3月23日 おはよう日本
シェークスピアが作品の中で権力に取りつかれた残虐な人物としてえがいた
15世紀のイングランド国王リチャード3世。
イングランド史上 戦争で命を落とした最後の国王とされながら
長年遺骨の行方がわからずに歴史の謎に包まれていた。
その遺骨が500年の歳月を経て発見された。
リチャード3世はばら戦争で命を落とし遺体は敵によってさらしものにされたという。
その後行方は分からなくなっていた。
ばら戦争の舞台となったイギリス中部のレスター。
この町でリチャード3世の遺骨が死後500年を経て見つかった。
遺骨は棺にはおさめられておらず簡略に埋葬されていたということである。
地元の大学の研究チームが資料を詳しく分析し
かつて王が埋葬されていたという修道院が市内の駐車場の場所に立っていたことを突き止め
去年9月にそこで遺骨を掘り当てた。
遺骨の派から採取したDNAと国王の姉の子孫から提供されたDNAを照合し
遺骨の身元が確認された。
(研究チームの会見)
「遺骨のDNAと国王の子孫のDNAが一致しました。
遺骨は間違いなくリチャード3世のものです。」
リチャード3世の名を世に知らしめたのはかのシェイクスピアが書いた史劇だった。
劇で国王の座を守るため2人の幼い甥を殺させるリチャード3世。
背中が曲がった醜い要望の残虐な悪人として描かれている。
しかし遺骨を分析したところ背中は大きくは曲がっていなかったことが判明。
さらに頭蓋骨から復元した顔立ちは
残虐なイメージとはほど遠い端正で聡明さをうかがわせるものだった。
(専門家)
「これまでの残忍なイメージは後の王朝がつくったもの。
シェイクスピアの描写も芸術上の誇張があったのでしょう。」
遺骨の発見を受けレスターでは特別展示会が開催され
連日 長い行列ができて賑わっている。
一方で王の遺骨をどこに埋葬し直すかをめぐって論争も持ち上がっている。
現在のイギリス王室はウィンザー朝でリチャード3世とは王朝が異なり
遺骨を引き取る立場にはない。
そこで遺骨を発見した研究チームは
レスターにある国王の名前が刻まれた大聖堂に埋葬する方針を明らかにした。
しかしこれに待ったをかけたのが中部の古都ヨーク。
ヨークはかつてリチャード3世が治め発展に尽くした街。
王の遺骨を故郷に戻そうと町がキャンペーンを展開したところ
たちどころに2万人以上の署名が集まった。
(ヨーク市議)
「ヨークに埋葬されれば観光に一層弾みがつきます。」
遺骨の埋葬先をめぐる論争はイギリス議会にまで持ち込まれた。
先週 レスターとヨークの選出の議員が埋葬先をめぐって激しい論戦を交わした。
(レスター選出議員)
「500年も眠っていた町に埋葬すべきというのが大多数の意見です。」
(ヨーク選出議員)
「リチャード3世は生前ヨークでの埋葬を望んでいました。」
500年の永い眠りから覚めた幻の国王。
イギリス中を巻き込む熱い論争を引き起こしている。
イギリス政府は法律上は埋葬場所を決める権限が研究チームにあるとしながらも
今後も解決策を探るため関係者が協議する場所を設けることを約束している。