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日本人作家が見た 台湾 義援金に込めた思い

2017-04-17 07:15:00 | 報道/ニュース

」3月22日 国際報道2017


東日本大震災から6年の今年3月
1冊の本が出版された。
「アリガト 謝謝」。
震災のあと約200億円もの義援金を送ってくれた台湾の人たち。
彼らがどんな思いで募金を送ったのかを実話に基づいて描いた小説である。
著者は台湾在住の日本人 木下諄一さん。
これまで中国語で数々の作品を発表してきたが
今回初めて日本語で執筆した。

震災発生後の2011年3月16日
台湾の学生たちは募金を呼び掛けていた。
テレビではチャリティー番組が放送され
日本を応援。
子どもたちも小遣いを募金するなどして
集まった義援金は約200億円。
人口1人あたり800円余を出した計算である。
小説「アリガト 謝謝」を執筆した木下諄一さん。
留学をきっかけに親しみを持った台湾に移住して30年近くになる。
木下さんにとっても巨額の義援金を集めた台湾の人々の行動は驚きだった。
(「アリガト 謝謝」著者 木下諄一さん)
「台湾の人口を考えた場合
 ちょっと考えられないような数字(金額)。
 具体的にどのくらいの人がどんな感じで義援金を寄付したかを調べたところ
 ものすごくたくさんの量
 しかも多岐にわたっていると。」
台湾の人たちはどんな思いでこれだけのお金を集めたのか。
木下さんはさまざまな世代の人たちに話を聞いて歩いた。
当時 台北の大学で日本語を学んでいた闕振修さん。
台湾では当局の許可なく募金活動をすることはできない。
ところがキャンパスのあちらこちらで募金を呼びかける声が響いていたという。
(闕振修さん)
「あんなに多くの学生が自発的に募金活動をする姿は見たことがなく
 とても驚きました。」
(「アリガト 謝謝」より) 
何かしたい。
日本のために。
そんなことを思った人たちの気持ちが行きついた先のような気がする。
そして
いくつもの気持ちが集まってやがては大きな力になったんだと。
幼いころから日本のゲームやマンガなどに親しんで育った闕さんの世代。
日本が身近にあるという感覚が自然な行動につながったと木下さんは考えた。
(木下諄一さん)
「もう生まれながらにしてあったものですから
 同時に自分たちの文化でもあるという認識。
 それはもう どうしてって聞かれても
 逆に自分たちもわからない なぜか。
 これはもう当然 昔の世代には無かった現象だと思います。」
日本を助けようという声は飲食店でも広がった。
名物のオムレツの売り上げを全額寄付したレストラン。
100日間で20,000皿余
1,700万円を売り上げた。
日頃 観光客としてやってくる日本人へのお返しの気持ちがあったという。
(レストラン経営者)
「熱烈な反応がありました。
 募金のことを知ると
 2皿目3皿目と注文する人もいました。
 オムレツだけでこんな金額が集まるなんて私自身もびっくりしましたよ!」
(「アリガト 謝謝」より)
「うちは日本のおかげでここまでやって来れたと思ってる
 だから、この機会に恩返しがしたいんだ」
「恩返し?」
「ああ
 売り上げを全部
 日本の被災地に寄付してくれないか」
台湾の人たちが感じている日本への親しみ。
その中で異口同音に語ったのは日本への感謝の言葉だった。
1999年9月21日に台湾中部を襲った大地震。
2,000人以上が犠牲になった。
この時いち早く救援隊を派遣したのが日本だった。
危機に駆け付けた日本人
その姿は台湾の人たちに強烈な印象を残していた。
(「アリガト 謝謝」より)
「「921(自身)のときはどれだけ日本のお世話になったことか」
「あの時はやっぱり日本だった思ったもんね」
「そうだね。
 日本はほんとに困ってるときに一番信頼できる国だから」
3年に及ぶ取材や執筆で
木下さんは
台湾の人たちの日本への思いの大きさを改めて気づかされたという。
(木下諄一さん)
「彼らの中で日本に対する距離というものが非常に近いというか
 僕が思っていた以上に近かったのかもしれないですね。
 台湾は親日なところと言われるし
 日本に対するイメージはすごくいいんですけど
 実際にそういう話を聞くなかでそれをさらに実感したというか
 わかっていることでありながらも新しい発見であった。」




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