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背番号「16」 川上哲治

2013-11-04 07:00:00 | 編集手帳
10月31日 読売手帳

西鉄の“鉄腕”稲尾和久投手は新人の年、
巨人との日本シリーズ初戦に1イニングだけ登板した。
1956年(昭和31年)である。
打席に川上哲治選手が入った。

稲尾投手は無意識のうちに一歩、二歩とマウンドから歩み寄り、
「よろしくお願いします」と帽子を脱いで敬礼してしまったという。
「勝負の世界で“よろしくお願いします”もないものだが…」と稲尾さんの回想にある。
“打撃の神様”と呼ばれた川上さんが93歳で亡くなった。

野球を知らない人も“赤バットの川上”は知っていた。
川上さんがシーズンを通して赤いバットを用いたのは1947年(昭和22年)たった1年だけという。

テレビのなかった当時、
赤バットを実際に見た人はそういないはずである。
多くの人は打席で一閃いっせんする赤い色を瞼まぶたに浮かべて、
混乱と窮乏に生き惑う日常を忘れたのだろう。
背番号「16」は戦後史の1ページでもある。

折しも、
巨人と楽天による日本シリーズのさなかである。
昨夜も天上のベンチから熱戦を見守ったことだろう。
「昔はボールが止まって見えたな…」などと、
熊本なまりの温かい抑揚でつぶやきつつ。
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