信じているのです。

多くの物・人・遊び・贅沢・情報・・・で溢れているので、そこから離れることは暮らしをもぎ取られ、人生そのものを否定されるように感じるのです。
しかし一体人間自身はその中でどういう位置づけなんですか?貴方自身より一見華やかな多くの物・人・遊び・贅沢・情報・文化(?)・金が主体なのであって、貴方はその付け足し(抜け殻)みたいなもんなんですか?

そのせいでしょうか、状況が激変する都会では自分を見失って鬱々とする人が増えているのです。
自分の周囲の物によって、自分自身・人間自身を忘れてしまうのです。

山の猿が都会に出て鎖につながれ贅沢な小屋で贅沢な食事を与えられていつしか猿が本来の猿自身を忘れてしまい、いざ山に戻ってみると生きていけない哀れな猿になってしまうようなもんなんでしょう。

私が10年、物・人・遊び・贅沢・情報が乏しい山の中で暮らして感じたことは「格別何もない山の中で自然や自分自身と向き合う・触れ合う暮らし、これこそ極上の暮らしである」それに対して「都会の暮らしはその華やかな外見と相違して、なんとも極悪な暮らしか」

多分、都会の人々には永遠にそういうことの理解は期待できそうもないのです。
都会に住むお猿さん、都会の動物園の動物達、あたかも贅沢そうだが、楽そうだが、綱につながれ檻の中でかけがいのない一生を終えるのです。
「人間にとって極上の暮らしとはどういうことなのか?」真面目に反省することです。

コンクリートの家(小屋)の中で餌を与えられ、楽ではあるが綱につながれたような殺伐とした都会の暮らしがはたして極上なんですか、はたしてそんな所に安住していて良いのですか?

『極上の暮らし』とは一体どういう状況なんでしょうか?
もう考えることすら、都会を飛び出す気力すら失せてしまっているのですかね?

このたび村上和隆人生塾を開校しました。
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